第三話「子供との遭遇」


 東雲は幼い頃から、「怪異」に呼ばれることが頻繁にあった。


 学校に居る時、友達と遊んでいる時、その帰り道。家族で山へ行った時、川遊びした時、海へ入った時等々。必ずは寄ってきて、ニタリと不気味に笑いながら東雲に向けて手招きするのだ。―――その都度、東雲は恐怖と不安に苛まれた。

 奇々怪々な経験を繰り返してきたことで、東雲のこれまでの人生はお世辞にも良いものとは到底言えるものではなかった。


 しかし今回は、少しばかり雰囲気が違っていた。一歩境内に入れば、不思議と東雲の中にある不安や恐怖が消えていったのである。


 『それなら進むしかないよ。……大丈夫、君は私が守ってあげるから』


 ふ、と。幼い頃、誰かに言われた言葉を思い出す。

 あれは何処で、誰に言われたものだったか。怖がる自分の手を握ってくれたのは、一体誰だったのか。――夢現ゆめうつつな世界に包まれて、今の東雲には、思い出すことが出来ない。

 「……そうだ、大丈夫。今日は偶々そうなっただけだ。きっとまた、すぐに現実世界へ帰れる」

 東雲は譫言うわごとのように自分に言い聞かせた。少しでも良い方向に考えようと、両手を合わせて拝むように冷えた手を擦った。


 境内にも人の姿は無く、灯籠がぼんやり建物を照らしているだけだったが、不思議と嫌な感覚もない。むしろ神聖という表現が相応しく、空気が澄んでいて心地が良い。

 手水舎で手を清め、東雲の足は自然と前に進んでいく。途中、階段を上った先にある楼門の手前で何かの視線を感じて見上げたが、其処には二匹の狛狐が凛とした姿で佇んでいるだけであった。

 「テレビや写真では見たこともあったけど……実物だとまたすごい迫力だな」

 楼門を入れば外拝殿―――舞踏や神楽の際に奉祀されるための舞台がある。その周りをぐるりと半周して本殿が隣接する内拝殿が見えてくると、自然と何かに背を押されているように足早になった。まるで急かされているかのように。


  空も暗さを増していた。日はとっぷり沈み、雲だけが相変わらずの早送りで進んでいる。いずれ月が出るのだろう。参拝したら、早くこの世界から出よう。――東雲は内拝殿の階段を上り、ボトムの後ろポケットに入れていた財布を取り出して小銭を確認する。

 「小銭あったかな……五円が良いんだっけ?」

 そう言って取り出し、賽銭箱へと近付いて五円玉を中へと入れた。賽銭箱の中で小銭同士がカチリと当たる音がする。

 ガラン、ガラン。

 東雲が本坪鈴ほんつぼすずを鳴らした、その時―――


 『わたしを助けろ』


 「えっ」

 幼い子供の声がした。東雲が顔を上げた瞬間、眩い光に包まれる。

 次第に目が開けていられない程の眩しさになり、東雲は肩をすくめて瞼を強く閉じると、何かが突進してきたことで腹部に強い衝撃を受けた。

 「うわ、!」

 体にかかる重みのバランスを保てなくなって混乱した東雲は、態勢を崩してその場に倒れ込んでしまった。眩しすぎる光に、暫く目を瞑っていることしかできなかったが、何かが自分の服にしがみ付いていることに気付く。東雲は恐る恐る瞼を開き、その正体を確かめるためにゆっくりと上半身を起こした。


 そこには、一人の子供の姿があった。……六、七歳くらいだろうか。子どもは一風変わった雅な着物を着用し、異人のような淡い金色の髪はまるで日の光を浴びているかのように輝いている。

 性別は分からなかった。ただ、じっと東雲を見上げている。

 「子供? 一体何処から……」

 「人の子よ。頼みがある」

 言葉を遮るかのように、子どもは表情を変えず古風な口調で言い放った。


 「今すぐわたしを連れて逃げてくれ」

 「……え?」

 突然のことに、東雲の思考は停止した。

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