第18話
5-3
輸送業務は、荷主から荷を預かって輸送だけを担当するので、コストがほとんど掛からない。
単価は安いが、経費が掛からない。
この手の荷を増やすのが最も効率が良く儲けられる。
ウィルヘルムから預けられた茶葉は、この種の荷の最たるものだ。
輸送量が多くなればなるほど、金が入ってくる。
フロストランドから購入して転売している缶詰は、資金を投じて買い付けし、すべてを売り切らなければ儲けにならない。
船団本部。
「これからは輸送業務を伸ばさないとなぁ」
ブリジットはため息をつく。
幾度とない試算を経たところ、この事実は認めざるを得なくなっていた。
「だから、積載効率を上げる工夫は必要ですぜ」
コルムが強く主張している。
かなり入れ込んでいる。
コルムは新たな技術が好きだった。
フロストランドで学んだ事を大事にしている。
それと同時に、こうも思っている。
何でもかんでもフロストランドから取り入れるのではなく、自分たちで考案した技術があれば、と。
「鉄枠を開発しましょう」
「だな」
ブリジットはうなずいた。
アルバとエリンがそれぞれの邦の鉄工所に発注をしている。
なんとなく、競争っぽくなってしまっている。
*
「大変ですぜ!」
ダブリンが大慌てで駆け込んできた。
「グリフィスの旦那がッ!」
そこまで言って、ダブリンは咳き込むとともに涙と鼻水を流し出す。
「なんだ、グリフィス殿がどうしたんだ?」
暴れ中だったブリジットは、手を止めて聞いた。
「それが、グリフィスの旦那がなくなったとかで…」
「ッ!?」
どっか。
と麻袋が地面に落ち、
「いてえッ」
ダブリンの足の甲に直撃した。
「待て、まだ速報の段階だ」
ブリジットは顔面蒼白という感じである。
続報を待っているが、生きた心地がしない。
それは他の船団員たちも同じだ。
グリフィス殿はあまりにも船団本部に入り浸っていたために皆、情が移り始めたのであった。
「グリフィス殿の腕前なら滅多なことはないですぜ」
「そうですぜ」
コルムとダーヒーが言ったが、
「……」
ダブリンはまだショックを受けたまま。
それが、ブリジットの不安を煽るのだった。
「使いの者が到着しやした」
船団員がグリフィス家の使いを案内してくる。
グリフィス家の使いは、蒸気車でやってきていた。
ウィルヘルム、ウシュネッハ、アルスター間の道は整備され、幹線道路となっていた。
一定距離毎に宿場が形成されており、水と炭を補給できるようになっている。
この宿場の原型は伝馬駅である。
伝馬駅はミッドランドの平原地方に源を発する。
「エドワード様はエリンに向かわれる途中で賊50名からの襲撃を受け、奮戦、30数名を返り討ちにした後、討ち死になされました」
使者は言ったあと、その場に泣き崩れた。
グリフィス家中の者らしい。
「槍襖と矢の雨を受け申したが、真っ向から立ち向かわれ、名誉の戦死にございます」
「……ッ!?」
ブリジットは椅子から落ちた。
目の前が真っ暗になって、くずおれたのだった。
気がつくと、自室に寝かされていた。
気を失っていたらしい。
「あ、気がついた」
オーラが駆け寄ってくる。
「あたし、どうしたんだ?」
「倒れたんですよ」
オーラは心配そうにブリジットを見ている。
「気分はどうです?」
「…………気分は」
ブリジットは、言おうとしたが、その後は声にならなかった。
(気分は)
(……気分は最悪だ)
*
グリフィス殿の死は船団本部に最悪の雰囲気をもたらしたが、それ以上に最悪な状況がエリンに降りかかってきた。
茶葉の輸送の依頼は、グリフィス家お抱えの商人から持ち込まれたものだ。
しかし、グリフィス家の当主が死亡した途端、商人たちはグリフィスを見限った。
既契約分は履行されるが、その後の契約は無期限に延期された。
どうやらウィルヘルム内部で変化が起きているらしい。
エドワードを賊が襲ったのもそうした関係なのだろう。
茶葉の扱い量があってこそ商売が軌道にのっていたのだから、これが消えたと言うことは商売の規模が拡大できずに縮小したということになる。
ディアミドが言ったように、出資者たちは配当金目当てだ。
商売の規模が拡大不可となれば配当金の額も下がらざるを得ない。
「大変だ」
ギャラガーは執務室に入るなり、言った。
頭を抱えている。
「ウィルヘルムの出資者たちが出資を引き上げると通告してきた」
「な、なんだってー!!!」
リアムは驚いて椅子から落ちた。
「いてて…」
「大丈夫ですか?」
ブレナンが助け起こす。
「ああ、それより!」
リアムはブレナンにしがみついて、聞いた。
「返却する出資金は大丈夫なんだろうな!?」
「それは問題ありません」
ブレナンはディアミドが送ってきている収支報告を持参していた。
エリンの出資比率は6割ほど。
最も多い出資はエリン幹部会議の5割だが、その他にも幹部連中が小遣い欲しさに個人的に出資していたので合計すると6割くらいになる。
残り4割がウィルヘルムの貴族連中が出資している。
ディアミドは少し病的なくらいにこの4割の出資金にこだわっていた。
出資金を全額返すことになった場合を想定して、儲けからこの分を裂いて溜めておいたのだ。
その病的さが功を奏した。
「……よかった」
リアムは収支報告を見て、ホッとしている。
「ですが、この先の商売は縮小を余儀なくされます」
ブレナンがまるで通告するように言うと、
「うーん」
リアムも頭を抱え始める。
「予想してない事態になったが、幸い損害らしい損害はないようだな」
幹部連中と会議を経て、リアムは言った。
「振り出しに戻っただけですな」
「また出資者を募ったり、商売そのものに力を入れましょうぞ」
「うむ、そうなんだが、現在進行中の“ばいおでぃぜる”計画は一旦停止にせざるを得ないな」
リアムが言うと、
(あ、そうか…)
(それがあったなぁ…)
その場の全員が、そういう表情をした。
*
ウィルヘルム。
ベイリー家。
メルク戦でレナルドが失脚し、一端は没落したものの、ベイリー家は取り潰しを免れていた。
ウィルヘルムは旧いものを好む気風があり、名家を潰すのは忍びないという意見が多く寄せられたからだった。
実際には、ベイリー家の政治活動により首の皮一枚で生き残ったのであるが。
家督はレナルドの甥が継いでいた。
甥は名をライアンと言う。
「襲撃は成功したようです」
家中の者が報告すると、
「うむ、報告ご苦労」
ライアンは労いの言葉をかけた。
「グリフィスには叔父の恨みもあるからな」
「まことに」
ライアンが言うと、家中の者はうなずいた。
前の当主であるレナルドは、メルク戦の責任を押しつけられて断罪されていた。
その発端となったのがエドワード・グリフィスが追求の言葉である。
実際には、その前からレナルドに責任を取らせることが決まっていたので、濡れ衣もいいとこではある。
しかし、恨みをぶつけるための分りやすい標的は必要だ。
「賊とは言え、その辺のゴロツキではなく、武芸の心得をもつ者たちを揃えたからな」
ライアンは言った。
後腐れがないよう、果たし合いに近い状況を作ったのだ。
戦いの押し売りとはいえ、果たし合いであれば「勝敗は兵家の常」というヤツで、グリフィス家のような武勲で食べてるような家柄は文句が言いにくくなる。
「50数名のうち30数名が倒されました」
「半数以上か」
ライアンはため息をつく。
「化け物じみた武力だな」
「ええ、数の暴力と槍、弓矢の力でもなければ全員倒されてましたね」
家中の者は青い顔をしている。
「ふん、猪武者というのは本当だったんだな」
ライアンは鼻を鳴らす。
「グリフィスさえ居なくなれば、国内の商売はこちらのものだ」
瀝青や石炭を一手に取り仕切っていた商人たちは、ベイリー家に買収されている。
茶葉については元々、グリフィス家とは関係の無い商人が取り扱っているので、陸路輸送に戻すのは簡単だった。
「海運は効率が良いが、だからといって陸路の輸送がダメな訳じゃない」
「はあ、最近は幹線道路が敷かれていて蒸気車が走ってますからな」
「ふふふ、あとはエリンから引き上げた出資をこちらに注ぎ込ませるだけだ」
ライアンはニヤついている。
他人を出し抜いて、利益をむさぼるのが何よりも好きというイヤな性格をしている。
ウィルヘルムの出資者たちは、ベイリー家が手がける商売に出資することになった。
エリンやアルバのやり方を、そっくりそのまま真似ている。
たちまち商売の規模が大きくなっていった。
*
「クッソ、そういうことか…」
ブリジットが全貌を把握する頃には、エリンの交易規模は振り出しに戻っていた。
もちろん、大氏族長のリアムが言っていたように「ばいおでぃぜる」に関する計画は頓挫である。
フロストランドへの留学は予定通り継続されるが、その後が凍結状態になる。
「出資者を新たに募るしかないな」
「ですが、そう簡単に出資してくれる者はいないでしょう」
珍しくダーヒーが言った。
「グリフィス殿の強力な後押しがあったからウィルヘルムの金が集まったのですから」
「だよなー」
ブリジットは力なくテーブルに突っ伏す。
やっとグリフィス殿の死から立ち直ったものの、状況は変わらない。
アルバからも同じように出資金が引き上げられたという報告が来ている。
ディアミドのように儲けの一部を保留していなかったらしく、金をかき集めるのに苦労したという。
破産に近い状態という訳だ。
「じゃあ地道に商売をして稼ぐか」
「何年かかるでしょうね」
コルムが肩をすくめる。
儲けを維持する苦労はよく分っている。
というか分らさせられた。
そして商売の規模が拡大できなければ、儲けも少ないままである。
「こちらの状況をフロストランドにいる3人に説明してきてくれ」
リアムは言った。
さらっと言ってるが、現状を説明するのは心的負担が大きい。
「いやだ、別のヤツにやらせてくれよ」
ブリジットは拒否した。
「おいおい、船団長の仕事だろ、これは」
リアムは、イヤイヤイヤと笑いながら頭を振る。
「とにかく伝えてきてくれ」
「ウィース」
ブリジットはやる気なさげに言った。
モーリアンでフロストランドへ渡航する。
留学中の3人へ現状を伝えるのは気が重かったが、伝えない訳にはいかない。
「……わかりました」
「良かった、勉学はこのまま続けられるのですね」
「しかし、残念ですな」
「こんな事になってしまって、すまない」
ブリジットは頭を下げた。
「ブリジット様のせいではござらんでしょう」
「何事も神の思し召しです」
「ですなぁ」
「……」
3人はブリジットのことを思って言ったが、ブリジットは無言だった。
「なにかあったのかえ?」
スネグーラチカが聞いてきた。
ブリジットが浮かない顔をしているので、気を遣っているのだった。
前回と同じく、夕食は宴会である。
「始終浮かない顔をしてるぞ」
「ねえ」
今回はヴァルトルーデもヤスミンも戻ってきている。
皆、ブリジットの様子を見て、心配しているようだった。
「はい、実は…」
ブリジットはポツリポツリと説明する。
「そうか…」
スネグーラチカはうなずいた。
「どうにかならぬものかのう」
そして、隣にいるアイザックを見る。
「……方法がない訳ではありません」
アイザックは少しの間を置いてから、言った。
「我々が出資しましょう」
「えっ!?」
ブリジットは不意をつかれた。
思ってもみない申し出というヤツである。
「それは、大丈夫なのか?」
スネグーラチカは心配になったようで、緊張の面持ちになった。
「館は以前より投資先を探していました」
アイザックは説明した。
「もちろん、有効な投資先という意味でですが」
「ふむ、それはマグダレナたちから聞いた事がある」
スネグーラチカは記憶を思い起こしている。
「そう、当時は回収できる見込みのある投資先がなかったのです。
クレアとマグダレナが投資についての計画書を残していて、私がそれを引き継ぎました」
アイザックは言った。
「その投資先として、エリンは第一候補となりますね」
「……それって、フロストランドがエリンを助けてくれるってこと?」
ブリジットは思わず聞いた。
「それは正確な表現ではないですね、我々は有望な…」
「面倒くさいヤツじゃのう、フロストランドはエリンとは友好関係を結びたい、それで良いではないか」
アイザックが何やら言い始めたのを、スネグーラチカが遮った。
「ありがとう」
ブリジットは言った。
苦境にある今、人の情けが身に染みた。
「我々は人ではありません」
「素直に感動させてくれよ! てか空気読め!」
アイザックが訂正してくるので、ブリジットは叫んだ。
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