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夢を見ていた


怖い夢だ


この夢を見るのはどれぐらいぶりだったっけ…


白い部屋


知らない人


隣で泣いているおじいちゃんとおばぁちゃん


私はたまらなく不安で


辺りはとても寒くて


2人に握られた手のひらだけが暖かくて


怖く無くなってきたと思ったら


目の前でお父さんとお母さんが死んでいる


私は急に悲しくなって


泣きながら息が苦しくなって


だんだんと気が遠くなっていって


真っ暗になって何も見えなくなる


でもこの夢の本当に怖い所はーーーーーー








「全て現実な所なの…」


部屋に鳴り響く携帯電話の機械的なアラーム音とバイブレーションで結城ちとせは独り言と共に目を覚まし、頬を伝う涙に気がついて寝巻きの袖でゴシゴシとそれを拭うと、ベットから起き上がって鏡の前まで移動し、ハの字に折り曲げた足の間にペタンと腰を降ろした。


【久しぶりに見たなあの夢…】


何度も何度も繰り返し見てきたその夢はここしばらくそのなりを潜めていたが、今日になって久々に姿を見せた悪夢にちとせは何か運命めいた物を感じていた。


【忘れてないよ、大丈夫】


ちとせは夢を見せた自身の中の【何か】に諭す様に言葉をかけた。


32mmのコテとストレートアイロンの電源を入れ、ヘアバンドで髪をまとめ上げるとそれらの温度が上がるのを待ちながら慣れた手つきでアイライナーを走らせ、シャドーを差して髪を梳かし、明るすぎず暗すぎない栗色の髪を綺麗に巻き上げていく。


ちとせは昨日までと変わらないルーティンをこなすと【うん】と小さくつぶやいて自分の部屋を後にした。



—————————————————————



きっかけは大学の授業の一環だった。


両親の死と言う大きな不運に人生を狂わされたちとせだったが、生来の真面目さも手伝って学業の成績は目を見張るレベルで優秀であり、学校の教師や学習塾の講師に進められるまま、2018年の4月、18歳になる春を国立大学の法学部で迎えるに至っていた。


法学部を受験したのは【十分に狙える範囲】と周りの大人達に強く推された為で、正直な話ちとせは弁護士や検事等、司法に関わる職業にこれといった憧れは持ち合わせていなかった、しかし逆に【周りの大人が進める進路を拒む理由】もちとせには無く、両親を失って以降、抜け殻の様に生きてきた彼女にとってはむしろどう生きるべきか、どう進むべきかを暗に示唆する大人の敷いたレールに乗る事はむしろ【楽に生きる為の処世術】と言えた。


その日ちとせは仮想事故の刑量を実際に行われた裁判の判例から考察すると言う授業の課題で、過去の事故の判例に関するレポートの提出を求められ、大学に併設された大型の図書館で交通事故の判例を取り扱う判例集に目を通していた。

最初は授業で指示された資料に目を通し、順調にレポートを書き進めていたちとせだったが、ふと、自分の両親の事故の事が頭をよぎってしまい、どうにもそれが振り払えなくなった。


【そう言えばあの事故の記録って見た事なかったな…】


普段は意図せず目を向けないでいたが、人間とは本当に不思議な物で、実際に手が届く範囲に置いてあると、“触れるべきでない箱“の蓋を開けてしまう…

これといった明確な理由がないまま、ちとせは自身の両親の事故についての裁判記録を探してみようと言う気になった。

強いて理由を上げるなれば朝の夢だろうか…今までにも幾度と無く見た夢だったが、今はそれくらいしか背中を押された理由が思い当たらない。


本来なら“思い出したくない“物でありそうな両親の命を奪った事故の詳細は、実際に手を伸ばしてみると、ちとせにとっては予想していたより強いの苦痛を感じる物ではなかった。

言葉で説明するのは難しいが、ちとせにとって両親の事故は忘れられる出来事ではなかったからだ、【自分のせいで両親が死んだ】と脳裏に焼きついた出来事を何度突きつけられたところで、今よりは苦しくなりえない…一日、一刻、1秒だって忘れたことは無いから、どんなに逸らしたくても目を逸らせた事はないから…【そんな事はわかってる】と言う心構えでちとせは資料を読み進めた。


実際、交通事故の被害者遺族は事故の詳細を取り扱った記事や写真をスクラップしてまで保存するケースが多々あるという。他の被害者遺族がどういった動機でそういう行動をとっているのかはわからないが、それでもこの時ちとせには【わからなくない気もするな】と、そう思えた。


その気になって探してみると、日にちが判明している事故の記事は思いのほか簡単に見つかるもので、地方版の3面に小さく記された記事は2010年12月24日に起こった事故を淡々と報じていた。




ーーー世田谷・世田谷通り、乗用車が歩道に乗り上げ横転 はねられた通行人2人が死亡ーーー


24日午後12:30分ごろ、東京都世田谷区の世田谷通りにて乗用車がカーブを曲がりきれず歩道を突っ切る形で路面店に突っ込み、横転ののち炎上、その際歩道を歩く歩行者二名が巻き込まれ、搬送先の病院で死亡が確認された。

地元警察によるとこの事故で歩道を通行していた結城翔太(35)さんと結城みなみ(34)さん、運転していた小津孝弘容疑者(28)と同乗していた娘の小津しずなさん(0)の四名が死亡。

現場は見通しの良い緩やかなカーブになっており、署は運転していた小津孝弘容疑者がなんらかの運転操作を誤ったと見て被疑者死亡のまま捜査を進める方針。



【これだ…事故を起こした人、死んでいたんだ…】


記事を確認したちとせはその事故詳細について自分があまりにも無知だったことに改めて気がついた、祖父も祖母も事故については多くを語ろうとはせず自分も無意識に情報に触れる事から避けてきた結果ではあったが、父と母を奪った事故についてここまで無知なまま生きてこれた事は我が事ながら意外と言えた。


【車を運転していたのは小津孝弘…この名前どこかで…】


ここでちとせは幼い頃に出会った1人の女性の事を思い出した。


【まりえ姉さんも確か小津って苗字だった様な…そんな、まさかね】


当たり前と言えば当たり前の事ではあったが事故の記事に加害者遺族の情報は何ひとつ記載が無く、ちとせの疑念を確認することは出来なかったが、それでも知りえなかった事を知るきっかけを得られたことに満足してちとせはその日は図書館から引き上げる事にした。





———————————————






図書館で事故についての記事を目にして数日後、前日の日曜日を祝日として迎えた事による振替で、月曜日であるにも関わらず休日扱いとなったこの日、渋谷は連休の最終日を楽しもうと街に繰り出した人で賑わっていた。大学の講義で必要になる汎用性の低い書籍を購入する為に午前中から大型書店を訪れていたちとせはその目的を遂げ、渋谷を訪れた二つ目の目的を果たす為に人が溢れるスクランブル交差点を抜け、道玄坂を駅から離れる方向へゆっくりと登っていく。


【この世界には一体どれだけの人がいるんだろう…】


道をゆく人、1人1人に家族がいて、家が有って、それぞれ違う人生を送っている…

それぞれが思い思いの場所を目指してこの波に飲み込まれ、離れ、波はまた別の人を飲み込んで流れていく…

そんな当たり前の事が不思議に思えてしまう様な感覚…

ちとせは世界における【自分】と言う個の小ささを無碍に突きつけられて居るような、そんな気がした。


道玄坂と言う場所は、誰もが知るところの大手アパレルブランドや飲食店が凌ぎを削るメインストリートから一本入り込むと、街が突然表情を変え、個人経営の居酒屋や風俗店、ラブホテル等が立ち並び、それらのビジネスモデルの性質と相まってどれだけ街が混雑していても昼間の人の往来は嘘のようにまばらになる。

ちとせはその一角にある比較的新しい雑居ビルに入ると、階段で2階に上がり、【南原心療内科クリニック】と書かれたガラス扉を押して中に入った。

院内は雑多な周囲のイメージとは似ても似つかない、小綺麗でセンスの良い作りの内装が施されてあり、幼少期にちとせが通院していた頃と比較すれば細々と部分的に変わってこそいたが、病院が有する雰囲気そのものにはなんら変化は無く、ちとせにどこか懐かしさを感じさせた。


【どれぐらいぶりだっけ…】


ちとせはここで過ごした日々を人に話たことはない、数年前に彩名、まりえ、ちとせの3人が共有した奇妙な時間は、まりえの死と言う悲劇で幕を下ろしてしまったが、幼少期に両親の死によって打ちのめされていた自分がある程度の人間性を取り戻し、不自由無く社会生活を送れる様になったのは2人と過ごしたこの時間のおかげだったと今も考えている。


「随分久しぶり、元気そうね」


待合に腰を下ろしていたちとせが頭上から投げかけられた声に気がついて顔を上げると、そこには二階堂彩名が立っていた。

八年前と見た目にほとんど変化が無い彩名に少々驚きながら、ちとせはペコリと頭を下げた。


「ご無沙汰してました、先生は全然変わりませんね」


「そうかしら?それなりに歳を重ねてはいるのだけれど…ところで今日はどうしたの?突然電話してくるから驚いたわ」


「すいませんいきなり…少し気になる事があって…」


「気になる事?」


「そうなんです、実は———」


再会の挨拶もそこそこにちとせは両親の事故について今になって色々と調べたこと、その際加害者の性が小津で、まりえの生い立ちと被る所があり気になった事、彩名なら何か知っているかもしれないと思い立って連絡を入れた事などを掻い摘んで説明した。


彩名は話を聞きながら何度か頷き、ちとせが話終えるのを待つと【そう…】とだけ呟いた。


「なるほどね、流れは把握出来たわ…確かに私はあなたの疑問に答える事が出来る…でもね、これはご両親の死に深く関わる話よ?まりえの話を別としても貴方にとって心地いい話にはならないわ、貴方はそれでも聞きたいの?八年も前の悲しい出来事の話を…」


「わかってはいるつもりです、自分でもどうして今更になってこんなに掘り下げて話を聞こうと思ったのかはわかりません…ただ、図書館に行った日の朝、夢を見たんです」


「夢?」


「事故で死亡した父と母が搬送された病院へ、遺体と対面しにいった時の夢です…昔よく見たんですけど、最近はめっきり見てなかったのに、それが突然…もしかしたら父と母の事故について調べようと思いたったのも夢のせいなのかもなって思って…」


「深層心理学の中でも夢分析は特に私の専門外なのだけれど、そうね、もしかしたらあなたが無意識に望んだ事なのかもしれない、いいわ、覚悟があるなら話てあげる、少し長い話になるわよ?」


「構わないです、そのつもりで来ました」


ちとせの返事を待って彩名はちとせをカウンセリングルームに案内し、ソファーに座るように促すと、コーヒーをドリップし始めた。


部屋は次第にあの時と全く同じ、ほろ苦い香りに包まれて行った。

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