第192話 設立⑧
「御商会で作られてます金物類と雑貨類、どうか…どうか我が黄昏商店に卸して頂けますでしょうか!」
神の宿り木商会設立に伴い、新たに作られた拠点。
スタトリンとサンデル王国の境界線となる峠の麓…
宿屋の支店のすぐそばに建てられた、神の宿り木商会の事務所。
最も、事務所とは言ってもただの受付窓口な拠点であり、建物は宿屋の支店以上にこじんまりとしている。
正面の外壁に目印となる商会の看板があり、そのそばに余計な飾り気などない扉がある。
中は最低限の体裁を保つ程度の装飾と、交渉を行なう為の席となるテーブルにソファが中央に設置されており…
そこを交渉の場となる応接室として設けている。
その背後には事務部屋を装ったバックヤードにつながる扉があり、その中はお茶出しなどに使われる台座が最低限あるくらいで、その奥にリンの生活空間への出入り口が設置されている。
商会としての経営の機能は基本的に、リンの地下拠点の一階に集約されている為、主に交渉目的の商人、商店、商会との交渉目的で作られた拠点となっている。
その為、商会の交渉担当となるエイレーン、ジュリア、イリスが、交渉を望む相手がこの拠点を訪れた際は、三人のうちの誰か一人がすぐに出られるようにしている。
加えて接客応対が必要となるのでリンのメイド部隊のメイドは最低一人…
加えて、拠点と従業員の防衛で商会の防衛部隊の隊員が最低二人は、営業時間となる八時~二十時の間は四時間交代で常駐することとなっている。
建物自体は例によってリンの【空間・結界】に護られており…
外からの破壊目的の攻撃は、よほどのものでなければまず問題なし、と言える状態になっている。
中は常に防衛部隊の隊員が常駐しているので、交渉から荒事に発展するような事態にも対応できるようになっている。
この拠点を建ててから、神の宿り木商会の噂を聞きつけた商人、そして商店、商会の人間がひっきりなしに訪れるようになり…
この日も交渉の為に訪れた者の、心からのものと分かる冒頭の台詞が、応接室に響き渡る。
「金物類と雑貨類…ですか」
この日、神の宿り木商会の顔として交渉に臨むのはジュリア。
元々ジュリア商会の会頭として場数を踏んできた彼女は、リンの専属秘書なってからも、リンの為に多くの交渉の場に立ってきたこともあり、凪いだ海のように淡々としている。
「はい!我が黄昏商店は――――」
今回の交渉相手は、黄昏商店と名乗る商店の長となる女性…
と言うにはまだあどけなさが残ることもあり、少女と言っても差し支えない人物。
名はエイミと言い、年齢は十六歳。
その顔を目立たなくする大きな黒縁眼鏡と、少しぼさついて顔の輪郭や造詣を目立たなくさせる深い紫の髪のショートヘア。
そして、飾り気など一切ない農夫の作業着のような服装が、彼女を野暮ったく見せている。
だが、そこまで自己主張が激しいわけではないものの、スタイルそのものは引き締まっていて凹凸もハッキリと分かるもの。
野暮ったい眼鏡と髪に隠された顔立ちも、ジュリアのような目立つ美人ではないものの、造形そのものは整っていて、ふんわりとした可愛らしさの目立つ美少女と言える造詣となっている。
そんな彼女が長となる黄昏商店は、まだ設立から半年程の箸にも棒にも掛からぬ商店で、しかも従業員はおらず彼女一人で切り盛りしているとのこと。
おまけに立地は、国内の整備された領地からは外れた山奥のひっそりとした名もなき村で、位置としてはキーデンの南西にあたり、整備された町に出ることすら険しい場所となっている。
取り扱っているのは、生活を便利にすることのできるものならなんでも、とのこと。
だが、出来たばかりの商店、しかもぱっと見が純朴な田舎娘と言えるエイミが長と言うことで特定の仕入れ先を作ろうとしても交渉らしい交渉にすらならず…
結局、キーデンにあるジャスティン商会の支店で、村にとって必要となるであろう生活雑貨を仕入れ、それを村に持ち帰って販売しているのだと言う。
それでは、ろくに商品も揃えられないだろうとジュリアが問いかけると
「あ、あたし【闇】属性の【収納】が使えるんです」
と、ほわほわとした声でエイミは返してくる。
しかも、その身に内包する魔力の総量がかなり多く、エイミの収納空間のサイズはこの神の宿り木商会の事務所一軒分程もあるとのこと。
それゆえに、商品の輸送は特に問題はなく、扱う商品も小物がメインとなる為、一度の仕入れで一月分の商品は輸送できていると、エイミは答える。
最も、使える属性は【闇】のみで、しかも使える魔法は【収納】のみである為…
戦闘はもちろん、移動時間の短縮に使えるような魔法は使えない。
しかもろくに整備されていない山道を毎回徒歩で移動しており、道中野宿することももはや日常茶飯事と言う状態らしい。
「どうして、そこまでしてその村で商売をするんですか?」
利便性など皆無に等しく、農業も力技やあるものの工夫で乗り切るのが常の村である為、売れ行きそのものは好調ではある。
だが、輸送費などを一切考慮せず、仕入れ値にわずかばかりの利益を付与しただけの価格で販売している為、儲けは微々たるもの。
輸送と店舗の維持費、そして生活費を考えると黒字なんてもってのほか。
それどころかいつ赤字になってもおかしくない、ギリギリの状態である。
かつて、十台半ばで商人を志し、一人でジュリア商会を設立してスタトリンと言う地域の密着型の商会にまで成長させたジュリアは、エイミがどうしてそこまでしてその村での商売にこだわるのかがとても気になってしまう。
「あの村は、あたしの心…命をも救ってくれた、大切な故郷なんです」
ジュリアがつい漏らしてしまった疑問の声に、エイミは穏やかな笑顔を浮かべながら、つらつらと自身の過去を語り始める。
元々エイミは、キーデンで真っ当に商売を営んでいた雑貨屋の一人娘として生まれ、決して富に恵まれていたわけではないものの、両親と共に幸せな生活を送っていた。
だが、エイミが九歳の時…
目立たないがおっとりとした美人で、店の看板娘として夫と共に商売に精を出していた母が、キーデンの領主の寄子となる名誉子爵に目をかけられてしまったのだ。
当然、すでに夫のある身であり、しかもかけがえのない店があることから、母は丁寧に名誉子爵にお断りの意を示していた。
だが、甘やかされて育てられたせいかとにかく我儘な名誉子爵は、自分に言い寄られて靡かない、などと言うことを許容できなかった。
どうしてもエイミの母を妾として迎えようと、執拗に言い寄り…
それでも自分に靡かない彼女に業を煮やした彼は、自分のものにならねば店を潰す、と脅しをかけてきたのだ。
選ぶ余地のない選択を突きつけられ、それでもやんわりと拒絶したエイミの母。
それにより、名誉子爵ありとあらゆる手を使って店の妨害を行使していった。
お前が首を縦に振らねば、より妨害は苛烈になっていく。
そう言わんばかりに、日に日に店への妨害行為は苛烈なものとなっていった。
そうして、名誉子爵はエイミの家族を真綿で首を絞めるかのように追い詰めていった。
すでに店はまともな営業などできず、明日どころかその日の食べるものさえもままならない程の状況に追い込まれ…
しかしそれでも、名誉子爵の思い通りにはならないと、懸命に生きようとした。
エイミの一家のその姿に、名誉子爵は怒りを抑えることなどしなかった。
ついには、店の近所に住む民達をも巻き込んで虐げにかかってきたのだ。
お前が俺のものにならないから、こうなるのだ。
お前が俺の女にならないから、この者達が被害を被るのだ。
そんな、どこまでも身勝手で幼稚な感情のままに動く名誉子爵。
この悪魔のような男と決別すべく、エイミの父と母は店を捨て、領地から去る決意をした。
自分達の災いに巻き込んでしまった周囲の民達一人一人に頭を下げ、わずかに残った金銭と手荷物だけで、家族が穏やかに暮らせる地を求めて、キーデンを去っていった。
だが、どこまでも自分の思い通りにならないエイミの家族に、名誉子爵はまたしても癇癪を起こしてしまう。
ついには戦闘に長けた冒険者を極秘に雇い、エイミの一家を殺そうとしたのだ。
そして、雇われた冒険者達はあっさりと新天地を求めて、弱った身体を突き動かしているエイミの一家を見つけてしまう。
そして、まだ幼いエイミの目の前で、エイミの両親の命を奪ってしまう。
死を覚悟した両親が、娘だけでもと必死にエイミを冒険者達から隠してくれたおかげで、エイミはかろうじて冒険者達の手から逃れることができた。
だが、目の前で両親を殺され、その心に残ったのは絶望のみ。
エイミは、もはや生きる気力を失ってしまう。
「………………」
そこまでを聞かされ、ジュリアはエイミの壮絶な過去に言葉も出せなくなってしまう。
今だけを見れば、エイミがそれ程の凄惨な過去を背負っているなどとは到底思えない。
だからこそ、それを知った時の衝撃は凄まじいものとなってしまった。
「……でも、そんなあたしを救ってくれたのが…」
しんみりとした表情を浮かべながら、エイミは続ける。
いつの間にか意識を失っていたエイミが再びその目を開けた時…
エイミの視界には、見知らぬ家屋の天井が飛び込んできた。
ここは、どこなんだろう…
あたし、どうなっちゃったんだろう…
ぼんやりと、ぐちゃぐちゃになっている思考を整理しようとして…
父と母が、自分の目の前で殺された記憶がフラッシュバックしてしまう。
夢だと思いたい。
現実だと認めたくない。
そんな光景がフラッシュバックしてしまい…
エイミは、ぼろぼろと涙を零して泣き出してしまった。
――――おや、目が覚めたんだね―――
そんな時だった。
人族に近い姿だが、純粋な人族ではない…
狐の耳と尻尾を持った、妙齢の女性が現れたのは。
女性にしては長身で、やや凹凸に乏しいがその分スリムで引き締まっている。
顔立ちは少々キツい印象こそあるものの、彼女が放つ雰囲気そのものは決してそうではなく、むしろふんわりとした感じまである。
着ているものはお世辞にも見栄えがいいとは言えない、ボロ布を衣類として見せかけた程度の質素なものだが…
彼女の凛とした姿が、それをマイナスにさせていない。
それ程の美貌と雰囲気を、彼女は見せている。
――――…こんなにも幼い身の上で…人族ってのは、どうしてああも同じ種族の者にまでひどいことができるんだろうね…――――
両親の死と言う、身を切られるような苦しみと悲しみ。
それを自覚し、涙が止まらないエイミのそばに、彼女は膝を折って近づいてくる。
そして、そっと泣きじゃくるエイミを、自分の胸の中に包み込むように抱きしめ…
その心を癒すかのように、小さな頭と背中を優しく撫でる。
もう、止まらなかった。
狐人族の女性の優しく温かな抱擁に、エイミは声をあげて泣いた。
そして、その女性が無残に殺されてしまったエイミの両親の遺体を、自身が住む村の方に丁重に運び、弔ってくれたことを聞き…
エイミは、村の者が作ってくれた両親の墓を目の当たりにする。
そして、もうこの世にいない両親への想いが爆発してしまい…
その心にある全ての悲しみと苦しみを吐き出すかのように、ただただ泣き続けた。
その村の者達は、そんなエイミの心を癒そうと、とても温かく優しく育んでくれた。
自分達も、亜人狩りの魔の手から逃れるように、人族の手の届かない辺境の、ろくに整備もされていない村で貧しい暮らしをしている。
何より、本来ならば自分達が憎むべき人族だと言うのに。
にも関わらず、村の者達はエイミに危害を加えるような真似は一切せず…
それどころか、まるで自分の家族のように愛情をもって接してくれた。
人族の醜い心に家族を奪われたエイミが、人族ならぬ亜人に救われ、目いっぱいの愛情をもって育んでもらえた。
そのおかげで、エイミは傷ついた心を癒し…
村の者達の為に、【闇】属性の【収納】魔法を習得し、村の運搬作業全般を担うようになる。
そして、あまりにも不便な村の為に、自らが商人となって村にとって便利なものを仕入れ、日々の感謝を込めて提供させてもらおうと一念発起。
そして、今に至る。
「…………」
エイミの生い立ちと、その村にこだわる理由…
それらを聞かされたジュリアは、ただの欲ボケ商人かと思っていた考えを改める。
この娘なら、リン様を裏切ったりなんかしない。
この娘なら、神の宿り木商会の一員として絶対に必要な存在になってくれる。
何より、
――――リン様なら、この娘とこの娘の村を助けたいって、絶対に思うはず――――
そう、ジュリアは思わされた。
「あ、す、すみません、こんな話しちゃって…と、とにかく…お、御商会の商品はとても使いやすくて、そんなに数を仕入れていないにも関わらず、村の中でも評判になっております。村の人達の為にも、どうか我が黄昏商店に卸して頂きたく思い…」
そして、どこまでも村の人の為と言って交渉してくるエイミに、ジュリアの心は固まった。
「……エイミさん」
「?は、はい?」
「もし、そちらがよろしければですが…」
「?」
「黄昏商店…当商会の系列商店とさせて頂きたく思います」
ジュリアのその一言に、エイミは一瞬何を言われたのか分からず、言葉を失ってしまう。
だが、ジュリアの言葉を意味をじょじょに頭が理解していく。
つい最近起こしたばかりで、自分以外に従業員など当然おらず…
構えたばかりの店舗も自宅を少し改装しただけのみすぼらしいもの。
商店と呼ぶにはおこがましいとさえ思えてしまう。
そんな黄昏商店を、すでにジャスティン商会をも上回る規模を持ち、飛ぶ鳥を落とす勢いで繁盛し続ける神の宿り木商会の系列に加えてもらえる。
それを理解し終えたら、エイミはそれが信じられないと言わんばかりの驚きの表情を浮かべてしまう。
「そ、それは本当なんでしょうか!?うちのような、商店とは名ばかりのところを、神の宿り木商会の系列にして頂けるなんて!?」
「はい」
「ど、どうして…」
「あなたの村の人達を思う心、誠実さ…それらは、当商会の看板を背負って頂くに相応しい…私は、そう思わせて頂きました」
「!!……」
「それに…私が絶対の忠誠をお誓いする会頭でしたら、あなたのような方…あなたを心優しく育んでくださる村の方々を助けたいと、絶対におっしゃるはずだからです」
「!!!!……」
「黄昏商店…我が神の宿り木商会の系列に加えさせていただいても、よろしいでしょうか?」
「は、はい!!こちらの方からお願いしたいくらいです!!」
「ふふ……ありがとうございます」
「い、いえ!!こちらの方こそ、ありがとうございます!!」
沈着冷静な表情を緩め、柔らかで優し気な笑顔を浮かべて、黄昏商店を神の宿り木商会の系列にすることを改めて伝えてくるジュリアの言葉。
その言葉に、エイミはこれで村の人達にもっといいものを提供できると、心からの笑顔を浮かべる。
ジュリアはそんなエイミの笑顔に絆され…
今後はエイミが神の宿り木商会の一員として、系列となる黄昏商店を切り盛りしてくれると思うと、より嬉しさがこみ上げてくる。
会頭となるリンにも、エイミのこと…
そして、黄昏商店のことを伝え、今後系列の商店を担うエイミにリンと顔会わせをしてもらおうと思い…
ジュリアは、この拠点に常駐しているメイドに、リンをここに呼ぶように伝えるのであった。
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