怒ってる時とは結果的に不都合な時であるという話
自分が怒るのはどんな時か?
他の人が自分の言うことを聞いてくれないとき?
絶対的に悪いと感じる行動をとる人がいるとき?
理不尽な現実を目にしたとき?
自分が無実の罪で裁かれそうなとき?
まあ色々考えられると思うが、どれもが自分が立場的に不利、又は立場が下がった時だろう。どの場合にしても自分が損をした時であったり、自分の思うようにいかなかったりしたときに怒ってしまっているように感じる。
もっと言うと、「実は自分に非がある時」や、「相手の言い分も一理あると思ってしまった時」こそ怒ってしまわないだろうか?まさに八つ当たりというやつだ。
人が言うとおりに仕事をしてくれなかったとして、怒りを感じたとする。そういった場合を精査していったとき、何故か自分に少しでも非がある時のほうが怒ってしまっていた気がする。しかも自分が自分の非に関してはっきり認知していない段階こそ一番怒ってしまう気がする。表面的に怒らなくても、感情に振り回されてよくわからない理屈を賢げに言っていた気がする。
他の人が完全に悪い場合はそれこそどうしようもなかった話であり、他の人への話のネタとして消化したりしたりすればいい。完全に自分が悪かった場合でも自虐ネタにでも使えばいい。
でもそれらの間、つまり他の人が悪そうに見えつつ、自分の非はないと信じたい、くらいの気持ちの時が一番怒っている気がする。
こういうことを考えると、「怒り」というのは一種の自己防衛機能のような働きをしている気がする。自分の非を認めないための。自分が都合よく生きるための。
とはいえそれに頼った生き方をしていては人に嫌われて仕方ない人生にならないだろうか。
理想論を言えば、問題が起こっているのだから怒ってなどいる場合ではなくてもっと解決策を考えるべきともいえる。怒っていても事態が好転することはない。それは中々難しいが。
つい怒ってしまいそうなとき、賢明な判断ができるようになるといいなという話。
もう少しした後これを読み返して、「自分に怒っている」という状況を想定していなかったなと思った。八つ当たりをしてしまったとき、そこには二つの事実が存在する。その人は実際に怒っているという事実と、怒りを向ける矛先が間違っているという事実だ。これは間違いないだろう。
怒っていた人がバカな場合は怒るべき相手を間違えていたということもあるのだが、そうでもないこともあると思う。その人は正しく「自分に対する怒り」を感じ、ただしその後結果として発生した怒りの矛先を間違えた場合である。
自分が事実を理解できているという仮定のもと八つ当たりを行わないには、「自分に対する怒り」という分類を理解しておいた方がいいだろうなという追記。
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