第6話

2-3


「ん?」

船長室に入ると、そこは畳の部屋だった。

「ん?」

藍子が振り向いた。

カップメンを食べている。

お湯を注ぐと3分で出来る凄い保存食だ。

エリンにも欲しい。

今度、ヴァルトルーデに会ったら作ってもらうように頼もう。

『どっから来たのよ!?』

口の中に入れた麺を飲み込んでから、藍子は喚いた。

『…いや、自分でもよく分らないうちに来てた』

ブリジットは、あははと笑う。

『前は雷が鳴って、こうぎゅーっと歪んでから来たんだけどな』

『はあ?』

藍子は頭の上にハテナマークを浮かべている。

『いや、こっちのこと』

ブリジットは誤魔化した。


『でさあ、ゴブリンが邪魔しやがるんだよなあ』

ブリジットは今抱えている事を藍子に話したが、

『自業自得じゃん』

藍子はバッサリである。

『ぐっ…まあ、そうなんだけど、どうしたらいいのか分らなくてね』

『ごめんなさいしちゃえば?』

『そりゃムリだ』

ブリジットは頭を振った。

オーバーリアクションというヤツだ。

『邦と邦の間では、そう簡単に頭を下げられない。賠償をしなければならなくなるからだ』

ブリジットは言った。

『一度認めてしまえばその後もずっと謝り続けなければいけないし、もっと賠償を…と、いつまでもいつまでもたかられる』

『……まさか』

藍子は信じていない。

平和な日本では、そうした事には疎いのも仕方のないことである。

世の中というのは、ある意味では複雑で単純な様式では測りきれない所がある。

『この国でもあるだろう? どんなに誠意を見せても許すどころか更に要求が酷くなるってことが』

『……』

『まあ、いいさ』

ブリジットは興味を失ったようだ。

『それよかカップメンだっけ? これ欲しいな』

『え、こんなの欲しいの?』

『兵士たちの食糧に適してる』

ブリジットは真顔である。

お湯を入れるだけで調理道具は要らない。

軽くて保存性にも優れている。

『缶詰より更にいい』

『あ、缶詰はあんのね』

藍子は言った。

ブリジットの故郷が未開の地だと思っているらしい。

『ま、うちの連中は箸に不慣れだからフォークだろうけど』

『あー、海外のカップメンとかであるよね』

『量産できれば一儲けできそうだし』

『打算かよ』

なんてことを言っていると夕方になった。


夕方、黄太郎が帰ってくる。

『なんじゃ、来ておったのか』

『はい、また来ちゃいました、こんちくしょー!』

ブリジットは急にテンションMAXになって叫ぶ。

『荒れとるな、なんかあったのか?』

黄太郎はピンと来たようだった。

思ったよりも気が回る男らしい。

『それが、なんかヘンな事になってるみたいなんだよ』

藍子が説明した。

『ほぉー、ゴブリンなんぞおるのか』

黄太郎が興味を持ったのはそこだった。

『あんのシミッタレども、わざと停泊させやがって』

『でも、お前さんらが先に手を出したんじゃろ?』

『……うん』

ブリジットは視線を逸らした。


『過去にこだわっても解決はせんよ』

黄太郎は言った。

『この国もかつては戦争を体験した』

『マジか?』

『大勢が死んだ。敵も味方も。悲惨な体験じゃ。だが、それを言い合ってもどうにもならん』

黄太郎はまるで自分に言い聞かせるように言った。

『未来を見るしかないんじゃよ』

『でも、相手はそうは思わない』

ブリジットは食い下がった。

『一度頭を下げてしまえば、いつまでもたかってくる』

『過去に囚われるのは不幸なことじゃな』

黄太郎は答えなかった。

『それはあんたの感想だよな?』

ブリジットは仏頂面。

『お前さんらもいずれ分る。過去にこだわり、因縁を捨てられぬならば双方とも凋落の道しかない。

 過去に向き合う必要はある。が、そこに囚われていたら未来はないのじゃ』

『ふん、ご高説どうも』


物事には始まりと終わりがある。

戦争も開始と終了がある。

いかに初めて、いかに終わらせるか。

そのビジョンを持たなければ、無駄に人的資源を浪費するだけだ。

戦後処理も同じだ。

国同士がいつまでも問題を引きずっていたら永遠に終わらない。

なので、終戦・停戦協定というものが結ばれる。


エリンとフロストランドの話し合いは既に終了しており、これ以上絡んでくるのは協定違反といえるのだが。

まあ、被害者のアールヴ及びゴブリンの心情は分らなくはない。


……なにか上手い方法はないか。

ブリジットは頭を悩ませている。


日本の近代史を大雑把にではあるが教わった。

戦前、戦争、戦後の復興、バブル期、バブル崩壊……。

とんでもない歴史だ。

異世界人のブリジットには理解できなかった。

国が崩壊寸前まで戦うなど彼女の世界の常識ではあり得ない。


……そうか、メルク戦を推し進めた先にはこういう戦いがあるのか。

ブリジットは思い至った。

フロストランド研修を受けていた時、フローラが言っていた。


「技術が発展し、近代化した国同士での戦争は全体戦となりやすいんですよ」


モヤモヤとした思いが、ブリジットの胸中を覆った。



その日はそのまま泊る事になった。

夕食は米飯、具のない味噌汁、冷や奴、焼き魚、諸々の煮付けと質素なものだ。

やはりブリジットには物足りなかったが、文句は言わない。

その土地の食事は環境の産物だ。


……フロストランド、ゴブリン族の地域では何、食ってんだろうな。


ブリジットは思い起こした。


……里芋とかをよく食べるんだっけか。


ゴブリン族の地域は丘陵地が多い。丘陵地は畑の面積が少なく、農業効率も悪い。

平地のように広い面積に大量に作付けができない。

なので、里芋、山芋、葉物野菜などを斜面の畑に植えたり、自生のものを採取したりする。


里芋、山芋は芋はもちろん、葉や茎の部分も食べられる。

ゴブリン族の食生活では、蒸かし芋と葉茎を煮込んだスープが定番の料理だ。


芋を買うってのはどうかな?

その代わり、小麦粉とかを売れば商売になるかも。


そんな事を考えているうちに眠ってしまっていた。


朝飯は米飯、目玉焼き、焼き海苔。

魚すらない。


……納豆はあるのに。

……まあ、納豆は慣れたら旨いので問題ないけど。


『納豆うめえ』

『徐々に日本人化しつつあるね』

藍子がニヤニヤしている。

『文化交流というのは、相手の事を理解することから始まるんじゃよ』

黄太郎は訳知り顔である。

『じゃあ、スカーツ・アンド・キドニーズ(豚の腎臓シチュー)食べれる、ジジイ?』

『いや』

『ハギスでもいいぞ?』

『それは苦手で…』

黄太郎は視線を逸らした。

『それでよく文化がどうとか語れるよな』

ブリジットは呆れ顔。


とりあえず、ダラダラすることにした。

どうせ戻り方が分らないし、休暇だとでも思えばいいか、って開き直りだ。

『はー、ちとトイレ』

『一々言わんでいいし』

藍子の刺すような一言を尻目に、ブリジットはふすまを開けた。



足を踏み出すと、そこは船長室だった。

「あれ? またかよ!?」

ブリジットは怒鳴った。


椅子にどっかと座る。

そして考える。


……何をしたらいいか分らない。

だが、考えはまとまらなかった。


「あー、やめやめッ!」

ブリジットは叫んだ。

「考えても分らん」

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