2.どこにあるの、学校

 いざ出かけるとなれば外出着に困る黒木真織であるから、学校見学だったら学校の制服で良いだろう、と内心安堵していた。

 一人で出歩くならジャージでもなんでも構わないのだが、出かける相手が居るなら同行者に迷惑はかけられない、程度の良識は持ち合わせていたのだ。

 大き目の黒い無骨なスマートフォンで時計を確認してから、それを学生鞄に放り込み、寝室で寝入っている父母に「行ってきます」と声をかけると、母親である黒木くろき早紀子さきこがぼんやりと布団から顔を出して、首を傾げる。

「あれぇ……今日、お休みよね?」

「昨日予定が入った。学校見学」

「学校……?」

「クラスの人の付き添い。どの学校かは聞いてないけど、参考にどう? って」

「へぇ、そうなの。……へぇー、クラスの人ねぇ」

 母親がニヤニヤ笑いながら探るような目で見てくるものだから、溜息ひとつ吐いて「夕方には戻る予定。それじゃ」と逃げるように寝室の扉を閉めた。


 果たして待ち合わせ場所には、制服に身を包んだ人形の如き美少女が、満面の笑みで待ち構えていた。

「おはよう黒木さん」

「……おはよう、氷川さん」

 何か凄く楽しそうだな、と内心で呟きつつも、挨拶を返した。そして互いに交通系ICカードを所持していると確認すると、駅の改札を抜け、ホームで電車を待つ。

 この駅に、今日彼女らの乗るべき上り列車の本数は一時間に二、三本といったところだから、多少の会話を交わす時間は十分にあった。

「来ないかも、と思ったけど、来てくれてうれしいわ」

「……まあ、行くって言っちゃったし」

「言ったことは守る、ということ?」

「実は氷川さんは怖い人で、学校で顔合わせた時に嫌な事されるかも、ってことかな」

「っ……~~……っ、ははは、なぁに、それ……っ!」

 真織のぼんやりとした返答に、愛良は吹き出し、続けて腹を抱えてけたけたと笑い始めてしまった。何かツボに入ってしまったようで、真織は不本意なその反応に、くせ毛の先を指先で弄りながらぼやいてしまった。

「……そんなに、面白いこと言ったかなぁ……」

「言った言った! っ、ふふ、実は怖いかもしれない人に、直接言うことじゃ、ないでしょう……!」

「それは……まあ、そうかも」

 愛良の言葉に真織が納得して呟いた隣で、落ち着きかけていた愛良の笑いが真織の返答に再度噴出してしまう。その間に列車が到着したので、二人は乗り込む事にした。

「ぁー、おかしい、黒木さんやっぱり、面白いわ」

「……やっぱり面白くはない、と思うんだけど」

 二人はそんな言葉を交わしながら、閑散とした車両内の左右に配置されているボックス席に、向かい合わせに腰を下ろす。

「……で、学校見学って、どこの学校?」

「内緒よ」

 昨日から抱いていた真織の疑問に愛良は即答する。言葉だけなら短く素っ気ないものだが、愛良がとてもにこにこと機嫌よさそうにしているものだから、真織もまあいいや、という気分になるのだった。


 電車で一駅と言っても、地域によってその距離感は違うものだ。

 黒木真織らの利用した路線におけるそれは正しく地方都市のそれであり、自転車を使って行けなくもない距離ではあるが、しかし同時にその選択が躊躇われる距離であることも間違いなかった。

 二人は列車から降り改札を抜け、どこか古臭さの残る街並みを抜け、そして大きな鳥居の傍らに出店された、小さなポップコーン屋台前の短い列に並んでいた。

「……あのさ、学校見学は」

「向かってるわよ?」

「どこにあるの、学校」

 この辺りにある学校など記憶にないし、スマホの地図アプリを確認しても、それらしきものは確認できない。

「まあ、今日は私についてらっしゃいな」

 氷川愛良が楽し気に微笑むと、黒木真織も言う通りにするしかなくなってしまう。

「……ここの屋台、いつもある気がする」

「知ってるの?」

「知ってるというか……もっと小さい頃、母さんの職場がこの辺りで、来たことある」

 おぼろげに記憶にある風景を見渡していると、真織は自然と当時の事を思い返していた。

(そういえばあの日も。お腹が空いてて、ここでポップコーン買おうとしたんだっけ。そしたら、お財布の中身が足りなくて)

「ごめんなさい、ちょっと持ち合わせが無くって。百円で買えるの無いかしら?」

「そうそう、あの時も百円で……ってちょっと、お金無いの?」

 自分たちの順番になった時に愛良の口から発せられた言葉に、真織は目を剥いた。

 しかし愛良は全く気にした様子もなく、小さなカップに入れられたポップコーンを受け取って列を離れたものだから、真織は慌ててそれを追いかける。

「言ってくれれば、私も出したのに」

「いいのいいの。

 愛良はそう告げると、ポップコーンをひとつ摘んで口に放り込み、そして残りのカップを真織に差し出した。

「どうぞ」と言われ、真織も遠慮がちにひとつ摘まむと、口に入れる。

「……美味しい」

「そう?」

「こういうの、久々だからかも」

 何故か鳥居をくぐり、神社の石段を登り始めた氷川愛良の後を、黒木真織は歩く。

 人の多い広い参道を歩いていたはずだが、暫く歩くといつの間にかその道を外れ、人気のない小路を進んでいた。

「ここよ」

 そう氷川愛良の指し示したものは小さな鳥居であり、その奥にはちょっとした祠のようなものがある。

 そこで黒木真織は、あらゆるツッコミを差し置いて湧いてくるに呆然とした。

(私はここに、来たことがある。っていうか――)

「さあさ、行くわよー?」

 いつの間にか真織の背後に回り込んだ愛良に背を押され、「わ、ちょ……!」などと言葉にならない声を上げつつも、つんのめるように鳥居をくぐった瞬間。


 色彩が、弾けた。

 鬱蒼とした木立の狭間に立っているのは変わらない。違うのは鳥居の代わりに大きな石の扉が置かれていること、そして空の色だ。それを埋め尽くしている雲が赤く、青く、或いは黄色く、万色が渦巻いていた。

 ただそれを透かして届けられる「何か」の光は、不思議なことに地上に存在するものの色彩は正しく――という言葉は適切で無いかもしれないが――映しているようで、黄や茶色の枯れ葉に木の枝、紺を基調とした真織の制服の色などに影響を与えている様子はなかった。


(……ここって、やっぱり)

「ようこそ、魔法世界マナリアへ」

 かけられた声の主の方を向いて、真織は唖然とした。

 その少女。目鼻立ちは確かに氷川愛良のものであるはずだ。しかし冬の夜闇のように冷たい煌めきを宿した黒髪はそこにはなく、代わりに星の輝きを纏わせたような、眩い白銀の髪が風に揺れている。

 空の色が色彩を狂わせているのではないのだから、本当に「そういう色になっている」という事に、間違いはなさそうだった。

「氷川、さん……?」

「そうよ」

 その色を確かめるように少女は己の髪を左の手指で梳いてみてから、またにこりと笑った。

「氷川は偽名、だけどね」

「……ええぇ」

「本当は、アイラ・グラキエースっていうの」

 悪びれもせず涼し気に。改めて名乗りながら銀髪の少女が歩き出したので、真織は再びその後ろについていく。

「それじゃ、グラキエースさんだね」

「そうなんだけど、呼びにくくない? 自分で言うのもなんだけど」

「じゃあグラ……グラキ……」

「そんなとこ悩まなくっても。アイラでいいわよ」

 歩きながら腕組みし、眉根を寄せる真織に対し、アイラ・グラキエースと改めて名名乗った少女は品よく笑って告げてみる。が、しかし、真織の表情はより難解さを増してしまった。

「……それだと、馴れ馴れしすぎる気が、する」

「逆に、何でそんな余所余所しくしようとするの?」

 そう改めて問われると答えに窮してしまう。頭の中でぐるぐるとそれを探して回る黒木真織だが、そのうちに自身が迷子になりそうになっていた。

「えっと、ごめんなさい。理由は解らないけど、嫌ってこと、あるものね」

「……ごめん」

「いきなり魔法世界こっちに連れてきて、混乱もしてるだろうし」

「ぁ、それ」

 真織は言われて思い出したように、胸の前で手を叩く。

「普通こういうの、バレないように干渉しないように、とかあるものじゃないの?」

「普通はそうなんだけど。スカウトって言うのかしらね、こういうの」

 アイラがそう言ったところで木立を抜け、視界が開ける。

 ここは小高い丘になっているようで、道の先の平野にある、異国情緒あふれる街並みが一望できた。

 その中心にある一際目を引く建造物――天を射るような尖塔の周囲に、複数の大きな施設と広場。それが高い塀に囲われている一帯を、アイラは指し示した。

「……学校?」

「ええ。あれがグラキエース魔法学園」

「魔法……あ、グラキエースって」

「ものすごく端折って言うと、このの領主の一族なのよ、うち」

 二人で街に向かう道を歩きつつ、会話は続く。

「で、この魔法世界マナリアにある17の魔法使い育成機関の一つがここにあって、魔法使いの名門でもある当家は、その運営に関わってるってわけ」

「魔法使い……それで、生徒のスカウト、ってこと?」

「ええ。何か直感的でうまく言えないんだけど、黒木さん、向いてそうな気がして」

「……なるほど、それで学校見学って」

 何か複雑な、しかし納得したような呟きを返して、何となく視線を上に向けて。そのまま、黒木真織は立ち止まった。

「ねえ、あれ」

 その言葉と、二人の頭上で光が遮られるのと、どちらが早かっただろうか。

 気づいたアイラも上を見て、目を見開く。

魔法船マナシップ……あの紋章は『送り手』の!」


 そこには黒く長大な何かが浮かんでいて、船と言われればそう見えなくもなかった。真織の通っていた中学校の校舎くらいはあろうその船底には、広げた手の平のついた三本の腕が巴紋のように中央に向かって渦巻いた、白い紋章が大きく描かれている。

 そんな巨大なものが人の意のままに動くならば、それに積まれた何かの装置によって動いているという事である。その影響で吹き荒れはじめた風や、大地を細かに揺るがす唸るような轟音は、黒木真織の呟きを掻き消すのに充分であった。


「『送り手』……混沌の、送り手、か」

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