第44話 流れゆく日々

 7月に入り、より一層じめじめした暑さに襲われて夏の訪れを感じる。藤宮の学校ではこの時期はこれといった行事もなく、学生たちにとって平穏を満喫できる時期だ。ただ、それは普通の学生に限る。テストが終わった藤宮は、ためてあった仕事に取りかからなければならない。7月のある日の夜、自室にこもった彼は憂鬱な面持ちをしながらパソコンに向かう。


(うわぁ~、修正箇所だらけだ)


 担当の編集から送られてきたメールを開いた彼は大きくため息をつく。


「締め切りもうすぐだ、はやく終わらせないと!」


 テスト期間中には執筆していなかったせいで、修正の締め切りが間近に迫っていた。赤字に目を通した彼は素早く手を動かす。修正の作業は時間はかかるが、そこまで苦手としていない。よりよい表現を模索したり、ストーリーを少し変えたりするのはむしろ楽しい作業かもしれない。しかし、彼にはもう一つ難題が残されていた。


(タイトルも早く決めなきゃな……)


 タイトル。作品の根幹であり、これを読めばある程度ストーリーを推測できる。初めにタイトルを決めて書き始める人もいるそうだが、そんな芸当は彼にはできない。ある程度ストーリーが固まってから、それに合ったタイトルを考えるのが藤宮のスタイルだ。近頃はストーリーの内容を伝えようとするあまり、なんと略していいのか分からないくらい長いタイトルの作品が増えている。どちらかというと逆張り気質がある藤宮は、そういう最近の流行りにのりたがらないという面倒くさい一面もあった。そのせいでタイトル決めで唸っていたが、ふと時計をみると二つの針がちょうど一番上で重なろうとしていたことに気づく。


「明日は学校あるし、そろそろ寝るか」


 結局、面倒なことは後回しにして風呂に向かった。何しろ最近は学校も悪くないと思えてきて、ちょっと楽しみになっているのだ。寝坊するわけにはいかない。








「おはよう、藤宮君」

「おはよう、桐嶋さん」


 学校に着くと後ろの席の桐嶋が挨拶してくれる。彼女とは浅からぬ因縁があるようで、席替えしても彼女の席は相変わらず彼の後ろだった。代わり映えしないと言われそうだが、最近はむしろこれのほうが落ち着く。


「おはよう、藤宮」


 変わったことといえば、藤宮に男友達ができたことだろう。高校に入ってずっとぼっちだった彼にとって、大きな進歩である。


「おはよう、松村」


 学校で寝ずにちゃんと起きていたら、ついに友だちができたというわけだ。今だからこそ藤宮は声を大にして言いたい。友だちができないと嘆いている人たち、嘘寝はよくないぞ。彼の場合は本当に寝ていたわけだが。とにかくちゃんと起きていないと人と話す機会がないから、学校では起きていることをおすすめする。


 松村という奴はなかなかいい奴で、適度な距離感で接してくれる。それが藤宮の性格に合っていて、一緒にいて楽しく感じられた。


「そういえばうまくいってるのか、桐嶋さんと」


 どうやらそうでもなかったらしい。耳打ちしてきた松村に対してしかめっ面をして反論する。


「そういう関係じゃないって言ってるだろ」

「ハイハイ、わかったよ」


 そう苦笑いしながら松村は自分の席に戻っていった。彼から聞くところによると、藤宮と桐嶋は密かに関係を噂されているらしい。それもそのはず。部活と委員会が同じで、テスト期間中はいっしょに教室で勉強していたし、普段から二人で話すことも多い。実際に噂を立てられるようなことをしている。藤宮としてはあらぬ誤解をかけられるのは勘弁して欲しかったが、かといってどうすればいいか分からない。否定しようとすればするほど噂は広がりやすいのだ。それに、この噂について桐嶋がどう思っているか彼にはいまいち分からない。そもそも彼女がこの噂を知っているかさえ分からない。もし彼女が嫌がっているなら、教室での接触は避けたほうがいいのだろうがその様子もない。そして、こういう類いの噂について本人に聞くのは気まずくなりそうなので気が引ける。


 むしろ気をつけたほうがいいのが西条のほうだ。あらぬ誤解をして変に気を遣わせるかも知れないし、予期せぬ行動を起こすかも知れない。それは避けたい。


 文芸部の存在は彼が学校を気に入っている理由の一つで、文芸部は藤宮と桐嶋、西条の三人がそろって初めて成り立っているのだから。三人の仲が微妙になる事態になって欲しくないというのが、彼の願いだった。








 授業を受け終え、藤宮と桐嶋はいっしょに部室に向かう。例の噂もあるが、とりあえず気にせずに行動すればいい。西条が何か言ってきたときにちゃんと説明すれば分かってくれる、となかば強引に結論づけた。どうすればいいのか分からない彼はこうするしかなかった。そして、今彼の頭の中に占めているのは自身のラノベのタイトルをどうするか。


 ――文芸部に入部した無個性の青年は、二人の女子部員と運命的な出会いをする。彼女らとの交流を経て、彼は自身の目標を決める。それは自分が好きだったラノベを書くこと、ラノベ作家になることだった。その過程で二人との関係が変わっていき――


 自分のことを少し変えただけのストーリーだったが、個人的に満足していた。あとはそれをうまく現わすタイトルが欲しかった。


(う~ん、文芸部の……、いや違うな。ラノベ作家の……)


「ぼーっとしてどうしたの?」

「えっ!? いや、ちょっと考え事をしていて……」


 出かかったアイディアが消えてしまったことに対する怒りをなんとか隠し、笑顔を向ける。次に、視線を前に移すと文芸部の部室はすぐそこにあることに気づいた。気を取り直してドアを開けると、すでに西条が待っていた。


「二人とも遅かったね」


 出迎えてくれた西条としばらく言葉を交わした後、彼と桐嶋は腰掛ける。彼はいつものように仕事を始めて、桐嶋は読書を始めて、西条は自作の小説を考える。文芸部は表面的には形を変えずに続いていた。

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