第41話 平穏

 テストが終わり、テスト返しまでの間は平穏が訪れた。テストが返されると否が応でも点数を直視しなければならないが、今このときだけは開放感に浸っていられる。真剣なまなざしで授業を受ける藤宮の姿は消え、今ではすっかり呆けた顔で授業を受けている。寝ないようになっただけマシになったと言えるかも知れないが。何気なしに授業を受け終え、荷物をまとめて桐嶋を待ってから部室へと向かう。彼女も急いで荷物をまとめて、藤宮の後についていく。この一連の流れが当たり前になったことが感慨深い。


「そういえば、藤宮君」

「ん? どうした?」

「最近、授業ちゃんと聞いてないでしょ」

「え!? それは、まぁ……テスト終わったばかりだし、つい」

「今のうちにしっかり聞いておいたほうがいいよ。またすごい追い込みをしたくないでしょ」

「それは確かにそうだけど……」

「それに私は次は藤宮君に教えられないんだから、自分で計画的に勉強するんだよ?」


 そう、次のテストでは桐嶋は西条に教えるから彼は自力でやらないといけない。いや、これが普通なわけだが彼にとっては初めての経験。土壇場の追い込みを避けるためにも今のうちから少しずつ勉強しておいた方がいいのだろう、と心に留めておくことにした。廊下を歩くこと数分、ついに二人は部室にたどり着く。西条はまだ来ていないようで部室はもぬけの殻だった。二人はそれぞれ定位置に陣取って、それぞれの作業に励む。パソコンをひらいて文字を打つ藤宮と、原稿用紙に文字を必死に書き付けている桐嶋。ところが、どうやら桐嶋のペンはインクが出ないようで何度も書く手がとまっている。そして、そのたびにペン先をティッシュでくるんでいるのが見えた。


「インクが出ないの?」

「うん、久しぶりに使ったからインクが固まったんだと思う」

「なるほどね、シャーペンを使うのはダメなのか?」

「シャーペンだと書いた文字が消えかかって見えなくなることが多いから、そんなに使いたくないかな。それに……」

「それに?」

「万年筆とかで書いた方がおしゃれでいい感じじゃない?」

「まぁ、確かに……」


 そう言って彼女は手に持っていたペンを彼の方へ近づけた。万年筆には詳しくないのでよく分からなかったが、確かに趣があっておしゃれだと感じた。シャーペンではこの雰囲気は出せそうにない。レトロが好きな人の気持ちが少し分かった気がした。


(そういえば、けっこうレトロなところあったけ)


 テスト期間中に、勉強のため彼女の部屋に入ったことを思い返す。意外にもレトロな雰囲気だった彼女の部屋。もう少し無機質な雰囲気を想像していたが、実際は彼女の色が出ていた。


(テスト勉強でお世話になったし……まぁ、いっか)


 まだ彼は新作の一巻を出せていないので現在収入はないが、前作の印税の収入はまだ残っているし、両親だって仕送りをしてくれている。それにテストが終わったこともあり、新作刊行の準備ももう少しで終わるはず。余裕なら十分にある。


「万年筆とかにこだわってるの?」

「う~ん。こだわりたい気持ちもあるけど、高いから特にこだわってないよ」

「へぇ~、高いやつは高いんだ。ちなみに欲しいものはどれくらいするの?」

「えっとね、これなんだけど――」


 サプライズの方がかっこいいよね、という謎理念にとらわれて遠回りしながら彼女の欲しそうなものに見当をつけていく。彼女はスマホで通販サイトにアクセスし、値段を見せてくれた。値段は10000円にはいかないくらい、普通の高校生ならたかがペンにこれだけお金をかけられないだろう。


(よし、これくらいなら――)


 自身がラノベ作家であることをこれほど幸運に思ったこともない。


「遅れてごめん、ちょっと長引いちゃって」


 その後、彼女がしばらく自身の趣味について語っていると西条が入ってきたが、桐嶋は話を続けている。


「文香は好きだよね、レトロなもの」


 こうやって話し始めたことが何度もあったのだろう。西条はやや苦笑しながら口を開いた。


「そうね。凝ったデザインとちょっと機能性が悪いのがいいね」

「前者は分かるけど後者はどうなんだ」

「だんだんわかってくるのよ、これが」

「そんなもんか……」


 今の彼にはさっぱりだったが、そのうち分かるようになるのだろうか。ただ、便利さが溢れた今こそ不便さを楽しむというのは、彼自身に欠けた考え方に思えて悪くないように感じられた。実際、パソコンで打つより自分の手で書いた方が自身の思いが乗り移る気がしなくもない。



 




 やがて窓の外はすっかり茜色に染まり、彼らは帰る準備を始めた。戸締まりをしている彼女たちの傍らで、藤宮はスマホで近くのデパートの場所を調べる。


(最寄り駅からそう遠くないところにあるな)


 これなら帰り道に寄っていけそうだった。思わず口角が上がる。


「宏人君、もう帰るよ」

「あっ、ごめん。ぼーっとしてた」


 彼女たちの声を聞き、藤宮は急いで彼女たちの後を追いかける。彼を見て、西条と桐嶋はやれやれといった表情をしながら待っていてくれた。


 三人がともに手の届く場にいるこの日々。かけがえのないものは失って初めて、そのありがたみと幸せに気づくことが出来る。桐嶋と西条の会話に適当に相槌を打ちながら、彼はそんな日々を消費していく。やがて桐嶋と西条それぞれと別れ、藤宮はデパートの文房具の売り場に足を運んだ。

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