第21話 きもいかも

「教え子に手ぇ出したのかーっ‼」


 「教え子の誕生日に何をあげたらいいか」。

 我が家に泊まりに来た姉に相談したら美顔器がとんできたが、三度目の正直だ。咄嗟に上体を逸らし避けることができた。


 姉の投げつけた銀色の美顔器は座っていたソファの背もたれに当たり、ぼすっと音を立てて落ちる。こんなものがまともに顔に当たったら鼻が曲がって余計に美男子になってしまう。


 他に投げつけられる物がないかと躍起になって探す姉に、野田と交流するようになった経緯を話してなんとかなだめた。


「へえ、そんな子がいるの。偉いね」

 まだ腑に落ちていないという表情で姉は美顔器を回収する。

「偉いけど、その子の親は何してるわけ?」

 野田の話を聞いて、姉も母や船渡川と同じようなことを言う。

「忙しいみたいよ」

「忙しいって言ったって、自分で産んだ子でしょ?」

「色々あるんだよ」


 多分。


 はっきりしたことを野田は教えてくれない。船渡川が野田に不満げな顔を見せる気持ちもわかる気がした。


「でも、その野田さんって子と大地が交際してるなんて噂が立ってニュースになったらどうすんのよ」

「『二十一歳の大学生が教育実習先の女子高生に~』ってか? 手なんか出さないって。ただの元教え子だよ」

「『ただの元教え子』に誕生日プレゼントなんてあげないでしょうが」

 顔に化粧水をしみ込ませながら姉は眉間に皺を寄せる。


「だから、野田のおかげで教師を目指す気になったから、そのお礼も兼ねてだな」

「プレゼント? 誰にあげるの⁉」

 リビングのドアが勢いよく開いて、風呂上りの姪っ子たちが飛び込んできた。

「ニコルが起きるから静かにしなさい!」

 姉が一喝する。末娘のニコルは別室で母に寝かしつけられている最中だ。


「大地兄ちゃんがプレゼントあげるの?」

「前の彼女さんに? ヨリ、戻したの?」

「ヨリなんて言葉、なんで知ってるんだよ。元カノと終わったの一年以上前だし……」

「シエル、ハンドクリームがいい。これすっごくいい匂いなんだって!」


 シエルが姉に借りたタブレットの画面を向けた。オレンジ色のパッケージのハンドクリームがSNSで絶賛されていた。

「うわ、高っ」

 ハンドクリーム一本なのに飲み会二回分くらいの金額だった。即座に候補から外す。

 家事のやりすぎで手が荒れると言っていたから喜ぶかもしれないが、高価すぎる。

「じゃあ、小さいの買えば? アソートになってるやつもあるんだよ!」

「あそーとってなんだ?」

「そもそもハンドクリームはナシかな。野田さんっていう子にとっては育児や家事のためのアイテムなんじゃないの? 自分の誕生日にわざわざそんなもの貰いたくないね。私だったら」

「姉ちゃんの話は聞いてねーよ」


 しかし野田と姉は同性だし、育児に追われているという立場も同じだ。自分より姉の感覚のほうが野田に近いかもしれない。


「じゃあこれは?」

 シエルにまた別の画像を見せられる。

「パジャマか?」

 パステルカラーの寝間着の画像を見せられた。もこもこした生地で温かそうだ。

「パジャマじゃなくてルームウェアだよ」

「ノエルたちも来年の誕生日にうさ耳のやつ買ってもらうんだ!」

「パジャマとルームウェアって何が違うんだ? これも高いじゃん」

「娘たち。彼氏でも何でもない男から突然ルームウェアなんて貰ったらどう思うよ」

 シエルとノエルは自分の母にそう言われ、瓜二つの顔を見合わせて真顔になった。


 「きもいかも……」と二人の声が揃う。


「でしょ?」

 ルームウェアを提案したのは姪たちなのに、侮蔑のまなざしを向けられたのは何故かこの俺だった。

「姉ちゃんだったら何が欲しいんだよ」

「育児中の人間が喉から手が出るほど欲しいものっていったら、決まってるでしょ」

「え、なに?」

「背中マッサージしてくれたら教える。五分ね」

 姉は俺を払いのけ、ソファの上にごろんと寝ころんだ。




「千葉先生、今日で最後ですか?」

「うん、最後だよ」

 自習室を施錠しながら野田に答える。

 明日から世間はお盆休みに突入し、アルバイトの契約も予定通り今日で切られる。お盆直前だからか、自習室に訪れる生徒の数はがくんと減って三年生数名と野田一人しかいなかった。


「ところでさ、ご両親はお盆も仕事?」

「仕事ですね。お盆休みが関係無い職場なので」

澄空すかいの幼稚園はお盆中は休みなんだよな?」

「そうです。だから私が家で遊んであげようと思ってます」

 野田は「乗り切れるか不安ですけど」と苦笑いを浮かべた。


「そっか、じゃあちょうどよかった。実はあげたいものがあるんだ」

「あげたいもの? 私にですか?」

「野田の誕生日から少し日が経っちゃったけど、よかったら野田に『時間』をプレゼントをしようかと思って」

「『時間』、ですか?」

 彼女は目をぱちくりさせる。

「俺が澄空を預かるよ。だから野田はゆっくり休んで」


 お盆期間中は大学も完全に閉鎖されてしまう。教授たちに会うこともアトリエに行くこともできないから、多少は時間に余裕があった。


「すごくありがたいですけど、先生にそこまで甘えるわけには」

「気にしないで。お礼も兼ねてるから」

「お礼?」


 首を傾げる野田に、本気で「先生」を目指していることを打ち明けた。藤ヶ峰ふじがみね女学園に応募し書類選考に通ったことはまだまだ隠すつもりだ。

 不採用になったら恥ずかしい。


「先生を、目指す?」

「うん。教え方が上手いって野田が言ってくれたことがきっかけなんだ。だから、何かお礼がしたくて」

「……今までは先生になるつもりが無かったのに、どうして教育実習に来たんですか?」


 澄んだ目で訊かれ言葉に詰まる。


「ご、ごもっとも。……まあとにかく、野田のおかげで進路が定まったし、感謝してるんだ。俺と澄空でどこか出かけてくるから、家でゆっくりしたり買い物したりすれば」

「……いいんでしょうか」

「いいんだよ」


 野田はよく清掃された床をじっと見下ろし悩んでいる。十数秒ほどしてやっと「お願いします」と言って顔を上げた。

 戦地へ赴くことが決まり、腹を固めたとでもいうような大げさな表情で、つい笑いそうになった。


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