第2話:陽成院の影

「なっ……!?」


 仁王丸と呼ばれた少女の言葉に、少年は目を見開いて驚きをあらわにした。彼女たちの言葉が正しいのなら、ここは千年以上前の日本ということになる。


――そんな……バカな!?


 彼はさっきまで現代日本のコンクリートジャングルを歩んでいたのだ。こんな事態を受け入れられるはずがない。

 動揺を隠し切れない少年に、満仲は穏やかな笑みを向けた。


「なるほど。『再臨の神子』様は、まだご自身の置かれた状況を理解しておられないようですね」


「理解なんて出来るはずがないだろ! これじゃまるでタイムスリップじゃないか!! ていうか、さっきから『再臨の神子』ってなんなんだよ!? 俺はただの高校生、お前に刀を向けられる謂れはない!!」


「私とて好きで向けている訳ではありません。これは止むを得ないことですよ」


「止むを得ないだと!?」


「ええ。そもそも、私は貴方と敵対するつもりはないのです。大人しく同行して下さるか、もしくは――」


 満仲は、屈託のない爽やかな笑みを浮かべて口を開く。


「ここで死んで下さればの話ですが」


「――っ!!」


 少年の視界から満仲が消える。その刹那、満仲と仁王丸の刀が合わさり、ガキン!! と甲高い金属音が夜の平安京に響いた。


「良い反応です」


「黙れ、使い走り」


「それは貴女も同じじゃないですか」


 火花を散らし、両者は再び距離を取る。満仲も仁王丸も、隙さえあれば斬り捨てるといった張り詰めた空気。真剣どうしの命のやり取りの真ん中に、少年は独り取り残された。


「くっ……」


 彼がいま出来ることなど無いに等しい。そんなことは彼自身が一番よく分かっている。だが、仁王丸は彼を守るために戦っているのだ。それを思うと少年はいてもたってもいられない。


 ――何とか手助けを……


 彼女はそんな彼の機先を制する。


「いらぬ気遣いです。気が散ります。貴方は自分が足手まといなのを自覚して、そこでじっとしていて下さい」


「に、仁王丸ちゃん……?」


「気持ちの悪い呼び方をしないで下さい。呼び捨てで結構です」


 辛辣な言葉を次々と投げかけると、仁王丸は大地を強く踏み込み、跳躍する。彼女は一瞬で満仲との距離を詰めると、太刀をひと薙ぎした。


「それに上皇は父の仇。手出しは無用」


「おや、お一人で私に勝つつもりですか?」


 仁王丸の一閃をひらりと躱すと、満仲は余裕の笑みを浮かべる。その笑みに、仁王丸は刺すような冷たい視線で応えた。そして――


「誰が一人でと言った」


「――?」


 小首を傾げる満仲。しかし、彼はすぐにその答えを身をもって思い知ることとなる。


「おらぁぁぁあああッ!!」


「――!?」


 突如響いた新たな声。満仲の頬をかすめる刃。傷口から滲む血を拭いながら、彼は感嘆の声を上げる。


「なるほど。高階の『矛』、佐伯犬麻呂さえきのいぬまろですか。悪くない一撃です」


「チッ、仕留めそこなったぜ」


 犬麻呂と呼ばれた少年は口惜し気に言い放つと、好戦的な笑みを浮かべて槍を構え直した。紅葉色の装束。ツンツンとした茶色がかった短髪に、鋭い目つき。歳は恐らく学生服の少年より少し下であろう。


「遅いぞ犬麻呂。私に手を汚させる気か」


「悪かったよ。でも汚れ仕事が俺の役目になってるのは釈然としねェ」


 不機嫌そうな表情で答える犬麻呂。そんな時、彼は仁王丸のそばで腰を抜かしている少年に気が付いた。


「へえ、アンタが『再臨の神子』様か。他の神子様に比べりゃ随分弱そうだ」


「言葉に気をつけろ。宰相殿の言いつけを忘れたのか? もう少し別の表現があるだろうに……」


「君も大概だったけど!?」


 二人して酷い評価だ。だが、彼が弱っちいのはその通りである。その通りではあるが、臆面もなくそう言われた少年は不満そうな顔を浮かべた。


 犬麻呂は彼を無視して満仲を見やる。


「で、アンタが『影』か。姉貴が世話になったみてェだな」


「ですから、私はその二つ名が嫌いですと何度言ったら……まあ良いです」


 そう言うと、満仲は再びニコリと笑みを浮かべた。


「今すぐ神子様を引き渡して下されば、私も命までは取りません。無益な殺生は控えるよう仰せつかっておりますから」


「戯言を……貴様の指図など受けない!」


「なんなら、お前を今ここで彼岸に送ってやってもいいんだぜ? 『影』さんよォ!!」


 佐伯姉弟は満仲の停戦交渉を一蹴し、彼への敵意をあらわにする。だが、満仲は仁王丸たちの言葉などまともに取り合わない。それどころか、嘲るような笑みを浮かべて、


「血気盛んでよろしいこと、佐伯の遺児のお二方。十年前の氏上うじのかみはなーんにも出来ずに犬死でしたが、今回は多少なりともあがいて見せてくださいね! そうでないとつまらない。ふふふ、あははは!!!!」


 直後、空気が変わる。原因は明白、姉弟が放つ怒気だ。


「父上を、侮辱するなァ!!」


 犬麻呂が地を蹴り、風よりも速く夜空へ飛ぶ。そして、目にも止まらぬ勢いで槍を満仲へ繰り出した。金属と金属がぶつかる甲高い音が月夜に響く。

 犬麻呂が繰り出した一撃は素人目に見ても初速、重量ともにかなりのものであった。だが、満仲はいとも容易く太刀で捌ききり、反動を活かして夜空を舞う。そして、どこか不満そうな表情を見せた。


「悪くはないんですが、単調ですね」


「ほう?  口だけの野郎ではないみてェだな。だがよ」


 ニヤリと微笑む犬麻呂。突如、満仲の後方の空間が淡く光を帯びる。


「ふむ?」


「俺たちは二人で戦ってんだ。そう簡単に防げると思うなよ!!」


「なるほど、『楯』との連携攻撃ですか。これは手強い」


「霊術――四方塞結界しほうさいけっかい!!」


 仁王丸の詠唱。満仲の背後の空間が轟音と共に爆ぜる。満仲は間一髪のタイミングで重心を逸らし、自ら地上へ吹き飛んだ。


「なんだ……あれは……!?」


 魔法まがいの正体不明の攻撃。少年は驚きを隠し切れない。

 だが、その間にも戦いは次の段階へと進んでいる。犬麻呂たちは満仲の着地と同時にすぐさま追撃を加え、休む暇を与えずその身を貫かんとする。常識を超えた彼らの挙動に、少年は息を呑んだ。


「人間の動きじゃねぇ……」


 犬麻呂と仁王丸の息の合った連携攻撃に、満仲は防戦一方だ。一見佐伯姉弟が押しているようにも思える。しかし――


「クソッ! ちょこまかとっ!!」


 満仲は人間離れした身体能力、反射神経ですべての攻撃を捌き切る。アリ一匹逃さないような濃密な波状攻撃が満仲には一つも当たらない。


「それならッ!!」


 犬麻呂は一度満仲から間合いを取る。満仲はすかさず間を詰めようと跳躍するが、仁王丸が繰り出す不可視の何かがそれを阻む。


「これでどうだッ!!」


 犬麻呂は一度槍を手放し、刀を抜いた。その瞬間空気が、いや、空間が共鳴し、経験したことのないような不思議な感覚を少年にもたらす。


 ――何か、来る!!


 少年の予感と同時に犬麻呂は一つ息を吸う。そして――


「契神:「天忍日命アメノオシヒノミコト」:神器『頭槌太刀くぶつちのたち』!!」


 犬麻呂は日本神話に現れる武神の名、そして、彼の神が持つ神器の名を唱えた。その刹那、刀は淡いオレンジの光を帯び、そこには人知を超えた力がこもる。術式が発動するその一閃だけ、どこにでもある普通の刀は本物の「神器」となるのだ。


「食らい、やがれッ!!!!」


 武神にして佐伯の祖神、天忍日命の力が満仲へと放たれた。空間そのものが振動し、地鳴りととも一閃が闇夜を穿つ。


 ――なんだ、これは!!


 先ほどまでの攻撃も常識外れではあったが、それはあくまで人が人という範囲の中でその常識を破ったに過ぎない。だが、今回のはそれと根本的に何かが違う。


 その時初めて、少年は神の一撃を見た。


「ふふふ、いいですねぇ。そう、来なくっちゃ!!」


 尋常ならざる現象。しかし満仲は不敵な笑みを絶やさない。直後、先ほどと同じ感覚が少年を襲った。


 ――まさか!!


 少年が目を見開くのと同時に、満仲は静かに太刀を構え、口を開く。


「契神:「小碓命オウスノミコト」:神器『草薙剣くさなぎのつるぎ』」


 日本神話屈指の英雄の名と、彼が用いた三種の神器の名が響き渡った。犬麻呂と同じような詠唱。満仲の太刀は黄緑色の光を放ち、同じく神の力を宿す。


「死なないで下さいね?」


 満仲は一歩も動かず、その場で犬麻呂の一閃を真っ向から迎え撃った。神の力がこもった斬撃と斬撃がぶつかり、空間が軋む。天を割く轟音が夜空に響いた。


「やったか……?」


 閃光と砂煙が一面を覆う。刀を納め、再び槍を手に取る犬麻呂。

 大路を再び静寂が支配した。少年たちは、満仲が立っていたその場所に目を凝らす。

 しかし――影は落とされていた。


「ああ、貴方たちが強くて本当に良かった……」

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