第39話 秘められた意味

 長かったテストもいよいよ終わりが見えてきた。残り科目は四つ、あと二日でテストは終わる。理系科目の数学Bと生物は捨てるので実質二科目、日本史と現代文だけ。残りわずかだからこそ集中力を切らさず、藤宮は最後にザッと復習する。ふつうなら辛いはずなのに、今自分がやっていることが高校生らしくて悪くないと思えてくる。一度きりの高校生活を楽しもう、みたいな言葉は自分とは対極の人間の言うことだと思って、今までどこか忌避していたところがあった。しかし、今はその言葉の意味も分かる気がする。他人とは比べずに、彼は彼なりに楽しめている気がしていた。



 そして、ついに四日目のテストが終わって教室にはいつもの喧騒が戻ってきた。日本史と現代文はきっちり復習をしたのでいつぞやの世界史の二の舞にはならずに済み、安堵の息が漏れた。そしてぐるりとあたりを見渡すと、いろんなタイプの人がいることに気づく。テストの出来について詳しく話す者、テストなんか忘れて遊ぼうぜ、というスタンスの者。彼はそのどちらでもなく、静かに席を立って桐嶋のもとに向かった。


「お疲れ様、いっしょに帰る?」


 彼が桐嶋の近くに寄っていくと、珍しく彼女のほうから誘いがあった。そんなちょっとした変化を嬉しく思いながら、藤宮は彼女に笑顔を向ける。


「うん、ありがとう。誘ってくれるなんて珍しいね」

「そう……かな? まぁ何でもいいけど、綾乃はもう来てるかな?」


 彼女は照れくさそうに顔を少し背けて、別の話題を持ち出した。


(ミスったな……もう誘ってくれないか)


 余計な一言を言ってしまったことをちょっとだけ後悔しつつ、藤宮は彼女といっしょに教室から出る。西条はやはり廊下で待ってくれていたようで、彼らを見つけると手を振ってむかえてくれた。


「テストお疲れ~、みんなはどうだった?」


 彼女の呼びかけに応じて、まず彼が口をひらいた。


「文系科目は全体的に上がったと思う。綾乃は?」

「私はいつも通りかなぁ~、文香はどうだった?」

「私もいつも通りね」

「すごいなぁ~、宏人君に勉強を教えながら自分の学力をキープするなんてさすがだね」

「褒めても何もでないよ?」

「嬉しいくせに~」


 桐嶋をからかう西条、桐嶋もはにかんでいる。微笑ましい光景を見ながら、改めて二人と出会ったことを思いだす。文芸部の部室に足を踏み入れなければ、起こりえなかった出会い。運命はほんのちょっとした選択で決まってしまうが、逆に言えばちょっとしたことでも運命を変えられるということになる。


「それにしても文香は教え方がうまいのかな、宏人君は点数が上がったぽいけど」

「もともとが低いから上げやすいだけよ」

「それだけかな~」

「もともとが低いって……」


 ずいぶん失礼なことを言われたのでつい声を上げたが、事実なので言葉が続かない。桐嶋のほうをチラッと見ると、口角が上がっているのがわかった。反論できないことに満足げな様子だ。


「私も文香に教えてもらおうかな~、全然成績上がらないし。あっ、もちろん断ってもいいよ。これ以上負担が増えるのもいやだろうし」

「……もちろん、いいよ」


 ほんのちょっと間があったが、桐嶋は西条の申し出を引き受けた。彼女の顔はどこか悲しげな気持ちを孕んでいる気がしたが、彼にははっきりとは分からなかった。


「でも大丈夫? 二人分教えるのはやっぱり大変だよね?」

「……大丈夫。ねぇ、藤宮君」

「どうしたの?」

「勉強のやり方、わかったよね?」

「まぁだいたい。えっ、それって――」


 それはつまり、次からは桐嶋はテスト勉強をもう見てくれないということ。今回点数が上がったのだから、もういいと言われたらそれまでだ。何より西条を教えることになったのだ。いくら彼女でも二人分の勉強を見ることは厳しいはずだ。もちろんそれは分かっているから、声に出してはいわないが……寂しかった。


「まだ結果は分かってないけど、今回のテストで間違いなく点数は伸びてるはずよ。というか前回より下がってることはないわ」

「そりゃぁ、下がりようがないし……」

「じゃあ、次はちゃんと自力でがんばってね」

「……もちろん、がんばるさ」


 桐嶋の顔は少し背けられて、彼のほうからよく見えない。そのため表情を読みとることは出来なかったが、彼女の声音は若干寂しそうだった。いや、彼が望んだとおりに聞こえただけかも知れない。寂しさを抱えながら、重い足どりで彼は歩く。


「じゃあ文香。お願いするね」

「うん、まかせて」





 桐嶋もまた、彼と同じ速度で歩む。せっかく縮まった二人の距離、ようやくうまく彼と接することが出来たのに……引き裂かれてしまった気がした。彼女は西条の言っていることの意味を分かりたくなかった。また同時に、自分自身のコミュニケーション能力と西条のそれがどれほど違うかは理解できていた。もし三人で勉強することになったら……最も想像したくない光景が、結末が目に浮かぶ。そして、あの一言で改めて彼女の気持ちが分かってしまう。彼女がこんなあからさまなことを言ってくるようになったということは、西条はもはや隠す気がなくなったということ。



 どんどん悪い方向に向かっているように思えた。暗闇にたたき落とされた感覚に襲われる桐嶋。運命はちょっとしたことで変わってしまう。どこで間違ってしまったのだろうか、と振り返ってみるが何も分からないままだった。もし間違いがあったとしたら、彼が文芸部の部室に入ってきたことかも知れない。そんな突飛なことを考えてしまい、彼女はまるで自分の思考が暗闇に置かれたままのように感じられた。

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