第17話

17


雇用保険。

……は、まだムリなのだが、給料の一部を積み立てする制度が流行りだした。

いわゆる財形貯蓄である。

発端は、ビフレストにいるアールヴ隊員にエーリクが強行したことだが、これが館に報告された後、アールヴの職員に対して執り行われることになったのだ。

名目は「野垂れ死に防止」である。


「国家権力の横暴だ!」


アールヴの職員たちが反対したことで騒動になり、初の民事裁判という事態にまで発展した。

法院の職員たちがウキウキで裁判をやったので、それはそれで批判されたが、これが逆に財形貯蓄制度を広く知らしめたのである。

「そんなやり方があるんなら、オレも将来のためにやっときたい」

様々な職場でそんな意見が上がりだした。

金を預かる銀行組織がまだないので、個々に存在する商会がその役割を担うことになった。

預金機能、送金機能が自然と発生することになる。

ガング商隊も正式に商会を発足しており、主に館の職員たちの財形貯蓄とビフレストへの送金を請け負っていた。



「裁判のやり方が慣習に寄りすぎている。法的根拠によって判断すること」

パトラは裁判に関する意見書をまとめていた。


実質、法律をもっと読み込み、感情やその場の雰囲気に頼らずに判断を下せという命令だ。

フロストランドの民の多くは、太っ腹、細かいことは気にしないという気質である。

小さな頃から英雄譚に慣れ親しんでいるから、というのが原因の一つだろう。

なので、小さな事だと「誰も困らないからいいじゃないか」となり、判断が曖昧化する。

生活の中ではそれで構わないが、公正明大を謳う法院がそれでは決着がつかなくなる。

また賄賂による不正判決が発生しないとも限らない。

裁判官、弁士らの教育が必要になってくる。


ちなみに先のアールヴたちの訴えは、館側の勝利だった。

「雪姫様の決定に逆らうのか?」

という決まり文句で終了した。

裁判官も、弁士たちも、原告も被告も全員、スネグーラチカは絶対神聖としているのである。

「違うだろ、こらぁっ!」

パトラがぶちキレてしまったのはご愛敬。

関係者を集めてネチネチと教育が施されたのだった。


アールヴが度々給料を使い切って食べるものにも事欠く事態に陥る。

救済措置として、財形貯蓄を導入。

ここに不正はない。

館側の主張はこれに尽きる。


対するアールヴたちは本来、自分たちが自由にできる給料を、一部強制的に積み立てられている。

これは国民の自由意志を無視している。

アールヴ側の主張はこれでいい。


双方の主張を法律という物差しで測って勝敗を決めるのが裁判だ。


というようなことを長時間に渡って指導したので、パトラにはもの凄く怖くて気性の荒い女というイメージがついてしまった。


「じゃあ、大臣ならどういう判決をお出しになってたんです?」

裁判官が恐る恐る聞いた。

「難しい問題だが、アールヴの自由意志を侵害する訳にはいかない。私なら、アールヴに再度貯蓄の意思を確認するよう館へ求める」

「では、アールヴたちの勝訴という判決なわけですか」

「そうなるな」

パトラはうなずいた。

だが、一度出した判決を覆す訳にはいかないので、これで終わりである。

「うーん、でもそれじゃ野垂れ死ぬアホが出てくるべ」

「自分で金を使い切って死ぬアホは死んでも仕方ないべよ」

「いや、そんじゃ館の管理責任が問われんでねーか?」

法院関係者は喧々諤々で議論し出している。

基本的にこういうやり取りは好きな連中なのだ。


(よしっ)

心の中でなんか聞いたことのあるフレーズを言いつつ、パトラは退出した。


「一応、私たちにも給料出たみたいだよ」

部屋を出たところで、静が嬉しそうに駆け寄ってきた。

これまではスネグーラチカからお小遣いという形でもらっていたのだが、財形貯蓄騒動を機会に給料制へ移行したのだった。

「所得税はまだ導入されてないんだよね?」

「そうだね」

「じゃあ、私も財形貯蓄しようかな」

「いいことだね」

パトラはうなずいた。

「無計画に生きると将来的に困るのは自分だし」

「……」

静は急に何かに気付いたかのような表情で黙り込む。

「どうしたの?」

「そうだよね、ずっとこのままフロストランドに住むんだよね」

「元の世界に帰る方法が分らないからね」

パトラもちょっとしんみりしてしまう。

「あんまり考え込まないで、ひょっとしたら帰る方法が分るかもしれないから」

「いや、いいんだよ」

静は頭を振った。

「私、ここが好きだもん。帰りたいって思いはあるけど、途中で投げ出したくないし」

「私も同じだよ」

パトラは静の頭をなでた。

「もー、子供扱いしないでよ」

「あはは、やだよー」

パトラは笑いながら、廊下を歩き出す。

そのまま、だべりつつ、皆のところへ戻った。


エーリクはガング商会の者と一緒に顔合わせに出席した。

顔合わせは太守の館で執り行われた。

太守のウンタモ、側近のピエトリ、ニール商会のニールとその側近の商人が出席している。

チラリとニールを見やるが、エーリクに反応した様子はない。

ニールは口ヒゲを生やした痩せた男である。

年齢は40くらいか、身なりは良いが不健康そうな顔色をしている。

挨拶から世間話がしばらく続き、商売の話になった。

「ボイラーを使ったシステムは、動力、暖房、湯の供給など様々に応用可能です。水車の代わりに動力としての使用ができるでしょう」

エーリクはハッタリ半分で語った。

「水車の管理には太守様も苦労されておられるのではないでしょうか。水車小屋が特権を持ちすぎているという話も聞きますし、粉挽きの唯一の動力という状況を変えるのには一役買うのではないかと存じます」

「しかし、今の体制を変える必要はないという見方もできるぞ?」

ニールが指摘してきた。

「はい、おっしゃることは分りますが、ボイラーという新技術はこれから徐々に普及すると思われます。

 もちろん今はドヴェルグたちが独占しておりますが、ここで投資をして先に押えておくのと、普及した後から他の商会に追随して導入するのとでは大分差が現れるのではないでしょうか」

エーリクは即座に反論した。

ニールが言いそうなところは事前に予測していた。

「ふむ、筋は通ってるか…」

ニールはちょっと鼻白んだようで、引き下がる。

「要は、牛後となるのを良しとするか、というところじゃの」

ウンタモが助け船を出した。

「粉挽き小屋が悪いとは言わぬ。が、しかし。もし、あの業界が結託したら、手の打ちようがないのは事実だ」

「それを突き崩しつつ、こちらは先に新技術を押えて利益を得るという訳ですか」

ニールは半ば納得していた。

エーリクが考えたのは、粉挽き小屋の権益を壊すことだった。

太守が抱えている悩みの一つに、水車小屋の特権化がある。

水車小屋は粉挽きを一手に引き受けている業種だ。

元々は、パンを作るための小麦粉の質が悪く、また価格が頻繁に高騰したという経緯があり、それを防ぐために専業化したのが始まりだった。

太守や領主階級の者たちが始めたことである。

しかし、専業化というのは特権化ということでもある。

いつしか水車小屋は権力を持ち始めた。

粉挽きだけでなく、河川の権利も持ち始めていた。

為政者のウンタモは、常々言うことを聞かせづらい業界を疎ましく思っていたという訳だ。

「技術の革新は世の常だからのぅ、変革について行けぬ者は消え去るのみだな」

「なるほど、上様のお考えは分りました」

ニールはニコリともせずにうなずいた。

「この話、前向きに考えましょうぞ」

(よし、うまく乗ってきたな)

エーリクは平静を装っているが、内心ではガッツポーズ。

その後は、細かい打ち合わせなので、ニール商会所属の商人との折衝になる。

顔合わせはお開きになった。


「おぬし、以前ワシの所にいたな」

ニールは帰り際に言った。

唐突に声を掛けてきたので、エーリクはドキッとしたが、やはり平静を装ってすっとぼけた。

「なんのことでしょう?」

「まあ、よい。細かいことを言っても仕方ないからな」

ニールは興味なさそうに視線を逸らす。

「木っ端どもなど一々把握してはおらん、そいつがどこに紛れ込もうとも関係はない」

「話が見えませんな…」

エーリクは惚けたままである。

「ふん、話はそれだけだ」

ニールは側近の商人を連れて出て行った。



次の日から、ニール商会の商人が拠点にやって来るようになった。

蒸気動力による粉挽きを実演して見せる。

「おおっ」

「なんだこれ?!」

商人たちは驚きで腰を抜かさんばかりになる。

「これは一例です。他にもフイゴを動かして炉に風を送ったりなど色々応用が利くと考えます」

エーリクはとにかく営業に専念した。

技術的なものは分らないので、口八丁で相手に売り込む。

「これ、思った以上にスゴイのでは?」

「そうだな、他に取られる訳にはいかんなぁ」

商人たちの意見は一致したようである。

だが、自分達が投資するという所まではいかないらしい。

(投資者を探すのがネックということか…)

エーリクはすぐに気付いた。

商人は売り買いはするが、金を出して設備を作ろうという考えは希薄だ。

しかし、顧客はニール商会が探してくれるのが理想だ。


雪姫の館→ガング商会→ニール商会→投資者?


という流れになる。

「うーん、説得して終わりだと思ってたんだが、まだ先があるんだなぁ」

エーリクはつぶやいた。

「そこはニール商会に任せないとダメだべ」

ガング商会のドヴェルグが言った。

「まー、そうなんだが、なんか心配でなぁ」

エーリクはモヤッとしたまま。

待つのは結構辛い。


「エーリク氏、どうしたべよ」

「辛気くさいだな」

ヘルッコとイルッポが訪ねてきた。

暇になると、たかりにくるのが習慣化している。

クズみたいな連中だ。

(コイツらに言ってもなぁ…)

とは思ったが、エーリクは一応胸の内を話してみた。

何か事態が好転するきっかけになるかと思ったのだった。

「事業家が集まらないってこったな」

「儲かるかどうか分らねーもんに手ぇ出すバカはいねーだな」

ヘルッコとイルッポはビールを飲みながら言った。

「それに、水車小屋の連中に睨まれるの確定だべ、それ」

「んだなぁ、それが分っててやるわけねーだよ」

「ぐ…」

意外な分析を披露されて、エーリクは唸った。

「逆に言えば、そーいうのを解決してやれば、皆やるってこったな」

「あー、それ言えてる」

ヘルッコとイルッポは急に掌を返したように言った。

「実は、ピエトリの親分に言われててよ」

「オレらも将来的に何か事業をやろうかと思っててな」

「え?」

「粉挽きだけじゃなくて、色々と応用利くんだよな?」

「投資だべ、投資」

ヘルッコとイルッポはマグカップを打ち合わせた。

乾杯だ。

「でも、失敗したら責任取ってもらうだよ」

「んだ、溜めてきた金つぎ込むんだぜ、失敗しねえようにするだよ」

「はは…」

エーリクは思わず笑いが漏れる。

「持つべきものは友人ですね」

「いや、金出すんだから投資者様だべや」

「投資者様をもてなせよ?」

やっぱクズい。


投資者枠が埋まったので、ニール商会が動き始めた。

ガング商会のドヴェルグ職人がやってくる頃には、場所の選定が済んでいた。

ボイラーと粉挽き設備が設置され始める。

ヘルッコとイルッポはその様子を見に来るだけで、あとは丸投げである。

表は太守が保護しており、裏ではニール商会が目を光らせていたので、水車小屋勢力は手が出せなかった。

なので、正攻法での抗議が始まった。

「我々は民衆のために文字通り身を粉にして奉仕してきました」

「我々は天下の御政道に許された業種であり、金の亡者が都合によりどうこうできる職種ではないのです」

などなど。

「民の事を考えるなら、もっと広く粉挽きの設備を与えてゆくべきだろう」

「その昔には、誰がやるべきなどと決められておらぬではなかったか」

太守のウンタモはそれらの抗議を退けてしまった。

これが原因で、水車小屋業界に恨まれることになる。

ボイラーを動力にした粉挽き設備は完成した。

小麦の供給、挽いた後の小麦粉の買い取り、袋やその他の備品などはニール商会所属の商人が受け持つ。

粉挽き場で働く労働者もニール商会の伝手で雇い入れる。

ヘルッコとイルッポは金を出しただけだったが、投資者様、経営者様という態度で入り浸っていた。

「もっとコストを抑えないと儲けでないですよ」

エーリクが見かねて口を出す。

「え、そうなのか?」

ヘルッコは驚いて聞き返す。

既に金持ちになった気でいるので、金遣いが荒くなってきている。

(コイツらもアールヴと同じかよ…)

エーリクは仕事の上で失敗されるとやりにくくなるという思いもあって、逐一口を挟んだ。

「ニール商会の言い値で麦を買ってはダメです。相場を調べてその値段に合わせて交渉してゆかないと」

「うへ、めんどくせー」

イルッポは露骨に嫌がった。

そもそもが頭を使わずに金だけ儲けたいという根性の持ち主である。

「キチンとマネージメントできる人材を雇わないとダメですよ! 利益を出すよう舵取りしないと!」

エーリクが口幅ったく言うと、

「んじゃ、あんたやってくれや」

「はあ? オレはダメですって、フロストランド側なんだし」

「どーせ、雇われだんべ? 大丈夫、大丈夫」

「んだ、信用できて任せられる人材なら文句ねーだ」

ヘルッコとイルッポは、マネージャー役をエーリクへおしつけてきた。

「一応、賃金は出すだよ」

ヘルッコは金額を提示したが、雀の涙である。

失敗すると困る立場にいるってのを知ってるから、足元を見てきている。

非常にセコいが、この際仕方ない。

「分りました、やればいいんでしょ、やれば!」

半キレでエーリクが叫んだ。


「なんで、おぬしが管理しとんじゃ?」

しばらくして、ニールが様子を見に来た。

手下の商人から、粉挽き場との交渉がキツくなってやりにくいという報告がいってるのだろう。

「ピエトリ様からのご意向もありまして」

エーリクは言い訳した。

「それにこうなるのが嫌なら、そちらで経営すべきだったのでは?」

「……痛いところを突くわい」

ニールはすぐに視線を逸らした。

「おぬしがフロストランドに着いたのは失敗じゃったな」

ぽつりとこぼす。

「だから、人違いですってば」

エーリクは認める訳にはいかないので毎回否定するが、ニールはまったく聞き入れようとしない。

まあ、ここまできたらどうでもいいのだが。

「まあいい、今からでもウチに着かぬか?」

「鞍替えする気はありません」

エーリクはきっぱり断る。

「というか、この粉挽き場が倒れたら困るのはそちらも同じではないですか?」

「うむ、まあ、そうじゃな」

ニールはうなずく。

商売の道理、つまり利益を説いてゆけばニールは聞く耳を持つというのが分ったので、エーリクはそれを上手く活用していた。

「ここを上手く立ち上げた後、それを以て投資家を説き伏せて事業拡大させてゆかねばならんからな」

「ならば、原料麦、製品粉の売買は適正価格でお願いしたいですね」

「ふん、大口を叩きよるわ」

ニールは鼻を鳴らすが、

「その代わり、きっちり利益を出せ、粉の販売はワシらがやるでの」

渋々ではあるものの言った。

エーリクの提案は通ったということだ。

「もちろんです」

エーリクは自信ありげに胸を叩いた。

「ところで、水車小屋の動向はいかがです?」

「お前んとこの妖精どもが情報集めとるじゃろーが」

ニールは忌々しいといった感じで言った。

アールヴ隊が次の活動として水車小屋業界を調べ出している。

それを言ってるのだった。

以前、小競り合いでニールの手下どもをぶちのめした事があるので、嫌っているのだった。

「もちろん、こちらで集めた情報も提供しますよ」

「ヤツらは業界でまとまりだしておる、裏も表もこちらが抑えてしまったからな」

「太守様に抗議しているとか」

「それよ、今は良いが、そのうち不満が高まってくる」

エーリクが言うと、ニールは渋い顔をした。

「不満が高まった末に暴動でも起こされたら困る、太守殿がな」

「では、水車小屋の連中にもボイラーを提供したらどうです?」

「なんじゃと?」

「簡単なことです」

怒り出そうとするニールを、エーリクが機先を制して話し出した。

「ヤツらにも利益を享受できるようにすれば、不満はなくならないまでも矛先が逸れてゆくでしょう。

 そうですねぇ、水車小屋限定で安く提供してやれば飛びつくものもいるのではないでしょうか?」

「ああ、そうか、売るのはワシらという訳か」

ニールはすぐに気付いたらしく、機嫌がコロッと良くなった。

「水車小屋の連中は自分達の権益が脅かされると思っているから抗議している訳ですし、安価で同じように享受できるとなれば業界が一致団結するのを防げるのではないでしょうかね」

「ワシらは新規顧客開拓、太守殿は怒りの矛先を逸らせるということか」

「そうです、水車小屋と太守の対立に巻き込まれる必要はありません。こちらは普及させれば勝ちなんですから」

「分った、そう上様に進言しよう」

ニールはちょっと満足げに言う。

「それから、そっちの情報も出せ」

「チッ、覚えてましたか…」

「惚けおって」

なんだかんだで仲が良い。

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