第37話

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蒸気船ワグナー号はエルムトを出発した。

港を離れて沿岸沿いに北上し、フロストランドの領海へと入って行く。

いや、まだこの世界では領海という概念は希薄なのだろうが。

従って明文化された国際法といったものもない。

国家間の出来事は、その国の慣習と民の感情によって左右されることになる。


(まあ、フロストランド所属の者がいるから大丈夫だろうけど…)

ヴァルトルーデは、フロストランドの土地で遭遇する地元民の反応を気にしていた。

蒸気船を見て驚くだろうことは予想できる。

その後、どう反応するか。

ヴァルトルーデは少し神経質で、悪い方へ物事を考えるきらいがあるようだった。


とりあえず、水と食糧を求めて漁村に立ち寄る。

ドヴェルグたちは最初こそ驚いたものの、船にフロストランドの者が乗ってるのが分ると、すぐに警戒を解いた。

どうやら雪姫の町で作られてるような新型機械だと気付いたようでもある。

元々、フロストランドの住民はおおらかで素直だ。

悪く言うと物事を深く考えない、お人好しのおポンチ集団だ。


「ちょうど良く、蕎麦粉が手に入ったぞ」

ジャンヌが喜んでいる。

いつも仏頂面でニヒルな感じに構えている彼女にしては、珍しく嬉しそうだ。

船室には調理器具が設置されてる。

といっても粗末な七輪のようなものだが。

蕎麦粉に小麦粉を少し混ぜて水で練って生地を作る。

「蕎麦粉だけだと固くなって失敗しやすいから小麦粉を入れる、水を少しずつ入れるのがコツだ」

ジャンヌは自ら調理をしている。


((…よっほど好きなんだな、ガレット))


周囲の者たちは口にはしなかったが、心の中で唱和していた。

「生地を寝かせてからフライパンで焼いてできあがりだ」

ドロドロした生地だ。

「なるほどクレープの原型と言われる訳だな」

巴が納得している。

「今回は干し肉とチーズを載せる」

ジャンヌは人数分を作った。

ちょっとしたおやつとしては最適な感じだが、キツい労働をこなす船員には物足りないだろうと思われる。

なので、毎回の食事は粥を大量に作り、持参したパンと一緒に振る舞っていた。

干し肉、チーズ、野菜の塩漬けと一緒に食べるのだ。

飲み物はワインやビールだ。

「ラムネを持ってきて良かったねぇ」

静がラムネ瓶を開けながら言った。

プシュ。

コロン。

シュワー。

っと勢いよく音がして、炭酸飲料独特の飛沫が散る。

当初作ろうとしていたサイダーではなく、ラムネを作っていた。

ラムネの瓶は再利用可能だ。

瓶を洗浄し、ビー玉で再度栓をすれば何度でも使える。


歴史的には製造方式の違いから、ラムネはビー玉、サイダーは王冠、による密封方式を採用していた。

さらにそれ以前はコルクを使って栓をしていた。

コルクが乾くと密封できなくなるので、乾かないように瓶の底を尖らせて横に寝かせて保管していたという。


中身の飲料そのものは、ほとんど同じである。

現代の飲料業界での認識も曖昧で、ラムネ、サイダー、レモンソーダには明確な差は存在しない。

ラムネはラムネ瓶、サイダーはサイダー瓶を使用することで区別されている。

ラムネはレモネードが訛ったもの。

サイダーはシードル、リンゴ酒から来ている。

シトロンという名称も使われていたが、現在ではサイダーで統一されているようだ。

英国ではレモンライムと言う。


静たちがサイダーではなくラムネを作った理由は単純だ。

サイダー瓶も洗浄して何度でも繰り返し使えるが、サイダーは瓶に王冠をかぶせて密封する必要があったからだ。

瓶に王冠を被せる装置を作るより、一度作ったら何度でも繰り返し使用できるラムネ瓶を選んだのだった。

風情があっていいという意見もある。

もちろん、サイダーの王冠が好きな者もいるので、この辺は好みだろう。

いずれサイダー瓶と王冠も開発して行こうと、静たちは考えている。


「おお、これこれ」

静たちの中で酒が飲めない者はラムネを飲んでいる。

「コッドネックボトルっていうんだ」

ヴァルトルーデはラムネ瓶を掲げながら言う。

「開発者の名前だっけ?」

「そう、1872年にイギリスのハイラム・コッドが米国特許取得したものが元になっている」

「あー、内部のガス圧で玉が押されて栓になるんだ」

「シズカは時々、頭の回転が速くなるな…」

「なんだよ、いつもは回転遅いみたいな言い方しないでよ」

「おお、スマンスマン」

などとバカ話をしている。

「やっぱビールだな」

「やっぱワインだよ」

ヴァルトルーデ、ニョルズ、レッド・ニーはビール、ジャンヌ、フローラはワインを飲んでいた。


「日本蕎麦は難しくて作れないから、そばがきからだな」

「そばがきって団子状にしたヤツだっけ?」

ヤンが聞いた。

あまり好きそうには見えない。

「小麦粉があるんなら、餃子とか包子(バオズ)作った方がいいよ」

小麦文化の中国人にはそっちの方が合うのだろう。

実際に、ヤンは小麦粉を練って生地を作ったが、包む餡がないので、途中で変更した。

生地を30分程度寝かせてから、ナイフで生地を分割し、麺棒で薄くのばして焼く。

中国語では餅(ビン)という。

主に中国北方で食べられるものだ。

イーストを持ってきてないので、無発酵である。

ふんわりせず重く締まった食感だ。

「ロティとかチャパティみたいだね」

「これ、悪くないだな」

「んだなや、懐かしい味だべ」

ヘルッコとイルッポは、子供時代は貧乏だったので、こういう素朴な味が好きだった。

「ホントは餃子が作りたいんだけどねぇ…」

ヤンはうーんと唸っている。

水を大量に使う料理は、この辺では難易度が高い。

蕎麦やうどんなどの水で洗ったりするものは、更に難易度が上がるだろう。

実際、中国北方では餃子の茹で湯を「餃子湯」といって飲む。

水は貴重なものとして認識されている。


とりあえず、持参したパンは出し惜しみして、ヤンの餅(ビン)とジャンヌのガレットを交互に焼いてゆくことになった。

途中の漁村に立ち寄って、粥の材料の蕎麦の実やライ麦の実、蕎麦粉を買い足してゆく。

いくつかの漁村を回ってから、やっと北の集落にたどり着いた。


北の集落には急作りではあったが、木製の波止場が作られていて、また沖に蒸気船が停泊している。

蒸気船「アドロヴァ号」だ。

ワグナー号とほぼ同じ形状をしていて、同じように蒸気機関と発電機構で構成されている。

違うのはカラーリングだけだった。

灰色がかった緑と赤の下地、双頭の鷲のマーク、星と鎌と槌のマークが描かれている。


「おいおい」

ヴァルトルーデは思わず言葉を漏らす。

苦笑している。


「そーゆー、あんたの船は? 人のこと言えるのかい?」

アレクサンドラがアドロヴァ号の甲板に立って、言った。


ワグナー号は赤と黒と黄の下地に双頭の鷲、鉄十字のマークが描かれている。


「ふん」

「なんだい」

ヴァルトルーデとアレクサンドラはお互いにそっぽを向く。

仲が良いのか悪いのか。



北の集落はいくつかの村が重なり合っている。

どの村も漁業を営んでおり、工場を作って殖産興業をしていた。

その中でも、とりわけ発展したのはメロウの村だ。

メロウの村は、村というにはもうふさわしくないくらい発展していて、町となっていた。

町並みは区画化され、乗り合いバスともいうべき蒸気車が行き交い、商業区ができている。

宿泊施設も完備されていて、港付近には工場と倉庫ができていた。

工場では水揚げした海産物を加工している。

運ばれてきた貨物や、これから運ぶ貨物を倉庫へ置くことができるようになっている。

そして鉄道だ。

倉庫から直で貨物を鉄道へ載せることができる。

鉄道はフロストランド中に敷かれており、どこへでも輸送できる……予定だ。

ともかく、これで海運と陸運がダイレクトにつながった訳だ。


積載作業には、強化外骨格が使用されていた。

ヴァルトルーデが開発したものをスカジたちドヴェルグの職人が改良して製作したものだ。

この背骨を使って力を伝える機構は、元々筋力補助のために開発されている。

肉体労働にはうってつけだった。

さらにスカジたちは電動モーターによる補助動力を併用していた。

モーショントレースとまではいかないが、特定の動きに対してパワーを補助するようになっている。

このお陰で、非力な種族でもそれなりに働ける。

労働環境も良くなった。


ワグナー号はメロウ港に停泊した。

商売として、荷物を売り買いしてからメルクへ戻る。

今後は定期で来るようになるだろう。

冬場以外。

「冬場に備えてスクリュープロペラを開発しなければ」

ヴァルトルーデは早速説明している。

「凍った海を航行できるパワーが必要だね」

アレクサンドラも同意見のようだ。

「しかし、そのようなパワーがでんのじゃなかったかの?」

スネグーラチカが言った。

「蒸気機関では難しいかもしれない」

「内燃機関を開発します」

ヴァルトルーデとアレクサンドラは、ほぼ同時に言った。

「バイオエタノールが燃料じゃとパワーが不足するんじゃなかったか?」

「そこは電動モーターで補うよ」

「蒸気機関を内燃機関へそっくり入れ替えて、電力による補助を入れる」

「プロペラと内燃機関の二つを開発するわけか、間に合うのか?」

スネグーラチカは懐疑的だ。

冬はまだ先だとはいえ、もたもたしていたらすぐに気温が下がって氷が張り始める。

新技術の開発が短期間でできるとは思っていないのだ。

「「できらあッ!」」

ヴァルトルーデとアレクサンドラはスーパーなんちゃら的な顔で、叫んだ。



スネグーラチカの前では啖呵を切ったものの、正直厳しいスケジュールである。

スクリュープロペラはプロペラの形状のせいで製作に高い職能が要求される。

またプロペラはシャフトという芯棒に取り付けられる。

プロペラシャフトと言われる。

シャフトが回転するのに歪みや角度的なズレが発生すると事故になりかねない。

外輪船でもそれは同じであるが、パワー差があるため難易度が格段にハネ上がるのである。

高速回転するシャフトの制御が一番の問題だ。

プロペラ製作はドヴェルグの職能でなんとかするとしても、シャフト制御は何度も施行して試すしかない。

ヴァルトルーデとアレクサンドラはシャフト制御に没頭した。


船体は鉄を使用する。

木製では厚い氷を砕けない。

氷に負けないようにするには鉄製しかないのだ。

鉄製は重量がケタ違いに重くなる。

製造中の事故が起きる可能性も高い。

安全には細心の注意を払うようにした。


いつものように最初は小さい船を作ってみる。

ボートにスクリュープロペラを付けた。

内燃機関がまだできてないので、蒸気機関を動力にしている。

ひたすら調整を行って、プロペラシャフト制御機構のモデルを組み上げる。

それを大きく作ってゆき、また調整につぐ調整をしてゆく。

情熱がないとできない仕事だ。


内燃機関についても同じように小さなものから作っていった。

ヴァルトルーデが選んだのはスクーター、つまり原付バイクだ。

最も単純なモデルであるし、比較的安価な民の足として普及させる目的もある。

同じく鉄で製作して行く。


これだけ鉄が使われてくると、西のゴブリン族から供給される鉄がなければすぐに原料が尽きただろう。

鉄道、蒸気船、スクリュー船、バイク、蒸気車にも鉄が使われている。

それだけではなく、生活用品にも徐々に鉄などの金属が使われ出している。

生活水準の向上とはある意味、資源の大量消費である。


スクーター、小型車、中型車を作り、船の動力に取りかかる。

これが完成すれば、蒸気機関車の動力を内燃機関へ移行できるだろう。


ヴァルトルーデとアレクサンドラ、それにスカジは連日の作業で疲弊していた。

目に隈ができて作業をしていない時は、ぼーっとしている。

取り付かれている状態といっていい。



「……」

スネグーラチカは報告をもらって、しばし黙り込んだ。

「どうしたんですの?」

マグダレナが不審げに聞いた。

「うむ、ゴブリン族の否定派がまた再燃してきたそうじゃ」

スネグーラチカは難しい顔をしている。

「郵便配達員のアールヴが情報を仕入れてきたのじゃ」

「へー、役に立ってるんだね」

クレアが感心している。

「感心しとる場合か」

スネグーラチカはピシャリと言った。

「せっかく安定してきた国内がまた不穏になってしまうではないか」

「うーん、なんで急にまた出てきたのかねぇ」

静が首を傾げている。

「なんじゃ、不審なところがあるのか?」

「うん、メルクのニルスさんが亡くなったのは知ってるよね」

静は言った。

「うむ、聞いておる。惜しい人物をなくしたのう」

「どうやら暗殺されたようなんだけど、ゴブリン族の件もタイミング良すぎないかなって」

「関係があるというのか?」

スネグーラチカは一瞬驚いたが、すぐに言った。

「しかし、根拠がないぞ」

「……それは」

静は言い淀んだ。

「いや、一考する余地はあると思う」

ジャンヌが言った。

「ゴブリン族の反乱は下火になっただけで再燃する可能性はあるとはいえ、確かにタイミングが良すぎる」

「シルリングの貴族たちが裏で糸を引いてるってこと?」

パトラが訝しげに言った。

「その可能性もあるだろう」

「可能性だけはある」

パトラは視線を外した。

あまり乗り気ではないようだ。

「なら調査してみればいい」

巴が言った。

「アールヴに続けて情報をもらえるよう指示する」

「うむ、そうじゃな。まずは情報じゃ」

スネグーラチカは、そこでやっとうなずいた。


「ところで、ヘンリックとヤンネの様子はどうじゃ?」

「まあ、ぼちぼちかな…」

スネグーラチカは話題が変えると、静はカリカリと頭をかいた。

ヘンリックはやる気が足りなく、ヤンネはやる気はあるが体が着いていかない。

一言で表すとこうだ。


ヤスミンとヤンネはだいたい同じくらいの年齢で、それなりに仲がよくなっているくらいか。

その関係で他の者たちとも順調に仲良くなってきた。

ヘンリックは愛想はいいが、人と距離を置くきらいがある。

誰とも仲良くならないタイプだ。


「まあ、強要はできぬからのう、要は教養を身につければいいんじゃないのか」

「それについては、二人とも体が弱い」

巴がフンと鼻を鳴らした。

弱い男が嫌いなのだ。

「性格は、ヤンネの方が良い。鼻っ柱は強いが、なんでもやってみるしな」

「ならば体力をつけることからじゃなぁ」

スネグーラチカは、当たり障りのないことを言っている。

雪姫の立場から言えば、適当に滞在してもらって適当に切り上げて帰ってもらうのが良いのだろう。

預かっている側からしたら当然の心理だ。

「体力は二人ともついてきたよ」

静が言った。

「お姉ちゃんが求めるレベルが高すぎるんだよ」

「貴族なんだぞ、戦に出るかもしれないのに今のままじゃ戦う前に倒れる」

「確かに、そういう面は否めないのう」

スネグーラチカはうなずいた。

「して、文学の方はどうなのじゃ?」

「文芸はヘンリックの方が合ってますね」

フローラが言った。

ほぼ文芸の師匠と化している。

「ヤンネは頭から学問を嫌っていて、学ぶ姿勢が欠けています」

「あー、それならヤスミンと一緒に学ばせればいいんじゃないのかな」

クレアが思いつきを口にする。

「いしし」と笑っている。

「いしし、は古いぞ」

「ほっとけ」

巴がジト目で言うと、クレアはそっぽを向く。

「ふむ、ヤンネはヤスミンと仲がいいのか」

「ヤスミンに良いところを見せようとして頑張るんじゃないかと思うよ」

クレアは付け加えた。



ヤスミンが勉強に加わった。

本来なら、他の娘さんたちも高校生くらいの年齢なので勉強すべきなのだが、それぞれ仕事を持っているせいか不問にされている。

ヤスミンの年齢は正確には分らないようで、戸籍があるのかも疑わしい。

最下層の貧民なので、教育といえるものは何一つ身につけてない。

これまでは底辺の仕事や軽犯罪に塗れて生きてきた。

捕まって投獄され殺されかかった。

アナスタシアが転移に選んだのもうなずける生い立ちだ。


とにかくまずは文字の読み書きからだ。

フローラは英語を教えた。

これとは別に、パックに現地の文字を教わる。

ヤンネとヘンリックがアドバイスをするので、意外なくらいに和気藹々とした雰囲気になった。

ヘンリックは何かを教える方が好きらしく、ヤンネ、ヤスミンと徐々に打ち解けていった。

パックは教えるのに面白おかしく例を交えたり、現地の故事や英雄譚などを出してくるので、ヘンリックとヤンネは積極的に学ぶようになった。

フローラが厳格に教えるのに対して、息抜きとしての講義になっていた。


ヘンリックとヤンネは英語に対しては苦労した。

英語は意外に発音が難しい。

「ザクソンの言葉に似てますねぇ」

ヘンリックはブチブチと文句を言っている。

ザクソンはウィルヘルムの古い地名だ。

「アルファベットが覚えられない」

ヤンネは頭を抱えている。

慣れ親しんだ文字の方がいいという頭があるのだ。

「これは絵と考えればいいんですよ」

フローラは少し方針を変えてみた。

「“a”は牛、“b”は家などなど、ルーツはフェニキア文字に遡ります」

「フェニキアってメソポタミア文明の辺りの民族でしたっけ?」

ヘンリックが思い出したように言う。

歴史の授業で習ったものだ。

「そうですね、フェニキア人はメソポタミア文明の楔形文字とエジプト文明の聖刻文字を参考にして、フェニキア文字を作ったと言われてます。

 それがアルファベットの祖になったと考えられてますね」

「確か、文字には表意文字と表音文字があるんでしたよね、そうすると表音文字であるアルファベットも大元は表意文字だということですか」

ヘンリックは小難しいことを言っている。

「はい、文字の起源は絵文字と言っても過言ではないですよ」

フローラはうなずく。

学問らしい会話ができて楽しいのだった。

「これがフェニキア文字、そして、その大元になった絵ですね」

フローラはさっと絵を描いてみせる。

「未だに分ってないのもありますけどね」

「あー、これ面白いね」

ヤスミンが面白がってるので、

「へーんだ、これならすぐ覚えれるよ!」

ヤンネは強がってみせた。

実際に、自室に戻ってからも文字を覚えるのに躍起になって、ヘルッコとイルッポが心配するくらいのめり込んだ。



「ゴブリン族の反乱分子が武器を集めている」

「既に小競り合いが発生していて、鉱山の採掘が停止している」

一報が入ってきた。

それぞれの諜報員が断片的な情報を報告してくるので、時間差や抜けが発生しているらしいが、総合すると反乱活動が始まったといっていい。

「……」

スネグーラチカは頭を抱えた。

「反乱か」

ジャンヌが目を輝かせた。

こうしたトラブルは、国防大臣の彼女の飯の種といえる。

平和な状態では訓練するしか仕事がないのだ。

「恐らく、このままだと鉱石の供給がストップしますわね」

マグダレナが眼鏡のフレームを持ち上げる。

「それはマズいね、今、鉄や銅なんかが爆発的に使われてるんだよ」

静は渋い顔をした。

経産大臣の仕事で国内の経済活動、産業活動を見ているので、事の重大さがよく分るのだろう。

「てことは、反乱が勃発したのはそれが目的だな」

ジャンヌが言った。

「フロストランドの殖産興業を邪魔しつつ、反乱で手一杯にさせ、メルクへの援助をさせないようにしたいんだ」

「やっぱり、シルリング王国の貴族が裏にいるってこと?」

「その疑いは深まったな」

どっかできいたような事を言って、ジャンヌはうなずく。

「とりあえず、ゴブリン族のリーダーたちに連絡を取ってみるのが良いだろう」

「うむ、分った」

スネグーラチカはうなずいた。


すぐに伝令が飛び、ゴブリン族のリーダーたちへ繋ぎを付ける。

「当方、反乱分子と交戦中、雪姫様には助力をお願いいたす」

返事がきた。

「……すぐに援軍を出そうぞ」

スネグーラチカは声を絞り出した。

決断するに相応の苦悩があっただろう。

「事はそれだけでは収まらない」

ジャンヌはいつになく深刻な顔をしている。

「反乱分子を鎮圧するだけでなく、裏で糸を引く者をあぶり出す必要がある訳ですね」

マグダレナが言った。

「うん、方法は考えなければならないがな」

ジャンヌはうなずいた。

「なるほど、鎮圧はできるじゃろう。が、その背後関係を洗い出して対処して行かねばならぬ訳か…」

スネグーラチカは、ジャンヌとマグダレナが言いたいことを理解したようだ。


第二次ゴブリン族反乱分子鎮圧戦。

やることは前回と同じだ。

ただし、同じやり方では相手が対策を立ててくることが予想される。

ジャンヌは戦術を工夫しなければならない。


それから諜報活動の強化だ。

外務大臣の巴と協力して、アールヴ諜報隊を動かしてゆく。

メルクやウィルヘルムの情報を入手してゆかないといけない。


「しかし、シルリング王国を敵に回すのは避けたい」

スネグーラチカはつぶやくように言った。


戦争など無意味だ。

昔ながらの戦など既に過去の遺物である。

今の戦争は経済が絡んでくる。

時代はもう資源の奪い合いに突入している。

その引き金を引いたのはフロストランドである。

いや、平和な時代が訪れた時点で、統治者やその周辺の諸侯が経済的に困窮するのは見えていた。

かつての王族、諸侯は戦で領地を奪い合っていた。

それがなくなった。

儲ける手段を失ったと言って良い。

儲けるは、すなわち奪う。

経済が発展してきた今の時代、資源を奪うのが最優先だ。

それが儲けるという事だ。

それを理解したウィルヘルムの貴族たちはやるべき事をやっているのだ。

それに対し、フロストランドもやるべき事をやる。

表だって戦う必要はない。

必要なのは、経済、資源をもって大勢を決すること。

そうすれば相手を滅ぼすまですることはない。

取り引きをもってする。


「今後は取引相手になるやもしれぬからのう」

スネグーラチカは、声を絞り出した。

言うのが苦しそうにも見える。

理性では分っているが、感情が伴わない。

「それが雪姫の決定なら」

ジャンヌはうなずいた。

「王国には存続してもらって、よい取引相手となってもらうのが吉ですね」

マグダレナが同意する。

元々理性でものを考える人間だ。

「みんながそういうなら」

「主君の決定には従わなくては」

静と巴は日本人らしく自分の意見は持ってない。

「やれやれだね」

パトラはため息を漏らすが、反対はしていない。

「まあ、経営者としては苦しいけど良い判断だ」

クレアはうんうんとうなずいている。


「みんなー、葱油餅(ツォンヨウビン)作ったから食べてみてよ!」

ヤンが会議室へ入ってきた。

油と葱の香りが室内に充満する。

ヤンは船旅以来、小麦粉で作るものにハマってしまっていた。

「あ、おいしそう!」

静は駆け寄って、葱油餅を手に取る。

ピザのように切れ込みが入れてあり、三角形のピースになっている。

ほんのりと塩味が効いていて、サクサクとした食感がパイのような感じだ。

「うまい!」

「なんだ、これ」

「どれどれ」

みんな寄ってきて、会議は一時中断となった。


葱油餅は小麦生地を麺棒でのばして、油を塗り、切った葱を敷いて端から巻いてゆく。

巻き終わったら、それをさらに巻き貝のように巻いて最後に麺棒で押して平べったくする。

フライパンで焼いて完了だ。

「…という作り方だね」

ヤンは得意げに説明している。

「お腹が空いてたら話もまとまらないよ?」

ヤンは葱油餅をみんなへ配り、自分もパクつきながら言った。

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