知的好奇心(道徳のコンパスが壊れてしまった)

八壁ゆかり

知的好奇心(道徳のコンパスが壊れてしまった)

 恋なんかしていない。

 この気持ちは恋愛感情なんかじゃない。ただ、抑えられないだけ。

 わたしはとある男性に、とても強く惹かれている。だが、それは大声で公言できないことだ。そもそも彼は故人だし、私が産まれる前に亡くなっている。


 たまたまNetflixで『彼』についてのドキュメンタリー番組を目にし、ほんの少し興味を持った。暇だったので見始めた。信じがたい内容だった。こんなことが現実に起こったのかと身震いした。

 だけど、わたしはその恐怖に支配されず、逆に心の奥の方から『何故彼はこんなことをするに至ってしまったのだろう?』という好奇心がむくむくと膨れ上がってしまった。


 彼の名前はジェフという。

 二十世紀最悪の殺人鬼と名高いアメリカ人の白人男性だ。

 立件されているだけで十七人の男性を屠り、のみならずその他にとても人間の所業とは思えない残忍な行為を続けたシリアルキラーだった。


 被害者の数で言えばテッド・バンディやジョン・ウェイン・ゲイシーの方が圧倒的に多い。それでもジェフが『最悪』と呼ばれるのは上記の通りジェフの奇行に起因する。


 

 わたしはすぐにジェフの情報をネットで集め始め、同時にジェフに関する書籍を買ったり、ジェフの父、ライオネルの手記も入手し、また廃版になっている本を探し回って読み漁ったりしだした。

 強烈な知的好奇心だった。

 ジェフは魅力的に、わたしには映った。

 でも、ジェフはゲイだったし、死体しか愛せなかった。



 ジェフは死刑を希望したが、彼のいたミルウォーキー州に死刑制度はなく、終身刑となった。そしてそのすぐ後、ジェフは刑務所で別の囚人に頭を殴られあっけなく死亡した。



『道徳のコンパスが壊れてしまった』


 とある本に、ジェフがそう言ったと書いてあった。

 人間誰しも道徳のコンパスを持っているはずだ。それが壊れた時、はたしてわたしはそれに気づくことができるだろうか?

 そう考えた時、初めてジェフが抱えていた苦しみのごく一部が垣間見れた気がした。

 


 ジェフについて考える時、わたしはどうしてか安らげるような気がした。

——わたしは、まだ、大丈夫。

 そんな風に、安心できるからかもしれない。



 ジェフの声はとても優しく穏やかだ。

 わたしは今日も彼の本物の音声を聞き、一日を道徳のコンパスを歪めることなく過ごせた、と安堵してから眠るのだ。

 それがいつまで続くか、まったく分からないまま。

 

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