夢幻の森

山乃そら

第1話 境界線

 カタンと、小さめのダイニングテーブルに入れたてのホットミルクのはいったマグカップを置く。蜂蜜はちみつをとかして飲むのが最近のお気に入りだ。


人生百歳の時代だというならば、折り返しにさしかかろうとしている私は、いまだ独身で出産経験もなし、生き急いできたのだろうかと不安になったりしている。


仕事を生きがいに年を重ねる女性が増えてきた昨今さっこん、私のような人生経験をして同じようなことを考えている人は少なくないだろう。


朝食をすませて、窓の外の景色を眺めながらホットミルクを飲む瞬間は、私にとって至福の時間である。


窓の外には、谷と雑木林。雑木林のまわりに住宅街や学校がある。都心に近いわりにどこか趣きのある風景だと思う。


朝晩はめっきり寒くなり、街路樹のけやきの木の葉は枝先から赤や黄色、橙色に色づきはじめた。グラデーションが絶妙に美しい。


晩秋の季節がいちばん好きだ。空気がひんやりして気持ちがいい、そして紅葉の風景はまるでキャンバスの絵を見ているようだ。


何も予定の入ってない今日は、公園に散歩に行ってみよう。帰りは良く立ち寄る喫茶店で軽く食事を済まそう。楽しい一日の予定を考える。

リラックスできる一日になりそうだ。


空は快晴。


朝の光を浴びて、色とりどりの樹々の葉がいっそう鮮やかになる。

サワサワと風に吹かれて、なんとも言えず心地よい。


公園のまわりを歩き、大通りをはずれると古い住宅街になる。農地も点在しているのでどこか懐かしさを感じてお気に入りの散歩コースだ。

子供の頃を思い出すのだ。小さかった頃はこういう風景がたくさんあった。


私は二十歳まで武蔵野に住んでいた。代々農家だった我が家は土地開発の為、土地を売って農業とは全く違う仕事をした。

武蔵野をはなれ暮らしていたが最近リフォームした平家の一軒家が気に入って武蔵野に移り住んだ。

少し丘になっているから眺めが良い。

ずっと帰りたい思いがあったのだと思う。


ピピッと、鳥の鳴き声がして、顔をあげる。


小山になっている雑木林に奥に大きなイチョウの木が見えた。

鮮やかな黄色の一角は私の目をひきつける。


 そばに行ってみたい。当然のように思った。見まわすとイチョウの木に続く山道がある。


まるで、神さまの領域に通じる参道のようだ。


山道の入り口に小さな石碑がある。私のひざくらいの高さの庚申塔こうしんとうだった。まわりの雑草はきれいに刈りとられ、一輪の野花がお供えしてあった。

誰かに手入れされているようだ。庚申塔を大事にしてくれる人の存在がなんとなく嬉しい。


行ってみようか。ふらふらと山道をイチョウの木に向かって歩きはじめた。 


はじめは、なだらかだった道だが少しずつ傾斜がついて息が荒れはじめた。


それでも、あの大きなイチョウの木の近くに行ってみたいという気持ちの方が強いのだろうか。乱れた息は整い、心なしか身体も軽く、歩くスピードも速く感じる。


石を避けようと足元を見てみる。ほっそりしていて引き締まっている両足があった。

最近の見覚えのある私の足ではない、三十年くらい前の若かりしころの足だ。


手のひらや腕をじっとみて、顔や身体のラインを触ってみる。

張りのある肌。なめらかなボディライン。

私は、若返っている。


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