第四話 入学式(後編)②

 どこかで大きな地響きが起こり、広間が大きく揺れた。

 進行役はすぐに皇帝の傍まで走り、庇うように皇帝の傍に立った。


「何事だ!」

「城壁の一部が破壊されました! 魔獣のようです!」


 進行役が状況を確認する。巨大な魔獣が城壁を破壊し、そこからさらに、何者かが潜入しようとしているらしい。

 大広間で待機していた他の兵士たちは、報告を聞くとすぐに現場へと向かった。

 その知らせは、大広間にいる人々を混沌の渦に陥れた。

 何が起きたのか分からず立ち尽くす者もいれば、襲撃の恐怖から悲鳴を上げる者もいた。


 「皆さん、落ち着いてください!」

 

 進行役と似た服を着た女性が、人々を落ち着かせようと呼びかけていた。

 その混沌の最中でも、継承者たちの反応は様々だった。

 カイは、何が起きたのか分からず、他の人々と一緒に混乱していた。

 ハヤテも、戸惑いを見せていたが、その手は刀の柄に触れており、警戒態勢に入っていた。

 エミールは、混乱する人々を落ち着いた様子で眺めていた。

 ブラウは、取り乱すことなく、弓に手を伸ばしていた。

 ふと、カイは隣を見ると、ベレトが笑っていることに気づいた。手に入れたばかりの玩具でさっそく遊ぼうとする子供のような、だが、子供というにはどこか邪な笑顔だった。

 カイは、どこか不安になり、彼女に声をかけた。


「……ベレト?」


 しかし、カイの声は届いていないようだった。ベレトは、ポツリと一言だけ呟いた。


「……コイツの力、試してみるか」


 その瞬間、ベレトは騒音の元へと走っていった。


「私も行きます!」


 そんな彼女の姿を見て迷いが晴れたのか、ベレトの後を追いかけて、ハヤテも走り出した。


「ちょっ、マジか!?」


 二人の姿はすでに見えなくなり、カイは呆然とした。


「下手に動かない方がいいと思うけど……気が短い子たちだね」


 そんな二人に呆れながら、エミールは杖を取り出し、小声で何かつぶやくと、杖の先端から何かがでてきた。

 先端から出たのは泡だった。泡はみるみるうちに大きくなり、最終的に広間全体を覆うほどの大きさになった。泡は広間にいるすべての人々を包みこみ、エミールはそれを確認すると、人々に呼びかけた。


「皆さん、この大広間に結界を張りました! これである程度の安全は確保され、防御の補助になるはずです!」


 エミールの言葉に人々は安堵し、混乱は少しおさまった。


「ところで、君は行かないの?」


 エミールは、その場を微動だにしないブラウの方に振り向き、質問した。

 ブラウは<継承器>を背中から外し、右手のひらに魔力を集め、一本の矢を作った。その矢をつがえながら、質問に答えた。


「ここに攻撃が来る可能性がある。自分はそれに備える」

「なるほど。まあ、無謀にも敵に立ち向かって返り討ちに合うよりは、そっちの方が妥当だよね」


 エミールの言葉に、ブラウは疑問を抱いた。


「無謀? 作戦の一つではないのか?」


 ブラウの問いに、エミールは肩をすくめながら答えた。


「無謀でしょ。戦いの経験がないだろうに、安易に敵に突撃するのは」

「そうなのか」


 会話はそこで終わり、二人はすぐに警戒態勢に戻った。


(すごい……)


 カイは、エミールの魔法と手際の良さ、ブラウの警戒心に感嘆した。同時に、今だにどうするべきか迷う自分に焦りを覚えた。


(ベレトとハヤテは敵のとこに行った。エミールは結界を張って、ブラウも戦う準備をしてる。じゃあ俺は……)


 エミールの言葉は、カイの迷いをさらに強めていた。

 カイは、視線を下に向けると、自分の足が震えていることに気づいた。


(……怖い)


 魔獣が怖いのもあるが、それと同じくらい、戦って死ぬのが怖い。

 カイの心は、恐怖の色に染まり始めていた。

 戦い慣れてないにも関らず無謀にも敵に立ち向かうか、戦い慣れている者たちに任せてその場で待機し守られるか。

 どうする。

 どうする。

 どうすれば──

 ふと、カイは怯える人々の中に、商人の子供の姿を見つけた。子供は泣きながら、父親にしがみついていた。

 その姿を見た瞬間、カイの心にかかっていた靄が晴れた。そしてすぐに、行動に移した。

 

「二人ともありがとう! そのままみんなを頼む!」


 カイはエミールとブラウに礼を言うと、ベレトとハヤテの後を急いで追いかけた。

 二人は、遠ざかっていくカイの背中を見ていた。


「彼も行くのか」


 エミールは、ため息をついた。


「本当に、短気な子ばかりだね」



 廊下を走りながら、カイは自分の選択について考えていた。


(……戦ったこととかないし、怖いし、自分よりも強くて、戦い慣れてる人たちに任せた方が絶対いい。でも……)


 恐怖に陥り混乱する大広間の人々と、泣いていた子供の姿を思い出す。カイは、剣の柄を強く握り締めた。


(あんな人たちを見たら、怖がってられないよな!)


 カイは、勇気を振り絞りながら、戦いの場へと急いだ。



 白亜の壁が破壊された場所にいたのは、猪だった。

 普通の猪よりも何倍もの大きさを誇り、大きな牙が生えていた。この異形の獣こそが、アストラル大陸に住む人々の脅威──魔獣、その一種であった。

 兵士たちは、剣と弓など、様々な武器で魔獣を討とうと立ち向かう。しかし、魔獣の硬い皮膚には刃も矢も通らず、突進や足踏みによる衝撃波によって吹き飛ばされた。その攻撃で、壁がまた破壊された。


「フハハハハハ、いいぞいいぞォ!! これなら城の兵士も敵ではないな!!」


 巨大な猪の足元に、小さい猪の上に跨り、赤い帽子を被った緑色の小鬼が現れた。

 小鬼は、魔獣が兵士たちを蹴散らすさまを見て、手を叩いて歓喜していた。そして、帽子を深く被り直し、声高らかに宣言した。


「今日こそその王冠をいただくぞ、バルトロメイ!!」



「また君か、レッドキャップ……」


 兵士が展開した複数の映像魔法を通し、敵の姿を見た皇帝が、ため息をついた。その様子は、小鬼の襲撃は今回が初めてではないことを意味していた。


「追い払いますか?」

「……いや」


 皇帝は、進行役の進言をやんわりと否定した。


「せっかくだ。今回は、彼らに任せてみよう」


 その視線は、別の映像に映し出されている、継承者たちの姿に向けられていた。


 援軍が来たものの、兵士たちはいまだに魔獣を倒せず、防戦一方にまで追い込まれていた。

 その中である兵士が、「勝ち目は無い」と判断し、どさくさに紛れて逃げようとしていた。しかし、後退を始めた瞬間、足がもたれて転んでしまった。すぐに立ちあがろうとするが、地面が揺れ、また転んでしまった。周りを見ると、仲間が皆倒れていた。それを見た兵士は、身体中から温度が消えていき、死が間近に迫っているのを感じた。

 魔獣は邪魔な兵士たちを踏み潰そうと、足を上げた。


 その瞬間。

 魔獣の体から、血が勢いよく吹き出した。


 魔獣は、不快感を覚えるほど甲高い悲鳴を上げながら、地面に大きく倒れた。その胴体には、剣で一閃された跡ができており、そこから血が滝のように流れていた。

 兵士の目に入ったのは、漆黒の剣と、宵闇色の髪の少女だった。

 ベレトが魔獣に斬りかかり、その体に大きな傷をつけたのだった。

 兵士たちは、自分たちの力が及ばなかった頑丈な魔獣にダメージが入ったことに驚き、<継承器>とその使い手に、あっけにとられていた。


「コイツはいいな、よく斬れる!」


 ベレトは笑みを浮かべたまま、兵士たちには目もくれず、次は足を斬り落とそうと走りだした。

 魔獣はベレトがこちらに向かってくるのに気づくと、血を流しよろめきながらも再起し、その大きな牙を振るおうとした。


 その瞬間、その足から血が吹き出し、再び地面に倒れた。


 兵士たちの目に入ったのは、緑色に淡く光る刀と、大樹色の髪の少年だった。ハヤテが、兵士たちの目にもとまらぬ速さで、刀で魔獣の足を斬りつけたのだった。


 「皆さん、早く逃げて下さい!」


 ハヤテの言葉に我に返った兵士たちは、負傷者を連れて急いでその場を後にした。

 ベレトはハヤテに近づき、声をかけた。


「このデカブツは私一人で充分だ。邪魔だからオマエはさっさと戻れ」

「いいえ」


 ベレトの言葉を、ハヤテは否定した。


「誰かが犠牲になるのを、ただ見ているだけなのは嫌なんです。私も一緒に戦います!」


 引く気がないことを察したベレトは、渋々了承した。


「好きにしろ。だけど邪魔になるようなら斬る」

「ありがとうございます! 邪魔にならないよう頑張ります!」


 ハヤテは、一緒に戦うことを許してくれたベレトに感謝した。

 二人は改めて魔獣の方を見据えた。魔獣は足からも血を流しながら再び立ち上がり、その目には怒りと憎悪が込められていた。

 ベレトがいの一番に走り出し、ハヤテもそれに続いた。二人は魔獣に斬りかかろうと武器を構えた。

 その時。


「アアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」


 魔獣が悲鳴にも聞こえる大きな金切り声を上げた。二人はその声に怯み、うずくまってしまった。その隙を見逃さず、魔獣は牙を振るい、二人纏めて撥ね飛ばした。二人の体は城壁に思い切り叩きつけられ、そのまま地面に滑り落ちた。

 そこに、カイが現れた。


「二人とも、大丈夫か!?」


 カイは、二人に駆け寄ろうとした。


「危ないです! ここから離れて下さい!」


 ハヤテは、カイを逃がそうとした。ベレトも、カイの足が震えていることに気づき、声を荒げた。


「失せろヘタレ、オマエがいても足手まといなんだよ!」

「わかってる!」


 カイも、負けじと大きな声を上げた。


「わかってるけど、怖がってられないだろ!」


 ズシン、と揺れが起きた。カイは、魔獣がすぐ近くまで来ていたことに気づいた。

 カイは鞘から剣を引き抜き、両手で構えた。剣は重く、戦いから逃げないための錘のようにも感じた。さらに、足の震えも強くなるのを感じた。カイは動こうとするが、足は重く、一歩も踏み出すことができなかった。


(決めたのに、剣を抜いたのに、足が……動け! 動けよ!)


 カイは足を動かそうとするが、足はピクリとも動かなかった。

 魔獣はカイが動けないことに気づくと、ニタリと笑い、そのまま踏み潰そうと足を上げた。足から流れた血が、カイの頭に落ちてきた。血は生温かく、鉄の匂いがした。カイは、死の気配をひしひしと感じていた。


(死ぬのは嫌だ……!) 


 カイは目をぎゅっとつぶり、魔獣の足が勢いよく振り下ろされた。


 その時、剣が強く輝き出した。

 その金色の輝きは、まるで太陽の光のようだった。


 魔獣は光に目がくらみ、よろけた。それでも敵を踏み潰そうと、もう一度足を上げた。

 しかし、カイの姿はなかった。

 どこにいった? 魔獣は周りを見回す。ふと、上を見上げると、何かが落ちてきているのを捉えた。

 それは、カイだった。魔獣が光に目が眩んだ隙に、カイは高く跳んだのだった。

 カイは魔獣の首を目掛けて落ちていき、剣を思い切り振り下ろした。剣は魔獣の首にぶつかるが、皮膚が硬く、刃がなかなか通らない。カイは思い切り力を込めて、刃を押し付ける。


「通れ……通れええええええええぇっっ!!」


 そして、刃は首を──体を貫いた。

 致命傷を受けた魔獣の体は霧となり、消滅していった。カイは、そのまま地面に体を叩きつけた。


「お、覚えておけ〜!」


 魔獣が消えたのを見ると、小鬼は即座に逃走した。

 カイが目を開けると、魔獣はすでに消滅していた。


「え……え?」


 カイは何が起こったのかわからず、他の二人も呆然としていた。


「倒したのか……」

「嘘……本当に?」


 ブラウとエミールもその場に駆けつけてきた。魔獣を倒せると思っていなかったのか、驚いた様子を見せた。

 そこに、皇帝が音もなく現れた。


「初陣お見事だった、諸君」


 カイたちが驚く暇もなく、皇帝は話をつづけた。


「先ほど話したように、魔獣以外にも脅威はある。例えば今回のように、皇帝の座を力ずくで奪おうとする者もいる。君たちは、人々を、世界を守るためにも強くならなければいけないよ」


 皇帝は一旦目を閉じて、深呼吸をした。そして、ゆっくりと目を開けて、遮られてしまった言葉をもう一度紡いだ。


「改めて──帝立アカデミーへようこそ、継承者諸君」


 こうして、帝立アカデミーの入学式は幕を閉じ、継承者たちの学園生活が幕を開けた。



 白昼の星は、ただ静かに、継承者たちを見守っていた。

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