アンガーコントロールについて

東 哲信

1.なぜアンガーコントロールか

 腹が立ったら、まずは一息をつけ、青いもの見ろ。

 こうしたアンガーコントロールの方法は、生理的な根拠に基づいて有効なものだろう。とくに、一息つく(深呼吸をする)という方法は意図的に副交感神経のはたらきを優位にせしむ効果的な方法である。

 尤も、私は神経や心理の専門家ではない(といっても、後述することでさえ、私はなんの専門ではないが)から、先に述べたことは極めて適当である。だが、あまり専門家に追従してなんでもかんでも世渡りをしようとすると、社会の中にある人々は専門家の意見に基づいて、初めは二分、三分と、ついには全体的に均一な価値や形式を有した集合に整備されかねまい。つまるところ、専門家追従の体系化された学問への異常な崇拝は、自らを専門家のコピー品として作り変え、自らの個人的な問題についてさえ、自ら立ち向かわぬ卑怯な態度といえるわけである。このことを換言するなら、人間として生きることをやめることであると言ってもよかろう。

 では、なぜ、いま、そうした問題の中でもアンガーコントロールを語る必要があるのか。それは、先に述べたように、人間として生きるためには何事も自分で考えることが重要であるという理由に加えて、現代のグローバル化という社会の変容、あるいは、そこにぎごちなく追従しようとしている政治家のアソビゴトは、確実に、市場経済の拡大と銘打ち、人々を疲弊させていると思われるからである。(この点については、姜尚中氏の「愛国の作法」という書籍を参考願いたい)。

 それだけでなく、まがいなりにも、民主主義国家のみであっても、かつての世界は、第二次世界大戦で散った多くの命に対する反省を果たそうと、「近代国家とは何か?」 という問題を見つめなおし、平和な世界を温蔵しようとしていたわけである(むろん、火花は無数に散ったわけであるが。)だが、今やロシアによる侵攻をはじめ、中国による台湾進攻の危機、ひいては我が国の奄美諸島への危機など、再び我が国の平和を揺るがす事態、および、第三次世界大戦の種は散布されているのである(尤も、この種を生んだ国、人、思想が一体どう作られたか! 民主主義国家とのさばる国々の有力者は頭を冷やすべきであるが!)。すなわち、世は再び、戦乱に向かうかもしれないわけで、その中で生じる、奪われることへの恐れが、やがて無尽蔵に戦火をまき散らす怒りに変わり、怒りへの恐れが新たな怒りを生み、そうした怒りの連鎖の中で、誰かが核のボタンを押してしまえば? 総て終わりなのである。過去の過ちで死んでしまった人々に対する贖罪は、永久に果たされることはなくなるだろう!

 だからこそ、我々は今、怒りについて考え、アンガーコントロールとはなにかについて考えるべきなのではないだろうか。私は、そう思い、大学の課題そっちのけで秋の夜長をしているのである。

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