夏の呼び声

鳴代由

夏の呼び声

 遠くから、鐘の音が聞こえた。それは、この村で明日から始まる祭りの合図。祭りが始まる三日ほど前から、朝と昼と夕方の三回、その鐘は鳴らされる。とはいってもこの祭りは毎年やっているわけではないらしい。何年かに一回、特別な年に行われる祭りであると、村の人に教えてもらった。

 その鐘が聞こえるということは、今年は特別な年なのか。と僕は窓の外を見てぼんやりと考える。実際、村の人たちはいつもよりも忙しそうに、慌ただしく動いているのが見えた。


 そうして下のほうを眺めていると、突然、体が揺れるような感覚がした。カタカタと鳴る音はだんだんと大きくなり、地面が揺れる感覚に変わっていく。地鳴りだった。

 僕は慌てて窓枠につかまる。息をひそめてじっとしていると、それはだんだんと収まっていく。この地鳴りも、もう日常になっていた。


 体の揺れも収まり、僕はまた、祭りのことに意識を向ける。楽しそうにしている村の人たちを恨めしそうに見て、僕はため息をついた。

 僕はその祭りに参加させてくれない。準備でもそうだ。この祭りの鐘の音が鳴り出すと、「自分の部屋で待っていてね」と言うばかりで、祭りを見てみたいという僕の気持ちは頑なに無視され続けている。双子の兄であるマコトは何も言われず、祭りに、準備にだって参加しているのに、だ。

 小さい頃はマコトだけずるいと駄々をこねていたけれど、何度頼んでも無理だった。部屋からこっそり抜け出して祭りに行ってみようともしたこともあった。けれど、それも一瞬でばれてしまったから、一回でやめた。


 それもあって、みんなが言うように、祭りの間は一人で過ごすようにしている。寂しさは感じる。でもご飯や必要なものは持ってきてくれるし、祭りの話を聞かせてほしいと言ったら、少しだけではあるけれど話してくれる。だから、僕はもう祭りに行くことを諦めていた。

 他の人に迷惑をかけないように、叱られないように、僕は祭りの時間を一人で過ごす。できるだけ早く終わってほしいと願いながら、遠くに鳴る鐘の音を聞く。その音を背景に、こうやって窓からぼんやりと外を眺める。完全に蚊帳の外な僕には、それくらいしかやることがなかった。


 そろそろ太陽も真上に昇る。じっとりとした蒸し暑さが肌を撫でるのを感じながら、僕は雲ひとつない青空を見上げた。どこまでも広くて、うらやましいくらい。時折、開けた窓からふんわりと柔らかい風が入ってくる。それは僕の前髪を揺らし、少しの心地よさを連れてきた。


「祭りなんか早く終わればいいのに」


 僕はその風を受けながら、ぽつりと呟く。


 ──つまらない。


 浮かび上がる感情もそのままに、僕はひとつ、あくびをして目を閉じた。



「──コト、──! ミコト、起きなさい」


 いつの間にか、僕は眠ってしまっていたらしい。僕を呼ぶ母の声で目を開けると、真上にあった太陽は傾き、窓から差し込む橙の光が影を落としていた。


「……かあさん。なに?」


 僕は目をこすりながら身を起こす。祭りの準備をしているはずの母が僕の部屋にいるということは、そろそろご飯を持ってきてくれたのだろうか。寝ているうちに夕方になっているし。今日の三回目の鐘も、もう鳴り終わっている時間帯だ。けれど母は夕飯らしきものは持っていない。であれば何をしに来たのだろう。眠たい頭でそんなことを考え、僕は母に目を向けた。


「ミコト、祭りの準備に行くわよ」


 母の口から出た言葉は、寝ぼけた今の僕の頭を覚醒させるには十分すぎるもので。


「え、今なんて……」

「祭りの準備に行くから、早く支度をしなさい」


 もう一度、母からその言葉を聞いて、僕は飛び上がりそうなくらいに気分が高揚していくのがわかった。これまでたったの一度も許されなかった祭りの準備に参加させてもらえるというのだ。僕ははっと立ち上がり、いいの? と母に確認する。

 今年は特に気合を入れないといけない年だからね。という母は、今までにないくらいに優しい顔をしていた。それが不思議でなぜか恐ろしいと思うくらいには。



 下で待っているから早く来なさいね、と母に言われ、僕は準備をして部屋を出る。


「あれ、ミコト」


 部屋を出たところで、ふと、声がかけられた。


「……マコト」


 その声の主は僕の片割れ。マコトだった。その表情はどこか暗いもので、僕と一瞬目が合ったかと思うと、すぐに逸らされてしまう。


「ねえ、マコト。僕も祭りの準備に参加してもいいって言われたんだ。マコトも行くんでしょ? どんなことするのか教えてよ!」


 彼の様子を不思議に思いながらも、僕は祭りの準備に行けることが楽しみで、これまで何回も祭りに参加していたであろうマコトから、あれこれと聞き出そうとする。少し困らせてしまったかな、と思いつつも、祭りに向かう気だけが急いてしまった。


「……俺、今忙しいから」

「そっか。じゃあまたあとで聞かせてよ」


 顔を背けたままそう言う彼の声は少しだけ、震えているように聞こえた。何か嫌なことでもあったのかもしれない。僕は深くは触れないように、その場を離れようとした。そのとき。


「ミコトは何も考えなくていいから」


 僕にもはっきりと聞こえる声で、そう、ぽつりと呟いた。


「え? それどういう……」


 どういう意味か。僕がそう聞く前に、彼は逃げるように僕から離れていく。


「……行っちゃった」


 結局たいした話もできず、彼の言葉の意味もわからない。どうせあとでまた会えるのだから、そのときに聞けばいい、と思いながら僕は小首をかしげ、母のところへと向かうことにした。



「さっきマコトと会ったんだけど……」


 僕は母に浴衣を着せてもらいながら、さっきあったことを話す。母であれば、彼の様子が少しおかしかったのがなぜか、知っていると思って。


「どうしたのかしらね。お母さんもわからないわ」


 けれど思っていた返答は得られず、僕は帯を締める母の手をじっと追いかけた。

 準備の手伝いが待っているとはいえ今夜は宵宮。明日はまた忙しくなるから、先に雰囲気だけでも見てきなさい、と浴衣を着せてもらった。青い生地に黒い模様が入っている浴衣だ。マコトの浴衣は黒い生地に青い模様が入ったもので、明日のためにおそろいのものを用意したらしい。


「よく似合っているわ、ミコト」


 最後に帯をきゅっと締めて形を整えた母は、嬉しそうにそう言った。


「へへっ。ありがとう」


 いつもよりも優しくしてくれる母になんだか落ち着かず、照れ隠しをするために少し頬をかいてみせる。


「ミコトの、終わった?」

「あっ、マコト」


 タイミングよく柱の陰から顔を出したマコトは、さっきのような暗い顔ではない、さっぱりとしたような表情をしていた。


「祭り行くの、初めてだろ。だから俺が案内するよ」


 マコトはそう言って綺麗に畳まれている浴衣に手を伸ばす。服を脱ぎ、浴衣を羽織り、帯を締めていく。僕とは違って、彼は母の手を借りずに、手際よく浴衣を着ていった。


「すごい、一人で着られるんだ」

「まあ、たまに着てるから」

「祭りのときだけじゃなくて?」

「そうだな。やることがあるんだよ」

「ふぅん」


 そんな他愛のない会話をしている間に、彼の浴衣はきっちりと整えられていた。


「さ、行くぞ」


 僕はマコトに手招かれ、初めての〝特別な祭り〟に足を踏み入れた。



 遠くから太鼓の音や笛の音が響いてくる。神社の参道には、村中の人が集まってきたんじゃないかと思うくらいに大勢の人が流れてきていた。


「こんなに人がいるの見たことないや」


 浮世離れしたような雰囲気にぼんやりとしながら、提灯を眺める。祭り自体は何度か見たことはあるけれど、流石は特別な年、といった感じで、すれ違う人みんな、気合が入っているように見えた。


「ミコト! こっち!」


 その間にもマコトはいつの間にか先に進んでいて、僕を呼んでいる。歩く人を避けながら彼の元へ小走りで追いつき、置いていかないでよ、と言葉をもらした。


「そこからここまでだろ。おおげさだって」

「初めてなんだから優しくしなよ」

「はいはい」


 そうやって、僕はマコトと言い合いを繰り返す。ああ、この言い合いも久しぶりだ。そう感じた僕は、いつからか、彼と冗談を言い合いうようなこともしなくなり、いつからか、彼と日常を話し合うということもしなくなった、ということに気が付いた。ほとんど毎日顔だけは合わせていたというのに、二人きりで話すことが最近はなかったな、と少しだけ寂しくなる。


「ミコト? せっかく祭りに来てんのに、なんて顔してんだ」


 僕のそんな様子に気が付いたのか、マコトは僕の頬を引っ張る。


「いひゃい」

「変な顔」

「うるさい」


 目を合わせて数秒、先に吹き出したのはどっちだったか。お互いに顔を見合わせ、周りの音が聞こえなくなるくらいにけらけらと笑った。


 そうしていると、遠くから聞こえていたはずの太鼓の音や笛の音、鈴の音がだんだんと近づいてくる。賑やかな金の音に、男の人の囃子の声。それに合わせて僕の心臓もとくとくと跳ねていた。


「ミコト、今からここに巫女さんが上がってきて舞をするから、よく見といてよ」


 僕はこくりと頷き、目の前にある木でできた舞台のようなものに目を向けた。

 しばらくして近づいてきていたお囃子の音が消える。それから一気に流れてきた優雅な楽器の音に、僕は耳を奪われ、そしてその音に乗って舞台上に出てきた巫女さんたちに目を奪われた。さっきの太鼓や鈴のようなにぎやかなお囃子とは打って変わって、水が流れるかのようなその音と、風がなびくかのようなその舞が僕の目の前で繰り広げられる。僕は呼吸をするのも忘れ、その様子にくぎづけになっていた。


 その時間は長かったようで、でも短くて、いつの間にか終わっていた。


「……っは。すごい。すごかった! ねえ、マコト!」


 僕は目を輝かせながらマコトの腕を掴む。


「そんなに気に入るとは思わなかったな」

「だって、あんなすごいの、初めて見た」


 冷めやらない興奮を抑えようにも抑えきれず、あそこがよかったとか、あれはどうなっていたんだろうとか、頭に浮かぶままに言葉を出した。


「これが宵宮メインの舞なんだ。でも明日のほうがもっとすごいのが見れるぞ。明日は本祭だからな!」


 そう説明するマコトの口ぶりも、だんだんと熱を帯びていくのがわかった。今日の舞だけでも楽しかったというのに、明日もまだ楽しみが残っているなんて。僕は彼のその言葉を聞いて、すぐに頬が緩んだ。

 でもマコトは僕の表情を見てか、はっとしたような表情をする。そしてすっと目をそらし、見れるといいな、と呟いた。

 明日のほうが忙しくなるとかそういう意味だろうか、と僕はたいして気にも留めず、マコトの手を取る。


「母さんが待ってるかもしれないから、もう帰る? それとも、まだ何か楽しいこと、あったりする? わからないからさ、教えてよ!」


 僕は気にしないよ、と言わんばかりに、次の話題に切り替えようとした。


「ああ、そうだな。今日はまだ宵宮だからそんなだと思うけど、屋台とかも少しなら出ていると思う。見てみるか?」

「うん、見たい!」

「屋台は普通の祭りと変わりはないと思うぞ」

「それでもいいの。気分の問題」


 それなら、とマコトは笑みを浮かべ、僕の手を引いて屋台のあるほうへと案内してくれた。



 開いている屋台の数はまだ少なく、準備中のところも多かったけれど、僕が楽しむには十分なものばかりだった。

 りんごあめに、わたあめに、焼きそばに、金魚すくい。祭りの準備をしている人が多いからか、今夜開いているのは食べ物の屋台が大半といった印象だ。僕はその中から焼きそばを選び、大きな口を開けて、そこに放り込んだ。


「おいしいねえ」

「よかったね」


 彼は少しだけ微笑み、僕が焼きそばを食べているのを見ているだけ。


「マコトも食べる?」

「俺はいいから、ミコトが食べな」


 そう言ってマコトは人の往来に目を向け、ぼんやりと眺める。その目はどこか寂しそうで、物憂げな表情だった。……ひとりで何かをずっと考え込んでいるような。


「マコト?」


 不思議そうに名前を呼ぶけれど、彼と目は合わない。僕はそれにとてつもない不安を覚えた。食べていた焼きそばを片付けて、僕は彼の手を引く。


「ね、帰ろう。僕はもう十分楽しんだから、あとは家で休もう」


 自然と、彼の手を握る力が強くなった。それに反応してか、彼はハッとした顔をし、僕のほうを見る。やっと、彼と目が合った。


「うん、帰ろうか」


 さっきまでの虚空を見つめるような表情をがらりと切り替え、彼はにこりと微笑む。彼がそんな表情をしていた理由は全く分からないまま、聞くこともできないまま──。彼の考えていることを理解できないまま、僕たちは祭りの空間を後にした。



 夜も更け、ほとんどの人がもう寝静まったころ。僕も同じように眠っていた。夢は見なかったと思う。そのくらい、熟睡していたはずだった。だがそうやって気持ちよく寝ていた途中、カタン、という小さな音で目を覚ましてしまった。


「……ん?」


 僕はぼやける目をこすりながら、暗い部屋の中を見回す。誰かいるのだろうか。そうしてあたりを見回すけれど、まだ頭が寝ているのか、はっきりと捉えることができない。でも何かが動いているような気配はするから、きっと誰かはいるのだろう。

 誰? と声をかけようとした、そのときだ。正面から口を塞がれ、声は口から出ることはなかった。けれどその衝撃で目もはっきりと覚め、周りの暗さに慣れてきたのかだんだんと目も見えるようになってくる。


「しーっ」


 目の前にいたのは、人差し指を立て、静かに、という仕草をするマコトだった。


「逃げよう、ミコト」

「逃げるって、どこに?」


 僕は何もわからないまま、マコトに手を引かれる。部屋を抜け出し、家を抜け出し、村の人たちが寝静まった、祭りの騒がしさなんかとうに置いてきたその中を、二人で走って、走って、走って。


 僕たちは村の入り口まで走ってきていた。


「ねえ、……ねえマコト! 急にどうしたの!」


 何も言わずに走り続けたマコトの手を引っ張り、その足を止める。

 マコトが何かを隠していることは感づいていた。だがそれが、こうやって〝逃げる〟ということなのかはわからない。だから、マコトに全てを聞かなければならないと思う。僕は、あまりにも知らないことが多すぎた。


「マコト、なんで逃げるの? 全部教えてよ」


 マコトは僕に背を向けたまま、黙ってひとつ、ため息をつく。


「……もう少し、先に行ってからでもいい? ここじゃいずれ村の人たちが起きてくる。ミコトには一息つけるようになってから話すつもりでいたけど、無理そうかな。……歩こう」


 そう話すとき、マコトは一瞬も僕の方を向かなかった。そして僕の手を引き、今度はゆっくりと歩いていく。心がざわついたけれど、今はマコトについていくしかなかった。



 しばらく歩き、村をはずれ、僕たちは村を見下ろすことのできる山の中腹まで来ていた。そこでマコトは僕の方を振り返る。


「ここならしばらく誰も来ないと思うよ。さ、休憩しよう」


 ふわ、とあくびをしながら木の根元に座るマコトは、何から話そうか、と僕に声をかけた。

 そうはいっても僕だって何から聞いたらいいのかはっきりしない。聞きたいことはたくさんある。そうやって僕が目線をきょろきょろさせていると、マコトが先に口を開いた。


「隠していても仕方ないから、先に言ってしまうよ。ミコト、村から逃げよう。それで、こことは全然違う、別の場所に行って、二人で暮らそう」

「……えっ、え?」


 僕はその状況を理解できず、ただ困惑するしかできなかった。だがマコトはそんなことお構いなしに話を続ける。


「ねえ、ミコト。ミコトがなんで村の祭りに参加できなかったか、知ってる? なんで今年の祭りだけは参加できたか、知ってる?」

「そ、そんなこと急に言われても……」

「知ってる?」

「……知らない」


 ふ、と息をついたマコトは、じっと僕の目を見据えている。しっかりと話を聞け、と言っているようだった。

 実際、僕はマコトの話に集中できていなかったと思う。なぜかその先を知ったら今までのことが変わってしまうような気がした。怖さがあったのだ。得体の知れないものがすぐそばまで来ているような感覚。目の前にはマコトだけで、そんなことあるわけないのに、僕が今、こうやって置かれている状況が怖いと思った。


「ミコト」


 ふと、僕の手が握られる。暖かかった。


「どうする? 聞く? 聞かないなら、このまま連れて逃げるけど」


 マコトと目が合う。ちゃんと話を聞いて、と言っているようだった。


「……聞く」

「うん。じゃあ、座って」


 僕はマコトの隣に座った。顔は見れないままだ。けれど手はぎゅっと握ったまま、離したくなかった。



「ミコト。ミコトは知らないだろうけどね。あの村で行われている祭りは、ミコトの思うような楽しい祭りじゃないよ」

「……でも、楽しかったよ」


 マコトと一緒に祭りを回って、食べ物を食べて。にぎやかで、おいしくて、楽しかった。それは事実だ。


「それは、ミコトがあの祭りの一部しか見ていないからだよ。だって、昨日の祭りだけしか行ってないじゃん」

「それは……そうだけど」

「ね。本当は今回の祭りも、ミコトは外に出さない予定だったんだよ。でも、母さんが反対したらしい。最後だから、祭りの雰囲気だけでも、少しだけでもミコトに見せたい、って」

「さい、ご?」


 妙に引っかかった。まるでこれからの僕がないような言い方だ。マコトの様子を見るに、祭り自体が最後、という意味ではなさそうだった。マコトはそのまま、話を続ける。


「……うん、最後」


 だがすぐに、マコトは言いにくそうに言葉を止めた。今まで僕の方を向いていたのに、急に目を逸らしてふう、と息をつく。


「……本当はあんまり言いたくない。それでも知りたい?」


 念を押すように、何回も僕に知りたいかを聞いてくる。言いたくないのなら言わないほうがいいのではないかと思う。途中まで聞いておいて、知りたいと自分から言っておいて、いまさら聞かないのは違うだろう。

 僕も、マコトに合わせて息を吸う。


 ──これで、しっかり聞く準備はできた。もう、後戻りはできない。


「いいよ。聞きたい。僕のことだから。……だから、教えて」


 マコトはうん、と小さく頷いてもう一度、僕の目を見た。



 夜もだんだんと朝に近付き、遠くのほうがうっすらと明るくなっているのが見える。たぶん、そろそろ村の人たちも起き出してくる時間だ。僕とマコトがいないとわかれば、村の方は騒がしくなるのだろうか。ここまで追いかけてきたりするのだろうか。


「ミコト」

「うん」


 マコトはそっと話し出す。それを聞き逃さないように、僕は少しだけ、静かに息を吸った。


「ミコト、俺たちは双子だ」

「うん、そうだね」

「双子はね、昔から嫌われてきたんだ。特に後から生まれたほう。俺たちならミコトのことだね。ミコトは……なにか思い出すことはない? 普通なんだけど、なにかおかしいなってこと」


 僕は考えた。おかしいことなんてあっただろうか。昔から普通だった。勉強も問題なくしていたし、村の同じくらいの年齢の子たちとも遊んだ記憶はある。村の人たちも、僕を、僕らを嫌っていた様子はなさそうだったように思う。挨拶をすれば返してくれたし、お菓子だってもらったこともある。

 ただ、祭りに出してもらえない、ということを除いて、だ。けれど、マコトが今聞いているのは、普通に暮らしている中で、のおかしいことだろう。その中だけなのだとしたら……


「……あんまり思いつかない」

「うん。まあ、そうだろうね」


 マコトはあっさりとそう言い切った。まるで僕のこの答えがわかっていたようだ。


「ミコトには、ばれないようにしてた。村の人たちが俺たちを悪く見ていたことも、子どもたちもだんだんと事情を分かって俺たちを少しずつ避けていったことも。全部、ミコトには知られないように、母さんと隠してた」

「……なんで? マコトは知ってたの? 知ってたんなら、なんで教えてくれなかった?」

「ミコト。落ち着いて。順を追って話す。だから、静かに」


 マコトはしい、と僕の口に指をあてる仕草をする。


「ごめん」


 僕は口をつぐんだ。少し、焦りすぎた。落ち着いて話を聞くと言った手前、あとから申し訳なさが押し寄せてくる。


「別に謝らなくてもいい。続き、話すよ」


 マコトは僕が落ち着くように、声を柔らかくした。


「……ミコトに全部隠していたのは、俺と母さんはミコトの最期を知っていたから。だから、それまではミコトに悪いものを感じさせないように、必死に隠してた」


 また、最期という言葉が出てきた。今度ははっきりと、僕の最期だと。マコトと母さんは、僕の最期、つまり死期がわかっていたのだろうか。それは、どうやって知ったのだろうか。


「……ミコト、俺たちは双子だ。俺が兄で、ミコトが弟」


 何をいまさらわかりきったことを……と口に出そうとしたが、マコトが言葉を続けるほうが早かった。


「この村では、双子は忌み嫌われる存在なんだよ。一人分の力を、二人分に分けてしまうから。特に後に生まれたほうは、先に生まれた子の力を吸い取ってしまうから、よくないものとされていたらしい。俺たちだと、真っ先に嫌われるのはミコト。だから、祭りにも出られなかったし、最期というのも、決まっていた。この村の古い慣習だよ。でもそれは理にかなったもので、俺たちがすぐに何とかできるものでもない。だからこうやって俺はミコトと一緒に逃げ出すことを選んだ」

「……その、慣習って?」


 僕は何も知らなかった。双子のことも、慣習のことも。


「少し話は逸れるけれど、この村、たまに地鳴りみたいな音が聞こえるっていうのはミコトでも知っているよね」


 僕は頷く。つい昨日、祭りの合図の鐘が鳴った時、その地鳴りを感じたばかりだ。


「その地鳴りは、この村の少し奥へ行ったほう、岩に囲まれた場所に、洞窟があるのは知ってる? そこから出ている地鳴りなんだ。それもただ地面が揺れているだけじゃない。その洞窟には、大蛇が住んでいるんだ。この地を守る、神様みたいなもの。その大蛇が身を動かしたときに、地鳴りが起きる。……それで、俺たちが生まれるずーっと昔、その大蛇が村まで降りてきたことがあったらしいんだ。お腹を空かせて。大蛇が通って、村は壊滅状態。住んでいた人も、半分くらい食べられたって聞いた」


 その話を聞いて、僕は息を飲み込んだ。今でこそ平和に暮らせているが、昔にそんな出来事があったとは、たったの一度も聞いたことがなかったのだ。僕は怖いもの見たさで、マコトの話す続きが気になった。


「それで、そのあとはどうなったの?」

「村の人々は、もう駄目だ、と諦めかけたらしい。けど、そのとき、大蛇がある一人の少女に目を向けた。大蛇はその子を気に入った。力が弱くて、食べ甲斐がありそうだ、って。普通逆だと思うのにね。力が強そうな人ほど立ち向かうときわくわくしない? でもそういう意味じゃなかった。大蛇が言った力が弱い、っていうのは、目に見える力の強さじゃなくて、こう、目に見えない、その人が持ってる〝気〟みたいなものなのかな。それが弱い人ほど、周りから力を吸い取る力が強くて、食べ甲斐がありそう、っていう認識らしい。俺にはよくわからなかったけど」

「じゃあ、大蛇は食べ物の好みが変わってたってこと?」

「うーん。どうかな。それはわからない。大蛇なんて何匹もいるわけじゃないからね。俺たちじゃ大蛇の普通はわからない。でね、その少女は大蛇への供物として捧げられることが、村の人たちの間ですぐに決まった。少女の言い分は無視だ」


 どうしてそんなひどいことを……と僕は言葉が出なかった。でも、大蛇を止めるためなら、その選択も仕方ないのかもしれない。そうは思ったが、易々と少女を大蛇に差し出した村の人たちは到底許せそうにない。


「なぜそんなことが起きたのか。理由は簡単だ。その少女が双子の妹だったから」


 マコトのその一言で、全身の血の気が引いていく感覚がした。そしてその瞬間、自分が置かれている状況も、嫌でも想像してしまった。


 呼吸が荒くなる。考えたくなかった。


「ミコト、落ち着いて。大丈夫」


 マコトはそう言って、ゆっくりと僕の背中をさすってくれた。そうしながらも、あと少しだからと話を続ける。


「それから、村で双子が生まれるたびに、後から生まれた子が十七の誕生日を迎えたら、大蛇の元へ捧げるという慣習ができた。大蛇と、村との、何十年、何百年にも続く約束だ。それでね、ミコト。俺はそれが嫌だった。何も知らないミコトを、突然大蛇の前に放り出すなんてこと。俺たちは双子だ。ミコトが苦しいと、俺も苦しい。ミコトがいなくなるなんて、考えたくないんだ」


 だから、こんな村を捨てて逃げよう、とマコトは僕の耳元で呟いた。マコトも、苦しそうに息をしているのがわかる。


 僕たちは双子。相手が苦しいと、自分も苦しい。逆に相手が楽しいと、自分も楽しい。


 僕はマコトの手をぎゅう、と力強く握りしめた。


「……マコト、逃げよう。逃げたい。マコトが苦しいのは、僕も嫌だ」


 遠くから明るくなっていった空は、もうすでに青空を見せている。朝だった。

 ふと、マコト以外の、人の声が聞こえた。けれど近くではない。村のほうから、聞こえる声だ。

 僕たちを探しているのだろうか。


「マコト」

「うん。ミコトはもう落ち着いた?」

「落ち着いた。もう大丈夫。マコトがいるから」


 僕たちは走った。森の中を、岩の上を、必死に走った。走って、走って、走って。もう二度と、村に顔を向けることはなかった。




 あれから、僕たちは山を二つくらい越え、村を三つくらいかわし、山のふもとにひっそりと家を構える老夫婦のところへ転がり込んでいた。


「おばあさん、野菜の収穫、終わりましたよ!」


 僕は立派な大きさの野菜を両腕に抱え、縁側でお茶をすするおばあさんにそれを見せた。


「ああ、ありがとうね。君たちが来てから私らは大助かりだ」

「いえ、住む場所を貸してくれているんですから、これくらいのこと」


 僕たちはあの村から逃げて、逃げて、とある夜、寝る場所を一晩貸してくれないか、と頼み込んだ家が、この老夫婦の家だった。年老いて体も不自由になり、農作業もままならなくなってきたから、それを手伝ったら気が済むまで家にいていい、と言ってくれたのだ。

 僕たちは厚意に甘え、この家で暮らすようになってから半年ほど時が過ぎた。


「ただいま戻りました」

「ばあさん、帰ったぞ」


 ふと、後ろから声が聞こえた。山で採れた山菜や薪を村のほうに売りに行ったマコトとおじいさんが帰ってきたのだ。僕とおばあさんは二人を出迎える。


「マコト、お帰り。今日はどうだった?」

「ばっちり。あ、そうだ。村の人にお饅頭をもらった。あとでみんなで食べよう。それと、村の人、ミコトにも会いたがってたよ」

「そっか。じゃあ今度は僕が村のほうに行こうかな」


 そんな他愛のない話をしながら、お互いの仕事の報告をし合う。こんな風にマコトと話せるのが、なんだか少しむずがゆかった。

 おじいさんも、おばあさんに仕事の報告をする。その話を隣で聞いていると、気になる話題がおじいさんの口から出てきた。


 なんでも、遠くの村が一日にして壊滅した、という噂が村の間で流れているという話だった。


「おじいさん、その話、詳しく教えてください」

「ん? ああ、村の者が言うには、ここから二つだか、三つだか山を越えたあたり、山の奥深くにある村のことらしいんだがね。そこは閉鎖的な村で、古くからの慣習を何百年も守り続けていた村のようでな。いや、わしもいつだったか聞いたことがあるんだよ。村の者以外とは交流をしない。通りすがりの者でさえ、村の者でなかったら通しさえしない。いやあ、気味が悪いとは思っていたがね。まさか実在していたとは」


 おじいさんはところどころ抜けている歯を見せながら笑う。


「……その村が壊滅した理由って、何か聞いたりしましたか」

「いやあ、どうだったかな。何しろ噂だ。話が伝わっていくにつれて形を変えてしまうものだからなあ。お前さんがた、そんなにこの話に興味があるのかい?」


 僕たちは頷いた。心当たりがあったからだ。


「まあ、なんだ。ただの噂話さ。そんなに重く受け止めなさんなよ」

「それは、大丈夫」

「そうかい。……その村はな、地主様の怒りに触れたそうだ。お供え物をきちんとやらなかったんだろうなあ。見に行った人によると大きな丸太でも引きずったような跡が残っていたそうだ。まあ、自業自得ってやつさね」


 そこまで聞いて、僕とマコトは確信した。その村は、僕たちが逃げ出してきた村だ、と。


「……おじいさん、その地主様、は、こっちまで来たりしますか?」


 マコトが口を開いた。珍しく、怖がっているようだった。だがおじいさんは、マコトのその雰囲気を吹き飛ばすように口を大きく開けて笑う。


「はっはっは、なんだ、怖かったか? ありゃあ大丈夫だ。地主様はな、決められた場所を守っている神様の遣いってやつさね。基本的にはその場所からは移動できないよ」


 おじいさんの言葉に、僕たちは胸を撫でおろした。マコトも、安心した様子で緊張を緩めていた。


「ごめんなさい、変なこと聞いて」

「いやいや、いいんだ。さ、力は余っているかい? 仕事の続きをするぞ、二人とも、晩飯まで動くぞ!」


 おじいさんは傍に置いていた籠を持ち上げ、畑のほうへ向かっていく。


「ミコト、行こっか」

「うん」


 僕たちも急いでおじいさんのあとをついていった。

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夏の呼び声 鳴代由 @nari_shiro26

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