春来たりなば春遠からじ

uribou

第1話

 王都のタウンハウスで、ぼんやりと窓の外を眺めていました。

 庭木の蕾が膨らみつつあるのがわかります。

 春も近いですねえ。


 『春来たりなば春遠し』とは、わたくしの住むミルイヒルネ王国の貴族階級でしばしば皮肉気味に語られる言葉です。

 ミルイヒルネの社交シーズンは、晩秋から春先にかけての農閑期なのですね。

 春遠し、すなわち春が来て社交シーズンが終わっても相手が見つからなかったという……。


 いやいや、わたくしことココ・プラムにとっても他人事ではないのでした。

 昨年デビューの一六歳とは言え、既に婚約が決まっている同年の令嬢も多いです。

 またのんびりしていて年々眉が吊り上がっていく、知り合いのお姉様方もよく存じております。

 わたくしなど圧倒されてしまってパーティーでは積極的になれず、もっぱら壁の花でございました。


「ココ、少しいいかな?」

「あっ、お父様、お母様」


 出かけていた両親が帰ってきました。

 ニコニコしていらっしゃいますね。

 顔がやや赤いのは外の寒さのせいばかりでもないようです。

 いいことでもあったのでしょうか?


「ココに縁談が来たんだよ」

「何と、そうでしたか。おめでとうございます」

「いや、めでたいのはココだからね?」

「あっ、そうでしたね」


 ほのぼの。

 プラム伯爵家のような領地が王都に近い家では、春になってもこのような話が駆け込みでもたらされることもあると聞いていました。

 そんな事例なのですね。


 それにしてもわたくしのような地味な娘を見染めてくださった方がいるとは。

 嬉しくなりますね。


「お相手はどなたでしょうか?」

「ウィリアム様だ」

「わたくし、ウィリアム様というと一人しか心当たりがございませんが」

「そのウィリアム様だよ」

「ええっ?」


 淑女見習いらしからぬ声を上げてしまいました。

 第一王子ウィリアム殿下? 王太子サミュエル殿下の異母兄の?

 地方行政の指導と特産品奨励で若くして結果を残しつつある、将来サミュエル殿下が王になった時の片腕として期待されているという?


「ど、どうしてわたくしのところにそんな恐れ多い話が?」

「ココは小さい頃、ウィリアム様によく遊んでもらったじゃないか」

「それはそうですけれども」


 プラム伯爵家領は田舎ですが、勇壮な滝や美しい季節の花や紅葉などの名所があり、王都からは格好の保養地とされています。

 またウィリアム様の母である側妃殿下とわたくしの伯母様が親友同士ということもあって、八歳年上のウィリアム様は時々プラム伯爵家領にお出でくださりました。

 お兄様とともによく遊んでいただいた覚えがあります。


「ウィリアム様に構っていただいたことは確かですけれども、それは婚約とは関係ないのでは?」

「思惑もあるんだ」

「思惑ですか?」


 お父様の言葉に頷けることもあります。

 それはそうですね。

 熱烈に見染められたなんて夢も見過ぎでした。


 しかしどんな思惑でしょうか?

 伯爵家の娘たる私よりも、ウィリアム様に相応しい身分や容姿のお方は何人もいらっしゃいますが。


「その辺の事情はディランが詳しいのだが」

「お兄様が?」


 三つ歳上のお兄様はウィリアム様の王都秘書官を務めていらっしゃいます。

 あ、その関係で私のところへ縁談が来たのでしょうか?


「ウィリアム様は御結婚が遅いだろう?」

「そうですね。サミュエル王太子殿下には既に御子がお生まれになったのに」

「王太子妃エヴァンジェリン様は侯爵家の出だ。ならばウィリアム様の妃はそれ以下の身分でなければならない。そしてエヴァンジェリン様より年下が望ましい」


 思わず息を呑みます。

 のほほんとした話ではありませんでした。

 なるほど、貴族間の力関係の問題ですか。


 サミュエル様は王太子ではあるけれども、ウィリアム様の方が年上ですし、優秀であることが知れ渡り始めています。

 次代の王としてウィリアム様を推す有力者もいるということなのでしょう。

 そのためサミュエル様が跡継ぎであるという、王家の発する無言のメッセージとして、ウィリアム様の結婚を遅らせた。

 そして伯爵家の可もなく不可もないわたくしを、ウィリアム様の妃にということですね?


「遅れました。申し訳ありません」

「お兄様」


 ディランお兄様まで帰っていらっしゃいました。


「ああ、ディラン。今ウィリアム様からの縁談について、ココに説明していたところなんだ。お前の方からも話してやってくれ」

「わかりました。ココ、何か聞きたいことはあるかい?」

「お父様の説明で、ウィリアム様の妃はどこかの伯爵家から出すべきだということは理解いたしました。それでもわたくしである理由はよくわからないのですけれども」

「そりゃあココは可愛いからだよ」

「もう、お兄様ったら」

「冗談じゃないんだけどな」


 何故かお兄様は昔からわたくしのことを褒めて喜ばせようとしてくれます。

 王立学院で、うちのように仲のいい兄妹ばかりではないと知ってビックリしたくらいです。

 真面目顔になったお兄様が補足説明してくれます。


「ウィリアム殿下は職務柄地方に赴かれることが多いだろう? 逆に中央の人脈が弱いんだ。だから同じ伯爵家の令嬢でも、地方伯の娘では都合が悪いんだな。王都に地縁があって、その人脈や社交が期待できる者が望ましい」


 領地が王都から近いということもありましたか。

 わたくし自身の人脈などあってなきようなものですが、お父様やお母様の顔が広いことがプラスに働いているようです。


「それにココは王太子妃エヴァンジェリン殿下と親しいだろう?」

「はい。学院では同じ手芸クラブで可愛がっていただきました」

「エヴァンジェリン妃殿下は才女だが、意外と交友関係が狭い。その点でもココがウィリアム殿下の妃ならばピッタリだ」


 エヴァンジェリン様のためでもありましたか。

 エヴァンジェリン様はお兄様と同学年ですから、そうした根回しも済んでいるのかもしれません。


「どうだい? その気になったかい?」

「はい、占ってみますね」


 わたくしの唯一の特技です。

 弱いながらも魔力があるそうで、カード占いがよく当たるのです。

 カードを並べて……。


「……予想外の奔流、戸惑い、あ、でも幸せな結末と出ました」

「予想外の奔流? おかしいなあ。ややこしくなる要素なんかないはずなんだけど」

「いいじゃないの。終わりよければ全てよしよ」


 お兄様は不思議がってますけれども、お母様の言う通りです。


「そうですね。前向きに考えてみたいと思います」

「よかった。じゃあウィリアム殿下にもそう伝えておく。数日中に正式な婚約の要請が来るから楽しみに待ってなよ」


 あ、今日のは内々の打診というものでしたか。

 それはそうですね。

 いくら何でもいきなりというのは不躾な感がありますし。

 お兄様の言う通り、静かにお待ちしましょう。


          ◇


「どういうことだ? ディラン」

「……言いたくない」

「失礼します……あの?」

「ああ、可愛いココじゃないか。お座り」

「はい」


 お母様がお出かけのせいか、今日はお父様の書斎に呼ばれました。

 部屋に入ると、お父様が困惑気味で、お兄様はとっても不機嫌な顔をしています。


「お父様もお兄様もどうされたのですか?」

「それがな? 私では事情がわからんので、ディランに説明を求めているのだが」

「僕だって知るわけがないだろう!」


 あらあら、お兄様にしては乱暴な言葉遣いですね。

 ぶつぶつ呟いている中に、『あのヘタレが』という言葉が混ざっていたような。

 お父様が仰います。


「婚約の申し込みが来たんだ」

「そうでしたか。お待ちしておりました」


 内々の打診の日から数日で要請が来るという話でしたが、もう一ヶ月以上経過していました。

 やはり王子様ともなると調整に時間がかかるのでしょうか?

 あるいはわたくしの他にも有力なお妃候補の方がいらっしゃるということかもしれません。


「ところが相手はルーカス様なんだ。ザカライアス侯爵家の」

「えっ?」


 まさかの別口?

 ルーカス・ザカライアス侯爵令息と言えば、ウィリアム様第一の側近として知られている方です。

 麗しいお顔と剣の腕、侯爵家嫡男というお立場から、貴公子中の貴公子と大変人気がおありになりますが……。


 ルーカス様は壁の花と化していた私をダンスに誘ってくださったこともあります。

 目配り気配りのできる素敵な方だと思います。


「とても光栄なことですけれども……」


 どういうことでしょうか?

 わたくしはウィリアム様の元へ嫁ぐのだと思っておりましたが。

 お父様が首を振ります。


「私にもサッパリだ。ディランなら事情を知っていると思うのだが」


 当然そうですよね。

 お兄様はウィリアム様の秘書官ですし、当然ルーカス様とも親しいでしょうし。

 ところがお兄様は渋いお顔をしていらっしゃいます。


「お兄様は事情を御存知なんですよね?」

「もちろんだよ、ココ」

「話してはくださらないので?」

「可愛い妹のことなのにごめんよ。僕にも職務上の守秘義務があるんだ」


 守秘義務? 何だか大事のようです。

 そういえばウィリアム様とわたくしとの縁談は、多分に政治的な要素が含まれていましたね。


「つまりウィリアム様は、どこか他所の有力な令嬢との縁談が進められているということなのだな?」

「違う。これだけはウィリアム殿下の名誉のために言っておくけれども」


 お父様と顔を見合わせます。

 全然わけがわからないです。

 ウィリアム様の心変わりで、もしくはわたくしを妃とすることが元々嫌なのだとしても、代わりに(?)ルーカス様というのはおかしいではありませんか。


 困りましたね。

 こんなことはお友達にも相談できません。

 お相手候補がウィリアム様ルーカス様では、『あ? 自慢かオラ』とか『目開けたまま寝言ぶっこいてんじゃねえぞ』とか言われそうです。

 そもそもお兄様が守秘義務と断じるほどの複雑な裏があるようですし。


 お父様が言います。


「ディラン、言えるところまでいいから答えてくれ」

「ああ」

「ウィリアム様とココの縁談について、ザカライアス侯爵家はどこまで知っているんだ?」

「ルーカス様はもちろん全て知っているよ。侯爵家も承知しているんじゃないかな」

「ということは、ココが今フリーであることも知られているわけか」


 となると我が家より格上のザカライアス侯爵家から来た縁談はお断りできない?

 ではウィリアム様とはどうなるのでしょうか?

 ルーカス様との話を受けてしまって、後から王家に文句を言われるなんてことは?


「大体ココが可愛過ぎるのがいけない」

「えっ?」

「その意見には全面的に賛成する」

「えっ?」

「この罪な妹め」


 お兄様はともかく、お父様まで何なのです?

 私は殿方から全く声をかけられることのない、地味で目立たない女の子ですよ?


「問題はプラム伯爵家としてどう対応すべきか、だ。ディランの意見は?」

「事情を承知している侯爵家からの話なんか断れないじゃないか。ルーカス様との縁談を進めていいよ」

「間違いないんだな?」

「ああ」


 カード占いの予想外の奔流とはこのことですか。

 ウィリアム様とのお話はどうやら立ち消えのようですが、幸せな結末が待っているのですから。


          ◇


「ココ愛してる! 俺とともに人生を歩んでくれ!」

「ええと?」


 ウイリアム様が突然我が家にいらっしゃいました。

 しかもルーカス様とお兄様を引き連れて。

 ウイリアム様の血走った目がちょっと怖いです。


 対照的に爽やかな笑顔のルーカス様と、達観したような表情のお兄様。

 どういうことなのです?

 事情がわからず困惑です。


 お父様もお母様も口をあんぐり開けたまま声が出ないようです。

 ところでお母様、扇で口元を隠してはいかがでしょう?


「あの、ウイリアム様。申し訳ないですけれども、ウイリアム様から正式なお話はいただいていないような気がしますが……」

「あああああああ! そうなのだ!」


 頭を掻きむしるウイリアム様。

 ウイリアム様ってこんな愉快なお方でしたっけ?

 物腰の柔らかい、春のような微笑の王子様という印象があるのですけれども。


「わたくしが愚かなのかもしれませんが、事情がわかりかねます。説明いただいてもよろしいでしょうか?」

「「「ココが愚かなんてことはない!」」」


 ウイリアム様のバス、ルーカス様のバリトン、お兄様のテナーがハモりました。

 見事です。


 ルーカス様がお兄様に言います。


「ディラン、話していないのか?」

「それは話せませんよ。ウィリアム殿下のヘタレは国家機密ですよ? 守秘義務に値するでしょう」

「要するに殿下の口から言わせたいと」


 大きく頷くお兄様。

 ウィリアム様がヘタレとは?


 ルーカス様がふうとため息を吐きます。

 絵になるお姿ですね。


「話が進まないだろう……。ココ・プラム伯爵令嬢、落ち着いて聞いてくれ。ウィリアム殿下は昔からココ嬢のことを好いておられるのだ」

「えっ? それはとても光栄なことです。ありがとう存じます」

「ココ嬢が一六歳になったら殿下が告白されるとのことだったので、それとなくココ嬢に近付こうとする令息どもを排除していたことは申し訳ない」

「そうだったんですか?」

「それとなく、というかかなり露骨だったんだ。ココは気付いてなかったかもしれないけど」


 全然知りませんでした。


「ココ嬢は可憐で淑やかな上、学院の成績も優秀だろう? 本当は人気があったのに、モテないと勘違いさせていたかもしれない。すまない」


 だからルーカス様がダンスに誘ってくれたりしていたんですね。

 やはり親切なお方です。


「殿下がココ嬢をダンスに誘うべきだったんだ。しかし殿下は女性に対してヘタレであらせられるから」

「もう言わないでくれ!」


 ウイリアム様が真っ赤になった顔を手で隠します。

 何か可愛いです。


「それでザカライアス侯爵家ルーカス様から縁談をいただいたのはどういうことなのでしょうか?」

「ウィリアム殿下がいつまでもウジウジしてたからだよ。内々に話を通したのに、どんどん後回しにするから。ココが可哀そうじゃないか」

「私も本気だ。ココ嬢、君は妖精のように可憐だ。ザカライアス侯爵家嫡男の誇りにかけて君を幸せにすると誓おう。さあ、この手を取ってくれ」

「ずるいぞルーカス! キラキラオーラを消せ! ココは俺がもらうと一〇年前から決めていたのだ! この歳まで待ったのだ! お前には渡さん!」

「ヘタレ殿下は黙っててもらいましょう。そんな意気地のないことではココ嬢は譲れません」

「何を言うか! コココココココココ嬢。ぜぜぜぜぜぜひ俺の手を……」

「何たるザマです! 『ココ愛してる! 俺とともに人生を歩んでくれ!』ってついさっき噛まずに言えてたじゃないですか!」

「それは何となく勢いで……」


 ウィリアム様の手がおずおずと、ルーカス様の手がビシッと差し出されます。

 優秀な王子殿下とナンバーワン貴公子のどちらかをわたくしに選べと?

 人生の一大イベントではないですか。


「待った! ココ、殿下もルーカス様も気に入らなければ僕の手を取れ! 結婚なんかしなくても一生甘やかすよ」

「えっ?」


 何故かお兄様まで参入してきました。

 驚きの三択です。

 ゴクリとのどを鳴らしたのはどなたでしょうか?

 お父様とお母様は完全に背景と化しています。

 私が掴んだ手は……。


「やったっ! ココありがとう!」


 大喜びするウイリアム様とやれやれといった顔のルーカス様。

 ルーカス様もお兄様もどこかホッとしているようです。

 やはりウイリアム様のことが心配だったのですね?

 からかうように言うお兄様。


「ココはウイリアム殿下のどこがよかったんだい? 天下御免のヘタレだぞ?」

「ウイリアム様は子供の頃から優しかったですよ。わたくしのために木登りして、プラムの実を取ってくださったこと、今でもよく覚えております。それにお父様やお兄様からウイリアム様の婚約相手に求められる条件を聞きまして、これは運命なんだなあと感じるようになりました」


 涙を流すウィリアム様。


「ルーカス様が素敵な方だということはよく存じております。パーティーで親切にしていただいたことが何度もあります。ルーカス様にふさわしいお相手が見つかることを、心よりお祈りしております」

「うむ、それでこそココ嬢。殿下、今日は御立派でしたよ。政務が残っております。王宮に戻りましょう」

「そうだな。伯爵、今日は急に押しかけてすまなかった。後日改めてお伺いする」

「殿下、またヘタレないでくださいよ? もしそんなことになったら、即ルーカス様の元にココを送りますからね?」

「おや、ディランは自分がココ嬢を独占したいんじゃないのかい?」

「おっと、そうでした」


 アハハと笑い合い、そして三人は風のように去っていきました。


          ◇


 わたくしの学院卒業を待って、ウィリアム様と結婚いたしました。

 大公妃として三人の子に恵まれ、それなりに忙しく、充実した日々を送っております。


「ココ」

「ウィリアム様。お疲れでございましょう?」

「ああ」


 ウイリアム様にハグされました。

 まだ肌寒いこともあるこの季節に温もりが嬉しいです。


「庭を見ていたのかい」

「はい。プラムの花です」


 私の実家の家名であり、思い出の花でもあるプラム。

 ウィリアム様の驚きの訪問を受けたあの日も、プラムの花咲く時期でした。


「プラムの花を見ると、ウィリアム様のプロポーズを思い出すのですよ」

「あれは忘れてくれ。みっともなかった」

「うふふ」


 憮然とするウイリアム様もお可愛いらしいですね。

 春、私は好きな季節なのです。



 ――――――――――おしまい。

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