第36話 どうして

「おねえちゃーん!」

 澄空すかいが腕の中からぴょんと下り、姉の元へと駆けだしていく。

 野田が転びそうになりながら立ち上がった。彼女は土足の澄空をござの上で抱きしめる。


船渡川ふなとがわが見つけてくれたんだ」

 顔を上げた半泣きの野田と目が合った船渡川が「たまたま気付いただけだから」と口をもごつかせている。

「ありがとう、アズ。本当にありがとう」

 野田にそう言われ、うん、と照れ臭そうに頷いた。

「私、アズに迷惑かけてばっかだね」

「迷惑かどうかは、こっちが決めることなんで」

 冗談めかすように言って、船渡川が笑った。


 四人で土手の階段を上る。

「浴衣だと階段、上りにくい」

 浴衣姿の船渡川が文句を言う。「でも、似合ってるよ」と、澄空を抱っこする野田が言うのが聞こえた。


「お母さんとは連絡取れた?」

「電話に出ないんです。『澄空が見つかった』って、メッセージだけは残しておいたんですが……」


「梓紗!」

 浴衣姿の集団が橋をぞろぞろと渡ってくるのが見えた。

 船渡川の友人たちだった。

「え、帰ってなかったの?」

「だって心配だし」

「野田ちゃん、弟くんと合流できてよかったね」

 船渡川にたしなめられて咄嗟とっさに謝っていた生徒が野田の顔をのぞいた。


「みんなも来てたんだ」

 野田はぎこちなく頷いている。

「あのさ、あれは本当に軽い冗談のつもりだったっていうか」

 ショートカットの生徒が浴衣の袖をいじりながら言う。

「何も考えずにぽろっと言っただけで。いや、……ごめんね。ごめんなさい」

 彼女は裾で遊ぶのをやめ、野田に対して深く頭を下げた。

「気にしてないよ。大丈夫」

 野田の口元に笑みを作る。

 こうやって謝られたら「大丈夫」と言うしかないよな、と思う。


 気にしてないよ、大丈夫。

 菊池にからかわれていた涼真も、口を無理やり開けて笑いながら、周囲にそう伝えてようとしていたのだ。きっと。


「……野田ちゃん、また前みたいに遊ぼうよ。そうだ、もうすぐ文化祭でしょ? ダンス部、今年もステージ出るからよかったら観に来てよ」

 浴衣姿の女生徒たちを見回した。

 そうか、これはダンス部の集まりなのかと今になって察する。かつて野田が所属していた部活だ。


 女子たちはちらっとこちらに視線を送り、額を寄せ合った。

「ねえ、再従兄妹またいとこって三親等? 三親等なら文化祭初日に呼べるよね」

「え、四くらいじゃない? それだと一般公開日しか来れないから事前申し込みしないと」

 そんな会話が聞こえてくる。


 ひそひそと話し合って勝手に計画を立てている友人たちを、野田は静かに眺めていた。

 彼女の横顔を見ていると、澄空を連れて行った夏の公園を思い出す。

 笑った目元や拗ねたような横顔が似ていて、二人が姉弟きょうだいであることを再認識させられる。


 「行く」って一言言って、輪の中に入って、一緒に盛り上がればいいだけじゃないか。ただ視線を送っていても、野田がどうしたいかなんて誰も気付いてくれないよ。


 手を伸ばした。彼女の背中を押してやりたいと思った。

 教師になりたいという思いがそうさせるのか、まったく別の感情が自分の体を動かしたのかはわからない。


 しかし触れようとしたその時、彼女はきっぱりと「私は行けない」と告げた。少しも言い淀むことは無かった。


「え、まだ怒ってる……?」

 当然ながら女生徒らは困惑し、お互いに顔を見合わす。

「引っ越すことになったんだ。夏休み明けはもう藤ヶ峰ふじがみねに行かない」

 船渡川を含む女生徒たちは「えっ」と声を上げしばらく絶句した。


 また急に、どうして。

 驚きながらも、俺はやけに片付いた野田の家のリビング、キッチンの梱包材を思い出していた。

 では、家に招かれた時、花火に誘われた時。

 あの時には既に引っ越し業者と契約して……。


 野田は自分のお父さんが病気になったこと、母の転勤がやっと決まり、通院先から近い親戚の家に越すことを不自然に思えるほど冷静に説明していた。


 写真でしか見たことの無い、野田のお母さんはどのような顔だったか。のっぺらぼうしか思い浮かばない。

 そののっぺらぼうに、「どうして」と問い詰めたくなった。


「お、おじさんが病気……?」

 一番うろたえていたのは船渡川だった。

「おじさん、大丈夫なの?」

「今は落ち着いてる、かな……」

「おじさんが病気になっちゃたから、ミイが澄空くんの送迎をやってたの?」

「うん。お母さんも忙しくなっちゃって、代わりに弟の世話とか家事とかやってたの」

「部活やめたりコース変えたりしたのって、それが理由?」

「うん……」

「なんで……」


船渡川が顔を歪めた。

「もっと早く言ってくれればいいのに。家事くらいいつでも手伝ったよ。料理は無理だからお皿洗うとか買い物とか。あ、野菜の選び方とか相場とかわかんないから買い物も無理かもだけど、でも言ってくれれば……」

 口先だけではなくて、船渡川は本当に何でも手伝っていただろう。野田の家にずかずか上がって、慣れないながらも家の中を片付けたり食事の用意をしたりしそうだ。 

 船渡川梓紗はそういう人間だ。


「アズに言ったら心配してくれるってわかってたから。アズは勉強頑張ってて忙しいのに悪いから……」

「話くらい聞いたって。いくらでも……」

「アズのそういうとこ、大好きだったよ。ありがとう」

「もー……!」

 澄空ごと野田を抱きしめる船渡川の目元が黒く滲んでいた。

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