Fool on the planet

モルフェ

#1 神様は気まぐれにトレードする

世界で初めて「その事象」が観測されたのは、19××年、アメリカのニューメキシコ州でのことだった。


5月17日、この日のニューメキシコは朝から晴天に恵まれた。テイラー一家は、この日家族そろってピクニックに出かける予定だった。母イザベラは、朝食の準備を終わらせると、息子二人を起こそうと子ども部屋に向かった。


「おはようテッド! おはようニック! 早く起きて顔を洗って!」


すると、いつもベッドでグズグズする兄テッドは、珍しく飛び起きた。


「おはようテッド。今日はピクニックよ。いつもそれくらい勢いよく起きてくれると嬉しいんだけど」

「おはようママ」


飛び起きたテッドはそのままの姿勢でイザベラをじっと見つめ、不思議そうな顔でこう言った。


「ママ、随分髪が短くなったね?」




イザベラは子どもが生まれてから、ずっと髪を伸ばしていなかった。耳にかかる程度までの長さでいつも過ごしていた。

このときは単にテッドが寝ぼけたんだろうと気にしなかったが、テッドはいつもそわそわしていた。まるで「知らない場所に連れて来られた」みたいな態度だったと、のちにイザベラは証言した。


数日経ったある日、同じように朝起こされたテッドは、イザベラや部屋をきょろきょろと見回してこう言った。


「あれ、ママ、また髪が短くなったね? 昨日まで長かったのに」


さすがに妙だと思い、イザベラがテッドから詳しく話を聞いてみると、テッド曰く「数日前、ママがいきなり髪を伸ばして驚いた。本物の髪だった」「なんだかちょっと現実世界じゃないみたいな生活だった」「なんとなく日々を過ごしていて、ぼんやりとしか覚えてない」「今日になって、急にまたママの髪の毛が短くなった」ということだった。


どうやらこれは「神隠し」の一種ではないかと家族は結論付けた。数日間の間、ここにいたはずのテッドは「別の世界のテッド」あるいは「得体の知れない何者かがテッドに化けていたもの」だったのではないか。テッド本人は、こちらの世界とよく似た別の世界に行っていて、そちらではイザベラがなぜか髪を伸ばしていたようだ。そして、それがなにかのきっかけで、今日急に元に戻ったのではないか。


あの日一緒にピクニックに行ったテッドは偽物だったかもしれない、と不安ではあったが、「まあ、元に戻ったんだからいいじゃないか」ということで一家は安心していた。少し不思議な笑い話にする程度で、あとはすっかり元の生活に戻ることができた。


数日後、たまたまイザベラが友人のゴシップ記者にこの話をしたところ、彼女はとても興味を持ったらしく、こまごまとした細部までイザベラから聞き出した。テッド本人にもインタビューをした。テイラー一家は「発売されたら一冊送るからね」という言葉を楽しみにしていたが、まさかこのゴシップ紙の小さな記事が、歴史に深く名前を残すとは、このときは思いもしなかった。




そのゴシップ紙は、発売後すぐには特に話題にならなかった。

しかしある時期を過ぎると、触発されたかのようにテイラー一家のような経験談が大量に寄せられるようになった。タブロイド紙にも、ラジオ番組にも、警察にも、病院にも。共通していたのは、「数日で元に戻る」ということだった。入れ替わったまま、元に戻らなくなった人は一人もいなかった。


誰が名付けたか、この入れ替わり現象は「神様のトレード」と呼ばれるようになった。アメリカのみならず、世界中で報告されるようになり、片田舎のゴシップ紙から始まったこの話題は、瞬く間に誰もが知る話になった。


「あいつ最近様子が変だな。トレードされてるんじゃないか?」

「ちょっとイライラしてることが多いな。生理かと思ったけど、もしかして入れ替わってんのかな」

「急にタトゥーを入れたかと思ったら数日で消えたやつがいたよ。あいつ、入れ替わってたみたいだな」

「『もう一人の自分』って、ちょっと性格が変わったり見た目が変わったりするみたいだな」

「君は入れ替わっても今のままでも、とっても素敵だよ」


そんな会話がそこらじゅうで交わされるようになった。

しかしこの程度の話題で済んでいた頃はよかった。

次第に、この入れ替わり現象の重大なデメリットが知られていくようになる。


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