4.只今マイクのテスト中
アイラ・グラキエースは、どうも様子がおかしい、と思い始めていた。
自身を狙う青い
それの載っている「水の魔導書」は数多くの写本が出回っていて、目にする機会がそれなりにある魔法だ。
狙った周辺に無数の高水圧水流を浴びせ対象を粉砕するもので、「物を壊せる勢いのシャワー」と言えば想像しやすいだろうか。射程は短いが対象物が小さいからと言って、そうそう外すような魔法ではない。
それなのに先程から、走って逃げるアイラの後方の道を壊して行くばかりで、かすめる気配もない。当たって欲しいわけではないが、しかし違和感を覚える。
(弄んでいる……違う、躊躇っている?)
そう、アイラは直感した。
おかしな思想に染まってはいても、
アイラはふとそう思ったから、足を止めて振り返り、滞空している
カエルラの操縦席で、シック・ウィークは焦っていた。
あの少女を「送らなければいけない」のに、魔法を発動する瞬間、照準が合わない。手元が震える。
『焦るな落ち着け! 落ち着いてやれば、お前なら大丈夫だ!』
『こっちはあたしらが相手してるからさ、急がなくていいよ!』
「!」
少女が、逃げるのをやめた。
見上げるその視線は、
(なんて、綺麗な人だ)
透明度の高い氷のような、凍てつくほど澄んだ瞳が。風に靡く長い白銀の髪が。背筋を伸ばして見上げるその立ち姿が。
とても、美しく見えた。
その視線は、シックの中の弱さを見透かしているように見えた。
己の罪を責めるようにも見えた。
それらを突き付けられて、背筋から恐怖が這い上がってくるようだった。
「ぅ……ぁああああぁぁーーーーっ!」
その全てを消し去ろうと、杖を構え、魔法を発動した。
その筈だった。
ルブルムとプルプラと斬り結んでいる二体の
「行かせないよ!」
「
プルプラの操縦席で叫ぶルイズ。対するパラダインの操縦席で苛立つ
彼は肉体的な最盛期は過ぎている初老の魔法使い《メイガス》であるので一線を退いているが、現在の隊長を含む主力が式典のため王都に呼ばれているため、街の警護に引きずり出されていた。その最中に、襲撃があったのである。
彼は地上のアイラ・グラキエースの姿に気づき、救助に向かおうとしていたが、しかしそれが却って気を散らす原因となり、若い「送り手」達のペースに飲まれてしまっていた。
「アイラ様……!」
その彼女が街の外に在り、
その時、黒い穴が現れた。
カエルラと、アイラ・グラキエースの間に、忽然と現れたのだ。
黒い穴は、
その場の全員が、何が起きたのか測りかねていた。
やがて穴の中から、腕が突き出した。艶のある漆黒の装甲に覆われた、巨人の腕だ。
そしてシックは慄く。
彼の真正面に現れた穴の中、腕に続いて現れたその顔は、額の左右に突き出た捻れた角の装飾もあって、嘲笑う黒い悪魔のようだった。
黒い悪魔は己が這い出した穴の縁に足をかけ、それを足がかりにカエルラに飛びかかる。黒い巨体が完全に穴の外に出た瞬間に、穴は小さくなって消えてしまったが、シックはそれを視認できなかった。
黒い機体の五本の指から至近距離で放たれた何かが、カエルラの頭を潰したのだ。
視界と制御を失い、青い機体が仰向けに地に墜ち、倒れ伏す。
「っ……ぐ、ぁっ……」
その落下の衝撃は激しく、揺さぶられたシックは正面操作盤に倒れ込み、気を失ってしまっていた。
翼を広げ空中に佇む黒い機体の姿は、その場において異彩を放っていた。
騎士然としたパラダインは
比してその黒い機体は、明らかに
時が止まったような沈黙を破ったのは、ボイル・ブラッドだった。
「よくもシックをぉ!」
赤い機体の大剣から、逆巻く炎の渦が放たれる。
ボイルの、弟分であり親友でもある幼馴染の機体を墜とされた、その怒りをそのまま炎に変えたようだった。
しかし、黒い機体が指先をルブルムに向けると、そこにまた黒い穴が現れた。その黒い穴は渦巻く炎を全て飲み込むと、小さく縮んで消失する。
「ん、な……っ!」
『思い、出した……あいつ、ヤバいよ! あれ、ディモスだ!』
唖然とするボイルの耳に、ルイズの悲鳴のような叫びが届けられた。
「……そうか、ディモスだ!」
機体の名を思い出したのは、ボア・ソルダートも同様だった。何せ彼は、かつてその機体と戦った事があるのだ。
「だが、馬鹿な……! 『
「ディモスって言えば、一昔前の大先輩、
『知らないよ! でもデイヴォは、
『ぁー、あー、テステス。只今マイクのテスト中』
敵味方の魔装の乗り手達が混乱する中、少女の声が、周囲に鳴り響いた。
『ぇー、送り手の諸君に告ぐ。破壊行為を中止し、速やかに投降せよ』
何かを読み上げているようで、まるで棒読みな少女の声。
そんな酷く聞き覚えのある声が、黒い
「黒木、さん……あなた、なの……?」
『こちらには諸君を制圧する用意がある。……ねえ、これホントに大丈夫かな』
『こういうのはハッタリを効かせるのが大事です。堂々として下さい』
『ハッタリって……今の、外に聞こえちゃってるんじゃないかな』
間抜けなやり取りが外部に筒抜けになり、やがてボイルが再び頭に血を上らせた。
「この……ふざけやがって!」
とはいえ学習していないわけではない。炎を放ってもかき消されるだけなら、と大剣を構えて距離を詰めようとしたのだ。
至近距離で撹乱し、あの意味の解らない「穴」を出現させる前に、またはそれを躱して、一撃を叩き込む。そんな腹積もりであった。
しかしディモスが右手の揃えた五指をルブルムに向けた次の瞬間、硬い物を連続で打ち付けるドラムロールのような音がして、ルブルムはバランスを崩し、ディモスの脇に大きく逸れて、地面に激突した。
五指から連続で撃ち出された無数の黒い魔弾が、大剣を持った腕を砕き、千切り飛ばしたのである。間近で見ていたアイラは、それがカエルラの頭部を潰したのと同じ攻撃であることに気がついていた。
「あれは魔法弾の高速連射、あんなのどうやって……それに、どういう属性の……?」
「んな……っんだとぉ……!?」
信じられない、といった様子で、ルブルムは片腕で機体を起こし、ディモスを見上げる。そこに、ルイズやシックとは別の声が、通信で割り込んできた。
『ブラッドくん、ココくん。退いて下さい』
「でもよ先生、シックが!」
『問題ありません。……結局君たちは一人も送ることが出来なかった。彼が捕らえられたら彼の
その言葉は、シックを取り戻す
『……しょうがないよ。帰ろ、ボイル』
すっかり意気消沈したルイズの声に、ボイルはやむなくルブルムを
「っ、くそぉ……っ!!」
飛び去る赤と紫の機体を表示板に認めながら、イヴは不服そうに口を尖らせた。
『投降せよ、と言ったのですけどね』
「別に退却でも、どっちでもいいよ。氷川さんが無事だったんだから」
真織は彼女なりに気が張っていたのか、くたびれた様子で背もたれに寄りかかる。そして怠そうな手付きで操作盤に触れると、ディモスの高度を上げ、そのままその場を飛び去った。
ふと見下ろすと、
(……あ、今「氷川さん」て)
真織は自分の言葉で、自分の中ではやはりそれが落ち着くのだと気づいて、一先ずそれで良いことにした。
「ディモスとは、懐かしいものを見ました」
黒い
「乗り手はどうやら、デイヴォくんでは無いようですが、さてしかし……」
真黒のデイヴォと呼ばれた若い魔法使い《メイガス》が姿を消してから八年足らず。彼が魔導書を託し得る相手に、心当たりが全く浮かばない。
ただ、そんなこの男にも理解できることはある。
「『虚無の
その島が浮かんでいるのは、どうやら海や湖ではなかった。
様々な色彩を放つ濃密な
グラキエース島は、そんな島の一つに過ぎなかった。
その島の姿に男が背を向けると、雲間に溶け込むように、潜むように。
黒い船は、何者からも姿を消した。
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