四章 タイタニアの目覚め

四章-1 島と島の狭間

19.教えてくれてたっていいじゃないか

 話を聞いて、シック・ウィークはその整った顔を顰めた。

 確かに、生きていたいと言いはした。しかし、自身に残された時間については既に諦めている。

 現状、魔導書も取り上げられ無力な人間であるならば、せめて自身でこの世界に何か積み上げてから混沌に還ろうと、そう前向きになっただけのことだ。

 しかしその切掛となった少女は笑顔で、『死滅の魔導書』を巡る顛末を語り、諦めないと告げたのだ。

「君は何をやってるの……一歩間違えば、君が『送られ』てもおかしくなかったんじゃないか」

「そうだねー、本当、ラッキーっていうか」

「……送り手が身近に潜り込んでるのはアンラッキーじゃないのかな。僕が言うのも何だけど」

 病室の小さな丸椅子に座って己の幸運を誇るエウル・セプテムの呑気さに、ベッドの上で上体を起こして聞いていたシックは、額を抑える。

 その彼の指摘に対しては、彼女は舌を小さく出して誤魔化した。

「それで、出発はいつぐらいになるの」

「来週末の魔法船に乗る予定なんだ。島を出てる間は来れなくなっちゃうけど、ごめんね」

「そもそも、僕が頼んだ事じゃないでしょ」

 素っ気ない言葉で顔を窓に向けるが、その仕草が言葉に反して何だか拗ねているようにも見えて、エウルにはそれが可愛らしくて、口元を綻ばせてしまった。

「しょうがないなあ、寂しがりのシックくんに、ちょっとお願いしちゃおう」

 エウルが得意げにそう言うと、彼女の眼鏡が燦めいた。その言い方に、シックは鬱陶しそうに返す。

「そんな人物は存在しない」

「いいからいいから。これ、預かってて?」

 少女が押し付けるように差し出すのは、緑の石を抱えた白兎のお守り。ハピラビだ。少年はそれを、戸惑いながら受け取った。

「私の大事なお守りハピラビちゃんに、シックくんを看ててもらいます。その子は私の代わりですから」

「……そう」

「帰ってきたら、迎えに来るので、大事にして下さい」

「そりゃ、粗末に扱うつもりはないけど」

 お守りハピラビを指で摘まんで暫くそのつぶらな瞳とにらめっこしてから、ベッドのヘッドボードの支柱にチェーンを括り付けた。

 それを満足げに、エウル見届ける。

「それは良い友情を呼ぶお守りなんだ。私も持っててご利益在ったし、シックくんも、いい出会いがあると良いねっ」

「……僕はここから動けないし、無理じゃないかな」

「はっ、そうでした、今の忘れて下さい!」

「いいよ。多分、ご利益は前借できてる」

 言葉の意味が呑み込めずエウルが首を傾げると、シックは誤魔化すように立て続けてエウルに言葉をかけた。

「それよりも、準備とかで忙しいんじゃないの? 」

「あー、そうだね。それじゃ、そろそろ失礼するね。また顔出すからね!」

「別に待ってないよ」

 丸椅子から立って頭を下げるエウルに、憎まれ口を叩きながらも、シックは手を振って見送る。

 病室に一人になってから、ちらりとベッドに飾ったお守りハピラビに視線を走らせると、呟きが漏れた。

「良い友情、か」

 幼馴染達はどうしているだろうか。感情豊かな彼らの顔を思い出す。

 自分を心配して、無茶をして居なければ良いが、等と考えながら布団に体を潜らせて、目を瞑った。

「やっぱり……君の言う通りなんだな。僕は、寂しがりだったみたいだ」



 黒木真織とアイラ・グラキエースは、羊角族シープホーンの島へ向かうための買い出しの為、魔法使い協会ユニオンの指定販売店に来ていた。

 魔法使い協会ユニオンは各魔法学園の在校生、卒業生向けに、学んだ魔法が活用できる仕事を斡旋・紹介している機関であり、その仕事内容は企業の魔法機械関係等の高度な魔法知識が必要なものから、エウルが受けているような施設の手伝い、危険なものになると魔獣・害獣の討伐など、多岐にわたる。

 その指定販売店であるから、機能面では信頼できる品物が多いというわけである。

「こんな感じで、どうかな」

「あら、何だか、かっこいい感じ、似合うわね」

 片隅の試着室から現れた真織は、ぴったりとした黒いレザーパンツとロングスリーブのシャツ。その上にはカーキのダウンジャケットを羽織っている。

 中学生なりの体形なので色気は程々、しかし活動的な格好の良さがある。

「頑丈っぽいのと動きやすそう、で選んでみたんだけど、悪くない」

「何があるか分からないものね。水着も買っておく?」

「……確かに、下に着ておいてもいいかも」

 そんな事を相談しつつ、二人はひとまずその服を購入することに決め、衣料品のコーナーを離れたところで。


「「あ」」


 その人物と、黒木真織は同時に声を上げた。

 ピンクの髪の少女、ルイズ・ココだ。そのすぐ背後には、食料品の入った買い物袋を下げた、体格の良い茶髪の青年がついて歩いている。

「……彼氏さん?」

「デートかな」

「「ちっ……がうっ!」」

 ルイズと青年は異口同音に、噛みつくようにアイラと真織の言葉を否定する。

「こいつはあたしの幼馴染、兄貴みたいなもん! 丁度今仕事でこの島に来てるの!」

「こいつって……ルイズが世話になってます、ボイル・ブラッドと言います」

 ボイルが表情を引き攣らせながら真織達に名乗ったので、二人も「黒木真織です」「アイラ・グラキエースよ」と簡単に名乗る。

「……え、この黒髪が例の」

「そうだよ、声に聞き覚えあるでしょ?」

 耳打ちするボイルに、ルイズが小声で答える。

 その様子に何を勘違いしたのか、真織がアイラに声をかけた。

「アイラ、お邪魔になっちゃわないかな」

「そうね。私たちはまだ買い物あるし、この辺で……」

「違うって言ってんだろ! 食い物が安いから買い込みに来ただけだっての! こいつは荷物持ち!」

「……間違っちゃいないが、その言い方も腹立つな」

 ムキになって呼び止めるルイズに、眉をぴくぴくさせながらボイルがツッコミを入れる。

 それは聞かなかったことにして、ルイズはアイラに疑問を向ける。

「それより、あんた達こそどしたの? 服買ったみたいだけど、女子が服買いに来るような店じゃないでしょ」

「春休み中に、ちょっと旅行に行くのよ。動きやすくて丈夫な服だったら、ここの方が良いでしょ?」

「「旅行!?」」

 また、ルイズとボイルが声を揃えると、真織は(息ぴったりだな……)と前髪を指で捻りながら苦笑した。

「自然豊かな島に行くから、それなりの準備をしとかないとね」

「ということで、お二人はごゆっくり?」

「だから!」

 ルイズの抗議も空しく、真織達はルイズに手を振って、次の売り場へ向かってしまう。

「……あいつ、島を離れるって、どうする?」

「ディモス不在か。……アヤメさんが知ったら、島を沈める好機だと思うだろうな。だがそれじゃ」

「シックも見つけてないのに、それは……!」

「解ってる。それに俺は、ディモスあいつともう一度やり合わなきゃ気が済まねえ」

 取り残された二人は、この事を他の送り手に口外しないことを決めた。



「島を出る前に、機体ディモスを整備しておきたいんだけど。白槍隊ホワイトランサーズのドックでやってくれるって」

『良いですね。八年程放置しているので、一度きちんとした整備を受けるのは必要です』

 と、真織がイヴに相談した結果快諾されたので、現在白槍隊のドック内には黒い魔装が立っていた。

「こうしてみると、案外ボロボロだね」

『無理もありません。デイヴォの最後の戦いの後、そのままでしたから』

「……それにしても、イヴが魔法通信端末マナフォンにも移動できるなんて知らなかったんだけど」

 そう、イヴは今、ふよふよと真織の方の上あたりに浮いていた。居住スペースをディモスの端末から真織の魔法通信端末マナフォンに移し、その周囲に姿を現せるようになったのである。

『外に出るのも煩わしいですし。ですが整備となると、操縦席にも見知らぬ人間が立ち入るわけでしょう? こうしてマオの傍にいた方がマシです。心の平穏として』

「引きこもり体質だ。人のこと言えないけど」

『自覚しているのは大変結構』

 そんなやり取りをしていると、ツナギを着て丸眼鏡を掛けた男性一人、真織に近づいてくる。

「黒木真織さんですね。お嬢様の同級生で、ディモスの乗り手の」

「ぁっひゃい」

 ナチュラルに返事をしようとして、噛んでしまった真織のその苦い顔を、イヴはジト目で、男性は苦笑で見ていた。

「白槍隊整備主任のツォデム・シーゲルです。こんな機体見せてもらえるなんて光栄な事ですよ」

 そう目の端に皺を寄せて語る整備主任は本当に嬉しそうで、真織も思わず顔を緩めて、改めて挨拶を述べる。

「はじめまして、シーゲルさん。ディモスの事、宜しくお願いします」

「任せといて下さい。……それで早速なんですが、見ての通り外装が結構キテますよね。応急でパラダインの予備装甲打ち直して被せておきますけど」

「けど……?」

「そうすると魔装の魔導書グリモアにある設計とバランスが変わります。動きが少し重くなるかもしれません。専用の装甲は打っておきますが、出発までにはちょっと間に合いませんね」

「……ちょっっ、と待って。『魔装の魔導書グリモア』?」

 初めて聞く、しかも、真織の興味に限りなく引っかかる単語がシーゲルの口から出たところで、会話に歯止めをかけ、恨みがましい視線をイヴに向けた。

『……マオは観察が得意なので気づいていると思いましたが。空飛ぶ箒フライングブルームのような単純な機能の魔法機械が巻物スクロールで動作するように、より複雑な魔装グリモローブには機体を制御するための魔装の魔導書グリモアがあるのです。大概、座席の背凭れに格納されています』

「……そんなのがあるなら、課題もそれが良かった」

『他の魔導書とは書式が違うので基礎の勉強にはなりませんし、そもそも機能するかの確認も困難でしょう。課題には全く向きません』

「基本の書式はあるので写本とされますが、機体設計も含めて書き下ろされますからね。写本でありながら、機種ごとに内容が全然違ったりする。機能確認するには、設計通りに機体も組まなきゃいけない。確かに学生の課題向きじゃありませんねぇ」

 言い合いを聞いていたシーゲルが、横合いからフォローを入れるが、それでも真織は駄々っ子のように口先を尖らせた。

「でも、教えてくれてたっていいじゃないか」

『どうせ自分で気づくと思っていたんです』

「制御する何かがあるとは思ってたけど、複数の魔導書グリモアの組み合わせとかと思ってたんだよ」

 そうやって妖精に噛みつく真織を見て、シーゲルは楽しそうに目を細めて、こんな提案をした。

「真織さん、そんなに興味があるんでしたら、パラダインの予備の魔導書グリモア、お貸ししましょうか?」

 その提案に当然、黒木真織は目を輝かせて、勢いよく身を乗り出すのである。


「是非、お願いします!」

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