第41話

 遊川の眉間を撃ち抜いた時の引き攣った顔が、フラッシュバックした。自宅で亡くなっていたばあちゃんの死体を見た時の様子や、亡くなる直前に見た入駒の顔、真珠の笑顔も思い出した。引き金を引いた時の音や匂い、手に残る体液や鮮やかな血の色も、次から次にオーバーラップする。

 血塗られた自分の手を見つめ、キッチンで真珠を刺し殺したことを母さんに罵られながら、不意に目を覚ました。鮮明に聞こえていた母さんの声は、幻だったらしい。見知らぬ天井を見上げ、慣れない寝床で目を覚ますのももう何度目だろうか。いい加減に新鮮味を欠いている。

 真境名へ銃口を向け、引き金を引いた瞬間に死んだと思った。身体の中で蠢く糸に、内側から食い破られるような感覚もあったのに。

 余りにも鮮明な夢が衝撃的だったらしく、無意識に鼓動や呼吸が速くなっていた。浅い呼吸を少しずつ落ち着かせ、徐々に深呼吸へ切り替えていく。鼻から空気をたっぷり吸うと、消毒液の匂いがした。ちょっぴり甘い匂いも微かに混ざっている。

 ベッドの中で、身体を動かしてみた。首は問題なく動く。腕を使って上体を起こすこともできるが、足下に何かが乗っかっている。そちらを気にしながら、体をゆっくり起こした。桂花さんが、僕の足を枕に寝息を立てていた。僕が動いたせいで、一瞬身じろぎした。本格的に起きるかと思ったが、そのまま顔の向きを変えて動かない。呼吸に合わせ、背中がゆっくり上下する。

 左腕にはチューブが固定されていて、点滴らしいものとセンサーらしきものがついていた。どうやら、医務室のベッドのようだ。部屋に照明は点いておらず、薄暗い。何時頃なのか、時計を探してみる。

「やあ。気分はどうだい?」

 一人でしばらく時計を探していると、入り口のドアをゆっくり開け、空湖さんが入ってきた。彼は点滴やセンサーをチェックして、手元のボードに何かを記入する。

 僕は口を開け、彼に話しかけようとするが、喉が掠れて声が出ない。空湖さんは、枕元の水差しを持ち上げた。

「無理にしゃべらなくていい。まずはゆっくり水を飲んで」

 空湖さんの手を借りて、僕は水を口に含んだ。カラカラの喉に水が染みていく。空湖さんは数回に分けて、僕に水を飲ませてくれた。彼の介抱を受けていると、足元で寝ていた桂花さんが、目を開けた。眠そうな目を擦りながら、まだ半分寝ている顔でこちらを見ている。

「再生は問題ないようで、何よりだ。君の遺伝子は特別だからね」

 空湖さんは水差しを元の場所へ戻しながら、何気ない口調で言った。蘇生でも修理でもなく、再生とは耳慣れない表現だ。そう言えば、駿もやられたはず。彼の蘇生はどうなのだろう? 僕と同様に回収されて手当を受けたのなら、近くに寝かされているかもしれない。

 辺りをしっかり見回す。それなりに広い部屋なのに、ベッドは僕が使っているこの一台だけらしい。

 空湖さんから連絡が行ったのか、米利刑事が織林刑事を伴って、ヨレヨレの格好で静かに部屋へ入ってきた。彼は僕に「よう」と挨拶すると、近くのスツールを引き寄せ、ベッドの近くでどっかり座った。

「真境名、遊川の排除、ご苦労さん。ご家族もクラスメートも、我々で保護したから安心してくれ」

 彼は声の調子を落とし、いつもより声量を抑えて言った。織林刑事の補足によると、僕と桂花さんの家族は、近くの別室で休んでいるらしい。

「あとは、回復を待って再協議に望めれば、問題解決だ。調子はどうかな?」

 米利刑事は、僕と空湖さんの顔を順番に見る。彼の言い方からすると、タイムリミットにはまだ余裕があるらしい。グレゴール氏も、こちらに来ているらしく、僕の準備さえ整えば、いつでもリセットを止められる状況のようだ。だが、僕が知りたいのは、そういう情報じゃない。

 僕の様子をじっと見ていた織林刑事は、米利刑事の袖を摘み、「先輩、ちょっと」と彼の腕を揺さぶった。彼は「なんだよ」と織林刑事の方を向き、彼女の顔を見て「分かったよ」と呟いて、僕に向き直った。

「君の聴きたいことは?」

「駿は?」

 僕は言葉を絞り出すが、喉の開きが悪いらしく、一音一音掠れさせながら呟くのが精一杯だった。それでも米利刑事は聞き取ってくれたらしく、顔を歪め、下を向いて首を横に振った。

「越智くんは、ダメだった」

 米利刑事に代わって、空湖さんが僕の問いに答えた。

「バックアップを多重化しておいたんだが、リミッター解除で全部ダメになってしまった」

 空湖さんの説明によると、ピューパが起動するとザ・シティで半自動的にバックアップしてある記憶も遠隔で破壊されてしまい、記憶の復旧、ダウンロードや蘇生が不可能になるらしい。僕らが真境名の元へ向かう前に、特別な体制でバックアップを取っておいたのに、リミッター解除によるフィードバックで、多重化したバックアップもデータが破損してしまったようだ。

 僕も真境名にピューパを使われたが、多重化したバックアップを使って、保存済みの遺伝情報と組み合わせ、特別な蘇生、促成培養による再生が出来たという。

 僕みたいな奴が生き残ってどうする? 特別な才能も夢もない、どこにでもいるつまらない奴なのに。

「どうして、僕なんですか」

 たまたま最初の被害者と面識があって、真境名の訪れた学校に縁があっただけで、クラスメートや家族、幼馴染を奪われる理由が分からない。そこまでして生かされる意義も、自分にあるとは思えない。生き残るなら、僕じゃなくて駿の方だった。運動ができて、性格も明るく、機転も利いて、今回の件も最後まで積極的だったアイツの方が相応しい。

 気が付くと、両目から涙が溢れていた。僕は、米利刑事の両腕をすがるように掴み、「なんで、なんで僕なんですか」と繰り返し、嗚咽を漏らした。

「君が必要なんだ。分かってくれ」

 米利刑事の悲痛な声が、頭の上から聞こえて来る。分かりたいが、分かりたくない。大人のワガママに振り回されるのも、世界の理不尽に付き合わされるのも、もう沢山だ。タイムリミットのことなど、もうどうでもいい。こんな世界も、こんな身体も、勝手に滅んでしまえ。

 僕は、僕のすぐ側にいてくれたクラスメートの女子の前で、周りの目も彼女の誠意も一切気にすることなく、子どものように泣きじゃくった。


 出せるだけの涙を出してしまうと、泣き疲れてしまった。ベッドの上でボーッと真っ暗な窓の外を眺め、部屋を出入りする大人や家族のことを気にすることなく、ただ時間が過ぎていくのをゆっくり味わっていた。

 外が段々白み始める。まだ五時前だというのに、流石は六月下旬。日の出が早い。

 グレゴール十八世が身をかがめ、部屋の入り口からゆっくり入ってきた。

「落ち着かれましたかな?」

 音の高さが安定せず、微妙に揺れる合成音声が、今は逆に心地いい。僕は返事も忘れ、声の主を見た。彼は周りの大人が用意する椅子に座ることなく、ベッドの横までやってくる。僕は母さんに耳打ちされながらも、身体に力が入らないまま彼の一挙手一投足を見つめている。

「再協議を望まれますかな?」

 グレゴール氏の言葉が、頭に入ってこない。音は捉えているが、意味を理解する気力がない。彼は全く反応を返さない僕に、特に何も言うことなく、ややゆっくり目に同じ言葉を繰り返した。

「もうちょっと、待ってもらえませんか?」

 横でそれを聞いていた桂花さんが、グレゴール氏に言った。彼は、「ええ。構いませんよ」と答えた。

「ただ、タイムリミットは朝八時まで。あまりゆっくりされますと、取り返しもつきませんので、ご注意を」

 グレゴール氏は、「では、また後ほど」と僕らに頭を下げ、部屋に入ってきた時と同じ足取りで、ゆっくりと出口に向かう。ドアのところで身をかがめた彼の背中に、僕は「あの」と掠れた声で呼びかけた。彼はその場で立ち止まり、ゆっくり振り返った。

「再協議をすると、どうなるんですか?」

「詳しく知りたいのですか?」

 彼の言葉に僕が頷くと、彼は「それでは」と再びベッドの横に戻ってきた。僕の父さんや母さん、桂花さんのお姉さんがいるのも構わず、彼は再協議について、淡々と説明し始めた。

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