18.行こうよ、羊角族の島へ

「さて、と」

 黒木真織からの「エウル確保完了」の報告と、エウル・セプテムからの「ごめんなさい」のスタンプを確認して、アイラ・グラキエースは魔法通信端末マナフォンの画面から目を離した。

 視線の先には、羊角族シープホーンの少女が椅子に座って悄気かえっている。

 蒼白い表紙の氷の魔導書グリモア小杖ワンドを手にしたアイラの口から出た言葉は、どこか硬いものだった。

「もうすぐ白槍隊ホワイトランサーズがチャームさんを確保しに来るわ。大人しくしていて頂戴」

「……はぁい」

 いつもの元気の感じられない返事だが、その程度かと思わされる。

 彼女は、禁書を使い人を殺めるという重罪を犯している。白槍隊ホワイトランサーズに連れて行かれれば罪を問われ、死罪となってもおかしくはない。

 また、魔導書グリモアを失った魔法使いメイガスは無力。武術、体術を齧っている様子もない。

 魔法使いメイガスであるならば、平常心では居られない状況のはずなのだ。

 だというのに何ら取り乱すこともなく、どう見ても、叱られて落ち込んでいる子供のようにしか見えず、アイラは不気味さを覚えていた。

「……ねえ、アイラちゃん」

「何?」

「カレー、食べたかったなぁ……」

「残念ながら、まだ具を切っただけよ」

「ほんと、残念ざんねぇん

「……余裕あるわね。この島であんな事件を起こしておいて」

 犠牲になったのは島の民だ。アイラは島の統治者の一族として、当然の怒りを抱えても居た。

 しかし事件について触れても、チャームは首を傾げて不思議そうに言い放つ。

「悪い人とか、居なくてもいい人、選んだつもりなんだけどなぁ。その方が、もっといい世界になると思うんだぁ」

「仮にそれが本当だとしても、チャームさんのした事が許されるわけじゃないのよ」

「いいよ。どぉせ次の世界には関係ないもん」

 にっこりと。

 その純粋な笑顔がどこか異質で、不気味で、恐ろしい。慄くアイラの眼の前で、チャームは椅子からひょいと降りて立ち上がり、アイラは思わず小杖ワンドを構えた。

「動かないで!」

「ごめんねアイラちゃん。チャーム、まだ捕まっちゃだめだから。そろそろ行くね」

 平然とアイラの脇を歩いて抜けようとするチャームの足元が、凍りつく。咄嗟に放ったアイラの氷の戒めの魔法である。

 しかしチャームがくすりと笑うと、少女の足を固めていた氷は、神秘マナの霧へと還り、消失してしまった。

「これは……!」

羊角族シープホーンは魔法阻害の魔法を、生まれつき持ってるんだよ。そんなに精度は高くないけど、ちょっと集中すればこれくらいは、ねぇ」

 羊角族シープホーンが魔導書に類似した魔法回路を体内に持つ種族の一つである事を、アイラは実感として持っていなかったが故の失態である。

 その精度や強度は個体差や練度にもよるが、チャームのそれは緊急手段として有効な程度に訓練されたものだった。

「でもさ、直接攻撃の方が確実なのに」

 アイラが次の魔法のために神秘マナを収束させるその間に、チャームはその脇を駆け抜ける。その、すれ違いざまに囁く。

「優しいねぇ、アイラちゃんは♪」

 アイラが振り返った時、羊角族シープホーンの少女は廊下の窓を突き破り、学生寮の外へと飛び出したのであった。



 事の顛末をアイラ・グラキエースがボア・ソルダートと話しているところに、黒木真織とエウル・セプテムが戻ってきたので、其々の情報の突き合わせをする。

 卓上に広げられた食材だが、なにやら重要な話をしていると見た寮母が、気を利かせて調理を始めてしまった。

 そしてエウルの腹の虫が鳴いた頃に良い匂いがしてきたので、話を一旦中断し一緒にカレーを食べることになるのだった。

「いただきまーす!」

 元気よく食べ始めるエウルの対面の席で、真織とアイラは苦笑いを浮かべる。

「……随分と元気ね。あんな事があったのに」

「ちょっとね、思いついた事があってさ。それ話したら、エウルのやる気になったみたい」

「思いついたこと?」

「でもまあ、結果待ちなんだよね」

 勿体つけた言い方をして、アイラの怪訝な視線を受けた真織は、苦笑いしてカレーを一口。

「それはともかく。……アイラが無事で良かった」

「私が? エウルじゃなくて?」

「ティアさんを疑ってたのに、アイラに任せちゃったから。アイラが怪我でもしてたら、責任感じちゃうよ」

「さっきはエウルを止めるのが優先だったもの。拙速でもしょうがないわ」

「ごめん。ありがと」

 二人がそんなやり取りをしているその隣のテーブルでは、二人の白槍隊員がカレーを食べていた。出来上がったカレーを消費する為に、寮母が引き止めたのである。

 やがてアイラと真織のやり取りを聞きながらスプーンを運んでいたボアが、口を開いた。

「それにしても真織嬢は、原書オリジナルの所有者というのみならず、御本人の才覚も大したものと、今更ながら感服しましたぞ」

「ふふ、そうでしょう。私の目に狂いはないのよ」

「……ボアさんもアイラも、むず痒いから勘弁して」

 そう言って真織は、ふぅ、と深く息を吐くと、自身に向けられた視線に気づいた。

 ボアの向かいに同席している、柔らかな金髪の青年からだ。

「あの……?」

「あ、失礼しました! 自分は白槍隊・市街守備班、ガイト・レオンと言います!」

「あ、はい……黒木真織です」

 言葉の勢いについ圧倒されてしまうが、嫌な感じはしない。実直で素朴な印象で、真織としては嫌な印象は受けないが、苦手なタイプではあった。

「先日は力を貸していただき、ありがとうございました!」

「……えっと?」

 話が見えずに首を傾げる真織に、ボアは苦笑を浮かべる。

「いつぞやの送り手の襲来時に対応したパラダインに乗っておったのは、儂とこやつなのだ、真織嬢」

「ああ、なるほど」

「あの時は、不甲斐ない姿を見せてしまって」

「とんでもないです。私は、あんな風には戦えないですし」

 ディモスと魔導書があったからどうにか不意を打って押し切れたが、もし接近戦になったら、心得のない自分がまともに対応できたとは、真織は思っていなかった。

 数の不利もあったのだし、アイラに危険がなければ放っておいても、送り手の撃退自体は果たせたのではないか、というのが真織の見立てであった。

「そういえばマオちゃん、魔法戦闘は苦手って言ってたもんね」

 食べながら聞いていたエウルが口を挟むと、真織がうんうんと頷く。

「この世界に来た以上、ディモスの乗り手として必要なのは解るんだけど……」

「そういう事なら」

 ガイトと名乗った青年は、自身の胸板に掌を当てて、笑顔を見せる。

「自分で良ければ相談に乗りますよ。いつでも声をかけて下さい」



「偉そうに言っておいて、真っ先にしくじるってどうなのよ」

 そう悪態をついたのはルイズ・ココ。

 夜の公園の片隅、夜闇に溶け込むように張られた魔法結界の中で話をするのは、彼女と、もう一人。

「まあ、あいつの場合、好き放題に動いて成果を上げるタイプみたいだしな。それが今回裏目に出たって感じだろう」

 ボイル・ブラッドはチャームを無事回収したことを、情報交換ついでにルイズに伝えに来たのである。

「それにしたって油断しすぎ」

「そりゃまあそうだ。お友達ごっこで随分と、学園生活に浸かってたみたいだな」

「……ああ、もう」

 その事を批判するには、ルイズの中にも心当たりがありすぎた。油断する気持ちも解ってしまう。いつか彼女らの心に刻まれた世界への絶望が、何かの間違いだったのではないかと思えるほどに。

「ルイズ。お前はしくじるなよ? この状況でお前がしくじったら、ロサノワールの方に捜査が入る事になる」

「分かってる。シックもまだ見つかってないし、今度は簡単に逃げない」

 その返答を確認すると、ボイルは結界の中から立ち去り、ルイズもまた結界を解くと、別の方向へ。今の寝床である、学生寮へと戻るのだった。



 風を裂く音と共に、真っ二つにされた木の人形が地面に崩れる。

 その対面には、指先を人形の方に向けた黒木真織と、唖然としているアイラとエウル、そしてタイガ学園長の姿があった。

魔導書グリモアとしてきちんと機能する事を確認、『合格』、と。……凄いな、正本より精度を上げてくる子は高等部でも珍しいのに」

「いえ、予想はしてたわよ? でも、小杖ワンドも無し……その魔法変換効率って」

 通常、魔法使い《メイガス》が小杖ワンドを使うのは、杖に魔法の発動地点を定める指示棒の役割と、魔導書グリモアにより魔法に変換された神秘マナを保持しておく役割があるからである。

 出力を上げる程必要な神秘マナの量も多くなり、最低でも小杖ワンドで保持しておけるだけの神秘マナを変換しなければ有効な攻撃魔法は発動できないのが常識であり、通常の魔導書であればその量全てを変換するのに僅かに時間がかかるが故に、小杖ワンドで保持しておく必要がある。そうしなければ魔法が立ち消えてしまうのだ。

 黒木真織が今やってみせたのは、それと同等の量の神秘マナを瞬時に変換し、保持の必要も無く、そのまま発動したのである。

 魔装グリモローブを使用した上であれば、指だけでも小杖以上のサイズがあるので杖なしで発動できてもおかしくはないが、生身でそれを成すには魔導書グリモア自体の変換効率が高くなくてはならない。

「やっぱり原書オリジナルの書式を参考にしたのが大きいんじゃないかな。この仕様にしたの、『風の刃エアブレード』だけだけどさ」

「マオちゃんてさ、何ていうかこう……凝り性なとこあるな、とは思ってたけど」

「エウル、正直に『変人』て言っていいと思うわ」

「そうかな、ありがと」

「「褒めてないけど?」」

 口を揃えるアイラとエウルに、真織は肩をすくめる。その横で、タイガが深く息を吐いた。

「なるほどね。それ程よく原書を観察していれば、に気づくのも当然だね」

?」

「あの件、やっぱりだったんだよね?」

 真織が訊き返すと、タイガは頷いて、話を続けた。

「うん、今日は黒木さんの進級認定ついでに、それを伝えに来たんだ」

「え、兄様、どういうこと?」

「チャーム・ティアドロップが持っていた二冊の魔導書グリモア、黒木さんの見立て通り、同じ写本師である可能性が極めて高い。それも、書式や素材がかなり原書オリジナルに近い」

 言いながら、タイガは緑の表紙の魔導書をエウルに手渡した。エウルがチャームと交換した『治癒の魔導書』であるが、この分析のためにタイガが借りていたのだ。

 この分析結果に真織はエウルに視線を向けると、エウルは目を輝かせて、力強く頷いた。

「結果待ちってこの事? マオ、エウル、きちんと説明なさい!」

「ええとつまり。ティアさんが持ち込んだ『治癒の魔導書』と『死滅の魔導書』は写本師さんが同じ。だったら出処も同じじゃないかなって」

「チャームちゃん、『治癒の魔導書』を長老様に貰ったって言ってたんだ。きっと、羊角族シープホーンの長老さんの事だよね」

「それがエウルのやる気と、どう繋がるのよ」

「同じ『生命の魔導書グリモア』を元にした、同じ写本師の選集本アントロギアが両方揃っていたって事は……もしかすると、そこから原書オリジナルの行方が辿れるかもしれない」

「あ……!」

 アイラはその可能性を示されて、目を見開く。

 無理もない。本来、原書オリジナルは一般的な多くの魔法使いメイガスにとっては縁のない存在なのだ。

 それと知らずに身近に置いていた、その一冊の所有者である真織でなければ、これ程気安く原書オリジナルの存在には触れられないものであろう。

「イヴから聞いたんだ。原書オリジナルは人の法で縛れない。そういう素材、そういう作りになっているからって。その代わり、所有者以外には使えないけど」

「だから、原書オリジナルを手に入れるか、所有者を探して協力してもらうか……なるほど……」

「私の進級も無事決まったし、もうすぐ春休みだからさ」

 その言葉は、あまりにも気軽なものだった。

 長期休暇の間に旅行にでも行こうか、という程度の軽さで、黒木真織はさらりとこう告げたのだ。


「行こうよ、羊角族シープホーンの島へ」

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