第2話 思いがけない第一種接近遭遇
ざわざわと学生達が行き交う1階ロビーの人の波に視線を投じる。右から左、左から右へとなめるように人、人、人を視界におさめ、そこに『彼』がいないか今日も確認する。日課の初恋の人チェックだ。
(容姿は、変わっているとみて間違いない。現代で”銀髪赤目”は遺伝的に難しいし。)
瑠実はエレベーターホールへ歩きながら、無表情で人混みをチェックし続ける。胸に抱えた研修資料の分厚い束をギュッと我知らず抱きしめた。
(でも、分かる。どんなにかけ離れた姿に変わっていても、『彼』が分かる自信がある!)
「瑠実さぁ~、目を血走らせて人混みをガン見するその癖、高校時代からずっとだけどさ。なんか、完全にヤバい人のソレだから。」
隣を歩く腐れ縁の友人が呆れた感じで言った。高校、大学、就職先と長い付き合いの
ドン引かれ友情が途絶える可能性もあったが、クールビューティな友人は「ふ~ん、なるほど。」の一言で受け止めてしまった。
以来、前世の記憶持ちのイタい女友達とカテゴライズし直し、ありがたくも交友関係を持続して下さっている。小、中、高、大学とそろった有名私立学校を経営する法人に仲良く2人そろって就職し、勤務している現在も親友として関係は続いている。前回の移動で、なぜか勤務する私立大学の所属部署も現在は同じだ。
「まだ探してるの?その”脳内彼氏”。いい加減、現実の男に目を向けなって。合コン行こ?3次元の彼氏ができればそんな2次元の嫁、黒歴史として封印されるってもんよ。」
楓音が鼻で笑ってきた。真顔で瑠実は友人に振り向く。ガッツき感満載で答えた。
「『ユト』が来るなら、臨戦態勢で合コン行きますが!」
「……来るか。ボケが。」
楓音がしら~っとした目で長い髪をサラッとかき上げた。栗色にカラーリングされた髪には、神々しい天使の輪が輝いている。
瑠実はほう、と息を吐いた。本当に全身美しいのだ。この自慢の友人は。さすが神作画を誇ったゲームの登場人物だけある。
(伝説級の”クソゲー”認定されてるけどねッ!)
瑠実はフッと自嘲気味に笑った。そう。気づかずに生きていけたら、どれだけ幸せだっただろう。けれど気づいてしまった。人生を揺るがす一大事に。
あれは就職活動時代。インターネット検索中、遊び半分で初恋の『彼』の情報を大手検索エンジンに入力してサーチしたところ、見つかったのだ。初恋相手の素性と、瑠実自身の前世の素性も。絶叫した。……絶望しかない。
「4階でよかったよね?大会議室。今日の全体職員研修、A棟から財務、人事、総務も来るって。久々に同期がそろうかも。げぇ~。」
エレベーターの階数ボタンを押す友人のスラリとした後姿に、白い聖職者服姿の残像がゆっくり重なる。前世の彼女は紫色の艶やかな長い髪をしていた。本人にその記憶はないようだが、実は楓音も前世からの知己だ。
(女司祭”カノン”……あなたも転生していたなんて。でも会えて嬉しい。嬉しいよ。)
瑠実の前世は、この現代において伝説級クソゲー認定されているゲームの登場人物だった。しかも主人公の女勇者”ルビィ”だ。襲った衝撃に、数日は食事ものどを通らなかった。ちなみに楓音は3人いたパーティーメンバーの内の1人、回復系呪文を操る清らかな女司祭だ。
(ええええええええええええッ?!ちょっと待って。待って。タイム!)
(マジでか)
(うん。マジだ、これ。)
(というか、ゲームのキャラクターだったの?私が?)
物心ついた時から、前に生きていた人としての記憶があった。結構生々しく覚えていた。ただ、今生きる世界と全く違う場所だというのは薄々理解できた。
まず、今生きている世界には”魔法”がない。”魔力”もない。勇者時代に習得し、詠唱呪文も発動条件も事細かに覚えている数々の上級魔法はその時点でただの記憶のゴミと化した。あの血反吐を吐く戦闘と鍛錬の努力は何だったのか。
そして、環境、常識、倫理観あらゆる全てが前世の記憶とは異なっている。人命なんて吹けば飛ぶような軽さのあの世界に、現代でいう”人権”はなかった。
時間をかけて理解した。世の中には人知を超えた不思議がまかり通ると。そして、すぐに思った。
「『ユト』は?彼も転生してる?」
転生しても今なお瑠実の思考の9割を占拠する初恋相手。勇者”ルビィ”時代から、ずっとずっと好きだった。瑠実は自室のノートPC画面に映る彼の画像を食い入るように見つめた。
ゲーム『ラグナロク幻想曲~ドラゴン達の熱き戦い』のラスボス、銀髪に深紅の瞳の青年魔王”ユト”。彼の言葉が脳裏に鮮やかによみがえった。
(魔王と勇者は常に
そのルールがまだ有効ならの話だが、彼もこの世界、この時代に瑠実と同時に生まれているかもしれない。
「……探そう。絶対に見つけ出す。」
瑠実はグッと拳をにぎった。顔や性別、性格が多少変わっていても構わない。今も彼がすき。彼しか欲しくない。必ずやユトを現代で見つけて口説き落とす。
幸いにも現代に”魔王””勇者”といった職業はない。互いに敵対関係が生まれないよう注意すればいいだけの話だ。
黒くなったPCのモニター画面に、前世と似通った面立ちの自分の顔がぼんやり映っていた。前世そのままの茶褐色の瞳で、瑠実は強く前を見すえた。
(逃がさないから!)
「お~い。妄想トリップ中申し訳ないけど、話は聞いてるんだよね?……で、全体職員研修、参加職員総数1,000人超えで人数が多すぎるから数か所に受講場所を分散して開催するって話だけど。オンライン会議のIDとパスワード書いてある紙ちゃんと持ってきた?というかオンライン会議で各受講場所をつないで動画配信で研修するんなら、別にわざわざ人集めて着席させて研修しなくてもさぁ。研修動画を学内掲示板にアップして、各自見られる時間帯に見てレポート作成、提出っていう流れでいいじゃん!非効率的過ぎる。時間の無駄遣いにしか感じない。あ~あ。財務が同じ部屋じゃないといいな~。どうか人事か総務のメンツでありますように!」
「なんで?財務部、しっかりした人ばっかじゃん。私は逆に人事部の同期に会いたくない……。」
楓音がげんなりした顔を作った。ん?どうした?瑠実は首をひねる。
「……会いたくないヤツがいるから。ほんと勘弁して。あ~……い~や~だ~。」
「へ?誰?そんな嫌な人、いたっけ?」
楓音が一瞬、言葉に詰まった。じいっと瑠実の方を見て、決心したように口を開く。
「……財務の”一色”」
「
チン、とエレベーターの軽快な音が鳴った。目的地の4階だ。エレベーターの扉を出ながら、楓音がポツリとつぶやいた。
「絶対に、会ってほしくない。」
「は?」
空耳だろうか?あわてて楓音の後を追いかけながら、瑠実は横に並んで歩いた。
何事にも動じず冷静な友人が、硬い表情をしていた。その表情に、ピーンと閃くものがあった。
(ハッ!そうか。楓音は美人でモテモテだから、その”一色主任”にしつこく言い寄られて嫌な思いをしたとか?!大体イケメンって、80%が『自分がイケメン』ってことを自覚してるヤローばかり……。一色氏が女と見ればちょっかいかける最低ナンパ男で。ゆえに顔も見たくないし、友人にも会わせたくない、近距離遭遇すら嫌悪すると!なるほど!状況は理解した。……任せろ。私が守ってやろうじゃないか。安心したまえ!)
瑠実は楓音の肩をポンと叩き、力強くうなずいた。
「女の敵はゆるさない。」
「……うん。斜め上に突っ走った解釈されてるなぁとは思うけど、まあ、別にいいわ。」
楓音がフフ、と投げやりに笑った。もう目の前に銀色の重々しい扉がある。4階大会議室だ。到着した。資料を抱えながら、重い扉を2人がかりで必死に押す。重い。誰だ、出てこい。こんな使い勝手の悪い設計したヤツ。
ギィィィィィィィッ。
重厚な音を響かせて大会議室の扉が開いてゆく。最大120人収容可能な広さの光あふれる明るいホールが目に飛び込んできた。ここは4階の角部屋で、2方向の壁はガラス張りになっている。晴れの日には陽光が降り注ぐ、明るくすがすがしい空間だ。
会議室内にはすでに40人ほどがガヤガヤと歓談したり、机の配置を直したりと忙しそうにしていた。
「まだ時間前だよね?」
「うん。20分前。どこ座ればいいかな。」
受付で部署ごとの席図を探す。ついでに長年体に染みついた習慣で、人混みに目を走らせて”初恋の人チェック”を実行してしまった。習慣とは、まこと恐ろしい。サアッと流すように人の群れを目で泳ぐ。
(え?)
1人の後姿に目が留まった。意識がその男性に縫いつけられる。気持ちが彼に集中するのを止められない。
ドクン。
心臓が苦しいほど脈打った。痛い。痛くて苦しくて嬉しくてたまらない。歓喜と狂気で叫び出しそうだ。
(いた。)
見つけた、と思う。正面から顔を確認したい。隣で焦った顔の楓音が腕をつかんできたが、無意識にそれを強く振り払った。
彼の方へふらっと足を進める。1歩、2歩。彼がふいに、何かに気づいたようにこちらを振り返った。直線距離8メートルほどをはさんで、彼と正面から目が合う。
(なんだ。同じ大学の職員だったんだ。)
耳に入っていた喧騒が消えた。時間が止まった錯覚を覚える。明るい光さす会議室と人の群れがグルンと回転して景色が一変した。
(ゲームの世界で最後に会ったのは、たしか……)
空を覆いつくす巨大な樹が頭上に生い茂る。ここは朽ちた廃墟。もとは石造りの重厚な神殿か宮殿が建っていたのだろう。今は浸食した植物の葉やつる草に覆われ、緑が君臨する世界に染め変えられている。足元でガサ、と草の音がした。温かい木漏れ日が自分と『彼』の上に柔らかく揺れる。
(魔王城の最上階。『死神神殿』だったはず。)
廃墟だが暗くはない。温かい”死”と”眠り”の気配に満ちた空間だった。
長い年月、3人の仲間と王国を出て旅をしてきた。そして、ここへたどり着いた。ここが彼を殺す旅の終着点だ。
女勇者”ルビィ”は、高い位置の崩れた柱の上にゆるく腰かけていた魔王”ユト”をまぶしいものを見る目で見た。
「来たよ、ユト。」
ハッと意識が現実に引き戻された。喧騒が耳に戻ってくる。植物が荒れ放題に生い茂る廃墟の神殿ではなく、ピカピカに磨き上げられた会議室の灰色の机や白い壁、ガラス窓が視界に入る。
一瞬、前世のゲーム世界で見た光景がフラッシュバックしたらしい。瑠実はハアッと苦しい息を吐いた。頭痛とめまいがひどい。
「待ってたよ。遅かったね。」
目の前に、男性が立っていた。少し背が高い。透明感のあるアッシュブラウンの髪に、甘い顔立ちの見たことのない男性だった。深い紺色のネクタイがストイックな雰囲気を際立たせている。これは世の女子が放っておかないと思わせるイケメンだ。
穏やかに『彼』が微笑む。そっと今日の配布資料を両手で差し出してきた。瑠実の背筋を甘い悪寒が走る。彼の声が、豪華声優がキャスティングされた記憶の中の声そのままだった。
「財務部の”一色”です。初めまして。よろしく。」
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