第16話 アラビカ豆の煮汁を搾ろう!

16.アラビカ豆の煮汁を搾ろう!


『くっ……その変わり身の早さは相変わらずね』

「ん、何か言ったか?」

『何でもないわよ』

 ヒルデは『こっちのことよ』とつぶやいた。

『アラビカ豆は、ここの元の持ち主が仕入れたのよ。アラビカ豆の煮汁が飲める店を開こうとしてたみたいね』

 ふーん。

 コーヒーショップのことかな。

「一つ教えてくれ、アラビカ豆の煮汁ってこの辺の人たちは飲むのか?」

『まさか、あんな苦いもの飲むわけないわ』

 ヒルデは生前飲んだことがあるようだ。

 険しい表情で、ぶんぶんと頭を振る。

 やっぱな。

 一般的じゃない飲み物なんだ。

 でも、この前、偉そうに『元気が出るのよ』なんて言ってたけど、あれってウンチク?

 ま、ツッコムとイヂメられそうなんで、言わないけど。

「てことは、ここの元の主人って……」

『そ。アラビカ豆を大量に買い込んで自爆したの』

 ヒルデは小悪魔っぽく笑った。

『それが引鉄で、宿は倒産。一家は路頭に迷ってしまったわ』

「かわいそーだな」

『でも、商売人って成功するか失敗するかのどちらか一つだけよ』

 ヒルデは訳知り顔だ。

「そうだな」

 オレはうなずく。

「アラビカ豆か」

 庶民はコーヒーを飲まなくても、上流階級は違うかもしれない。

 酸化してなけりゃあいいけど。

「それって、何時頃の話だ?」

『え? 去年の冬入りの頃の話よ』

 じゃあ、寒い時期だから保存状態は大丈夫かもな。

「もう一つ、ヒルデはオレの事を知ってるよな?」

『……え?』

 ヒルデは驚いて、目を見開く。

 オレの顔を見つめている。

 うおー、驚いた顔も可愛いのう。

 今すぐ抱き抱きしたいが、ぐっと我慢。

「単なる勘だが、ヒルデの言動とか態度を見る限りはそうとしか思えない」

『……』

 ヒルデは黙っている。

「オレは、この世界に来るまではただの学生だった」

 オレはヒルデを見据えたまま、言った。

「でも、この世界に来て、魔法を使った。性転換もしてしまった」

『……』

 ヒルデは耐えれず、オレから顔を逸らす。

「それはどうしてか。答えは簡単だ。オレはこの世界に関係がある。…まあ性転換は関係ないかもしれないけど」

 オレが言うと、

『……』

 ヒルデは再びオレを見た。

 悲しそうな瞳。

 ド○ドナの歌よりも悲しい感じがする。

「教えてくれ、オレは何なんだ?」

 直感だった。

 オレが変化したのも、もしかしたらここへ来たのも、オレがこの世界の住人だと考えれば、ある程度の説明がつく。

『……ダメ』

 ヒルデは苦しそうに声を絞り出した。

『これからも、あたしとこういう風に会いたいなら…、お願いだから聞かないで』

 ヒルデの目から涙が溢れてきた。


 ずきっ。


 オレの胸に痛みが走った。


 オレは、この娘を知っている。


 オレは、この娘の、この表情を知っている。


 悲しいこの表情を知っている。


 *


 ずきっ。


 *


 オレは、オレは、………………私は、私は、知っている。


 *


 古の時を経て、


 時を越えて、


 同じ表情を見ていた。


 *


 どうにもできず、


 どうすることもできず、


 人々の憎悪を受けて


 人々の許しを請うて


 *


 むごい仕打ちを受けて


 ヒルデの断末魔の声を聞き


 *


 私は


 私は、狂った。


 変貌した。


 *


 焼き尽くし、


 壊し尽くし、


 蹂躙し、


 蹴散らし、


 食らい尽くした。


 *


 そして、私は遂に捕らえられ、


 蹂躙され、


 蹴散らされ、


 焼き尽くされ、


 壊しつくされた。


 死んだ。


 完膚なきまでに死んだ。


 *


 死して尚、


 立ち上がった。


 私は


 怒り


 怒り


 怒り


 世界を憎み


 世の理不尽を憎み


 戦いを挑んだ


 それは世界に対する復讐


 *


『……ッ』

『………ッ』

『タ………カイ……ッ』

『しっかりしてよっ!!!!!』

 ヒルデの叫びで、オレは我に返った。


 な、なんだったったんだ、今の?


「あれ?」

『あれっじゃないわよ!』

 ヒルデは涙を流していた。

「なんか、今、記憶の奔流が……」

『バカッ、心配させないでよッ!!』

 ヒルデはオレに抱きついた。

 オレは最初はびっくりしたが、その感触の心地良さに安心してヒルデを抱きしめる。

『あんたって、ホント、バカなんだから』

 ヒルデはきつく抱きついたまま、

『心配させないで』

「ああ、分かった」

 オレはうなずく。


 *


 それは、もしかしたら前世というものなのだろうか。

 オレはこの娘を愛していた。……ような気がする。

 もちろん今でも好きなのだが、それとは別の次元で狂おしいほど想っていたのだ。

 女同士だが、それでも愛していた。

 いや、女の身体はしていたが、本来はそうでない。性別とかがない何かだったのだ。

 だが、ヒルデを失った。

 愛を失った。


 *


『……もう離れたくない』

 ヒルデはオレに抱きついたまま、つぶやいた。

『いっそ憑り殺せたらよかったのに…』

 物騒なことを漏らしてますよ、この娘。

「それは、まだ勘弁だな」

 オレは諭すように言った。

「オレにはまだ仲間を元の世界へ帰すって大仕事が残っている。鐶や美紀もいる。ヒルデのことも愛してるが、鐶と美紀も同時に愛している」

『……』

 どん。

 ヒルデは急にオレを突き飛ばした。

 力の強い幽霊さんだな。

 きっ。

 気丈にオレを睨んでいた。

「すまん、今すぐ君の想いに答えてやれなくて」

 オレはヒルデの手を取った。

『いいの』

 ヒルデはこつんとオレの胸に頭をぶつける。

 オレの豊満な胸が揺れた。

『……くっ。あんたの胸、あたしのコンプレックスを抉るのよね』

「ヒルデ」

 オレは彼女を抱きしめた。

 キスをした。

『あんたのことは好き……でも今のままは苦しいよ』

「心配すんな、みんなを帰したら戻ってきてやる」

 オレは言うものの、鐶と美紀のことが頭に浮かんだ。

『ほら、今でもあの娘たちのこと考えてる』

「すまん、でもオレは100パーセント君の事を愛していた『私』じゃないんだ。あちらの世界で過ごした時間が存在する。鐶と美紀のことも大事なんだ」

『分かってるわよ、そんなこと』

 ヒルデは歯を食いしばって声を絞り出した。

 怖えー。

『あたしだって、あの娘たちにあたしと同じ思いはさせたくないもん』

「だったらなぜ、そんなに嫉妬すんだよ?」

『うるさいわね、女の子はみんなこうよ』

 ヒルデは開き直った。

『大体ね、あんた、あたしと別れた後も、とっかえひっかえ別の娘といちゃついて……』

「はあ?」

 オレが首を傾げると、

『あ、いけないッ』

 ヒルデは慌てて口を塞いだ。

 そこがまた可愛い。

 萌えー。

 って、オレ真底ヘンタイだな。

『こ、このーっ』

 ヒルデは何故か急にヤケになって、オレにキスしてきた。

「うわっ……むぐっ」

 何だよ、急に。

 うわっ、犯されるぅ。

 って、負けるか、この!

 オレはヒルデの肩をつかみ、キスを仕返す。

『ん、んん??』

 ヒルデは徐々に押されて、慌てふためいた。

『んー!』

『んっ』

『んー……』

 唇を離すと、


 はふう。


 息を漏らすヒルデ。

 その仕種がちょっと色っぽくて、ますますドキドキする。

『バカ』

 ヒルデはオレの胸にもたれた。

 えーと、胸が押されてちょっと気持ちいいんですけど。

『ヘンタイ』

 うん、ボク、ヘンタイ。

 オレは全肯定。

 幽霊だろうと可愛い女の子なら、ぜんぜんオッケーッスよ。

 触れるしね。

『こら』

 ゲイン。

 ヒルデの拳骨がオレの脳天に叩き込まれた。

 幽霊のクセに物理攻撃すんな。

『今日はもう帰るね』

「ああ」

『……あの』

 ヒルデはもじもじと、オレを上目遣いで見ていた。

「何だ?」

 オレが聞くと、

『また明日も会ってくれないとイヤよ』

 恥ずかしそうに言って、そして宙空に消えた。

 うーん、ツンデレ~。

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