第23話 いつかしむ

 自然公園へ向かう前に商店街の百均に寄った。狭い駐輪場に自転車をとめ、二人で冷房の効いた店内に入る。

「はあ、すずしい」

 澄空すかいが気持ちよさそうに言う。入ってすぐの棚に目当ての物がずらりと並んでいた。


「せんせー、それ、なあに?」

「これで虫をつかまえるんだよ」

 虫取りカゴと二本の網を見せた。

「むし、こわい。すかいはいらない」

「何言ってんだ。たくさんつかまえてお姉ちゃんに見せてやろうよ」


 会計を済ませ、再び自転車に乗り今度こそ公園を目指す。


 途中で傾斜のきつい坂道を通ったが電動アシストが付いているので楽々のぼることができた。

 社会人になったら貯金して、通勤用に電動自転車を購入するのもいいかもしれない。


 自転車に乗ったまま公園内に侵入し、林の横の整備されていない駐輪場にとめる。虫取り網を貸してやるなり、澄空は「せんせーをいためつけるぞお!」と言ってバシバシ叩いてくる。

 「痛めつけるなんて言葉を知ってるのか」なんて感心してる場合ではない。

「人のことを叩くんじゃないの!」

「男の子ねえ」

 ウォーキング中の女性たちがにこにこしながら横を通り過ぎる。


 虫取り網を一度回収し、先にじゃぶじゃぶ池へ向かった。

 夏以外はからからに乾いている円形の広場めがけて水が噴出し、巨大な水たまりのようになっている。子どもたちが水着、あるいは服のまま入って水遊びを楽しんでいた。


 塩素くさいじゃぶじゃぶ池の周りの花壇に腰かけ、楽しそうに水遊びする澄空をスマホで撮影する。しかしその写真をいちいち野田に送りつけるなんてことはしなかった。


 澄空を預かることを知った姉から「よっぽどのことが無い限りは連絡しないように」とアドバイスされている。せっかく子どもと離れてゆっくりしている時に頻繁に連絡が来ると休んだ気がしなくなるからというのが理由らしい。

 だから、無事に自然公園に到着したことだけ報告し、それ以降は連絡していない。


 小学生くらいの男の子二人が澄空の周りで遊んでいた。

 大きな水鉄砲で撃ち合っていたが、飽きたらしくポイっと放って走り回っている。

 澄空は放置された水鉄砲の周りをうろうろしている。

 触ってみたいのだろう。持ち主が近くにいるのだから「貸して」と言えば済むのに、もじもじとしているばかりで何もしない。かけっこに夢中になっている男の子たちは当然、澄空の様子に気が付かない。


「さむーい!」

 諦めた澄空が叫びながら戻ってきた。着替えとタオルの入ったプールバッグを持って立ち上がった。




 まだ髪の湿った澄空と手をつなぎ、公園の林の中へ踏み入る。

「蝉、なかなかいないなあ」

 虫取り網を持って木を見上げるが、蝉たちはなかなか姿を現さない。

 澄空は落ち葉を踏みながら楽しそうに歌っている。幼稚園で習った「せみのうた」という童謡だそうだ。


「いたっ」

 トゲが刺さったような痛みが脚に走る。澄空がふざけて爪を立てたのかと思い見下ろすとふくらはぎに蝉がとまっていた。

「ぎゃああっ!」

 驚きのあまり大声を上げると澄空が体をびくっと震わせた。

「こわーい!」

「俺は木じゃねーよ!」

 振り払おうとしても蝉は脚にしぶとくつかまり続けている。鷲掴みにしようとしたがおしっこを掛けられ、茂る葉の中に逃げられた。

 心の中で「くそっ!」と悪態をつく。蝉はヒトを馬鹿にするように、頭上でまたシャカシャカと鳴き始めた。


「せみとるのやめるう」

 すっかり怖気づいたらしく、澄空は虫取り網を投げた。そっぽを向いて遊具のある広場へ歩こうとする。

 澄空が日向に出ると足元に真っ黒い夏の影ができた。

「網もカゴもせっかく買ったんだから、もっと探そうぜ」

「もういい。こわい」

「怖くないってば。つかまえてお姉ちゃんに見せてやるんだろ」


 呼びかけるが、澄空は聞く耳を持たない。とことこと逃げるように走り出したかと思ったら、すぐにぴたっと足を止めた。


「せみ、みつけた!」

 刺すような日差しの下、澄空がしゃがみこむ。

 網を拾ってから澄空を追い、水分を失って乾ききった白い地面を確認する。


 蝉はいたが、ひっくり返り六本の足は何かを抱え込むように閉じている。体に黒い蟻が群がっているのにびくとも動かない。

「ありさんもみっけ」

 澄空は少しも躊躇せず蝉の死骸にたかる蟻を指で押しつぶそうとした。

「あっ、こら!」

 仕留めそこない、細い指の隙間から蟻が逃げる。

 澄空は執拗に小さな生き物たちを潰そうとする。手首をつかんでやっとやめさせた。蟻は何事も無かったかのように、また死骸に戻っていく。


「生き物を潰すな。死んだらもう元に戻らないんだから」

「シンダラって、なに?」

 真ん丸の目に見つめられた。

「シンダラ? ああ、死んだら、か。ええと」

 澄空にはまだ、「死」という概念が無いようだ。


「あー……、死んだらっていうのはさ」

 家族でも幼稚園の先生でもないのに「死」について教えていいのだろうかと迷う。

 

 純粋無垢な幼児を刺激しないような、なるべくまろやかな言葉を探す。

「遠くへ行くっていうこと。生き物は遠くへ行ったら、もう二度と戻ってこないんだよ」

「しむってこと?」

「あ、そうそう。『しむ』ってことだ」

 どうしてか子どもは皆、「死ぬ」を「しむ」と言ってしまう。

「なんだ。『死ぬ』って言葉は知ってたのか。じゃあ蟻も殺しちゃダメだってわかるだろ?」

「にんげんも、いきもの?」

「うん」

「じゃあ、にんげんもいつかしむ?」

「まあ、そうだな。人間もいつか遠くへ行くんだよ」


 生き物は生き返らないし、人間もいつか「しむ」。

 そんな情報を手に入れた幼児はとくに何のリアクションも示さず「ブランコしよ!」と走り出してしまった。


 蟻の狙う獲物を拾い上げ行列を辿り、巣穴の近くに置いてやった。澄空が迷惑をかけたので罪滅ぼしのつもりだったが、有難迷惑だったかもしれない。獲物を見失った蟻たちはうろうろとさまよって、慌てているように見える。


 虫たちは、自分たちがいつか「しむ」ということを知っているのだろうか。死期を悟って慌てることがあるのだろうか、と思う。


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