とある問題
「……これで終わりなのか?」
ハンマー片手にブリジットが額から流れる汗を拭った。
彼女の周りには、四箇所に大きな杭が打ち付けられている。
自宅裏の庭とも言えるスペースに、僕はブリジットと一緒にいた。
「ありがとう。これくらいスペースがあれば問題なく鶏舎が建てられると思うよ」
こうして自宅裏に来ているのは、養鶏用の鶏舎建築場所を確認するためだ。
最初はララノに手伝ってもらおうと思ったんだけど、彼女には畑作業をお願いしてブリジットを連れてきた。
だってブリジットって、こういう力仕事が向いてそうじゃない?
二日前、パルメザンを出発するときにマヨネーズ作りのことを思い出した僕は、「畜産ギルド」に立ち寄って養鶏の準備をしてから帰ることにした。
畜産ギルドとは、種子や肥料を売っている種苗ギルドの畜産版で、家畜や家畜用の資材を販売している。
もちろん鶏や養鶏用の資材も売っていて、それを買うついでに店員さんに養鶏について色々と聞いてみた。
僕が気になっていたのは鶏舎の建築場所だったんだけど、なんでも日当りがよく、冬の北風が避けられる場所に建てるのが好ましいらしい。
農園の敷地には木が生えておらず、風を避けられるところは限られている。日当りがいい場所と言えば、家の裏しかなかった。
なのでこうして建築予定地を確認しておこうと考えたというわけだ。
できれば畑の近くに建てたかったのだけれど、今日から忙しくなるので家に近いほうが逆に助かる部分はある。
「……忙しくなる、か」
つい、口に出てしまった。
それを聞いたブリジットが首をひねる。
「忙しくなると言っても、そう面倒なものでもあるまい? 鶏の餌は野菜の残りで良いと言っていたし、少々面倒なのは時折貝殻や石をあげないといけないことくらいだろう?」
「……あ、いや、忙しくなるっていうのは養鶏じゃなくて、野菜のほうね」
「ああ、そっちか」
「ひと月でいつもの十倍の野菜を作らないといけないからね。それに、『あの問題』も解決しないと……モンスター浄化作戦は失敗しちゃう」
モンスター浄化作戦。
ホエール地方に生息するモンスターに、僕が作った瘴気浄化作用がある野菜を食べさせて周るという作戦だ。
この作戦は、数日前にパルメ様から正式に発令された。
──そう。パルメ様は僕の提案を受け入れてくれたのだ。
あのとき、僕の発言がパルメ様の逆鱗に触れたと思ったけど、どうやら彼はただ驚いただけだったらしい。
本当にやめて欲しいと思った。
凄まじい形相だったし、軽く死を覚悟しちゃったじゃないか。
パルメ様曰く、モンスターと動物の関係は寝耳に水だったようだ。
魔導院で瘴気に関する論文を読み漁っていた僕ですら知らなかったんだし、研究員でもないパルメ様は知らなくて当然だろう。
というわけでパルメ様主導の元、冒険者ギルドと共同でモンスター浄化作戦がスタートした。
作戦成功の鍵になるのが、瘴気浄化作用がある僕の野菜。
ホエール地方全域で行われる浄化作業には、相応の量の野菜が必要になる。
その量はいつもプッチさんに卸している量の十倍ほど。
それを作戦開始のひと月後までにプッチさんを通じてパルメザンの冒険者ギルドに納品する必要が出てきた。
とてつもなく大変だけど、できないことはないと正直、思った。
付与魔法があれば畑を拡張するのは簡単だし、動物たちの協力があれば収穫も問題なく行ける。
それに、パルメ様が相応の金額で買い取ってくれることになっているので、金銭面でも問題はない。
ただ、ひとつだけ解決しないといけない「とある問題」が発覚した。
「あの問題というのは、野菜を日持ちさせる方法か」
「……うん」
僕はこくりと頷く。
「私はホエールの地理に疎いのだが、全域に野菜を行き届かせるにはどの程度時間がかかるのだ?」
「一週間くらいかな。パルメザン近郊だと、一日二日でいけると思うけど」
例えば、先日瘴気が降りたホエール地方の西の端にある「アインクラッド」という街で浄化作業を行う場合、移動時間だけで一週間はかかってしまう。
付与魔法をかけて長持ちさせているとはいえ、一週間も放置していたら確実に傷んでしまうだろう。
そうなったらモンスターでも口にしてくれなくなる。
そう。ホエール地方全域で浄化作業をするには、いつも以上に野菜を長持ちさせなければいけない。
「例えばサタ先輩が冒険者ギルドに赴いて、野菜に付与魔法をかけるというのはどうだろう?」
「出発する冒険者たちに付与魔法をかけてまわるってこと?」
「そうだ。そこで野菜に再度付与魔法をかければ、長持ちするんじゃないか?」
「ん〜……ギルドで再付与しても一週間持たせるのは無理だよ。冒険者に同行して定期的に魔法をかけないと」
例えばアインクラッドに行く場合、道中で二回ほど付与魔法をかければ持つと思う。
だけど、冒険者はホエール各地で手分けして浄化作業を行うわけだし、全員に同行するのは物理的に無理だ。
「サタ先輩は唯一無二の偉大すぎる絶対神のような存在だから、すべての冒険者に同行するのは不可能か」
「そこは普通に『ひとりしかいない』って言って?」
いちいち表現が大げさすぎるんだよ。
「とにかく、どうにかして野菜を日持ちさせる方法を考えないと」
「私の知識は役に立たないか?」
「ブリジットの知識? って錬金術ってこと?」
「そうだ。農園に来てサタ先輩の付与魔法と同等の効力を持つポーションの研究をしているが、その技術が何か役に立つかもしれない」
「……あ、なるほど」
思わず膝を叩きたくなった。
瘴気浄化作用を持つ野菜をポーションに錬金できれば、保存期間は飛躍的に向上する。
ホエール地方はもとより、王国全土で流通させることも可能だろう。
そんなことができればの話だけど──物は試しだな。
「よし、農作業が終わったら早速やってみようか。ありがとうブリジット。少しだけ光明が見えた気がするよ」
「気にする必要はない。この礼は……そうだな。私たちの結婚指輪のグレードを少しだけ上げてくれればそれで」
「よおしっ! 頑張って畑を拡張するぞぉ!」
兎にも角にも、野菜がないと始まらないからね。
空に向かって拳を突き上げる僕。
そんな僕を、ブリジットは至極不満そうな顔で見ていた。
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