弾けぬなら・投げてしまえ・大洋琴 

桐生 夜縫

プロローグ 1

 僕の名前はディール・アンパシー。


 帝都の教育機関が最高峰、アルスタール学園に特例で入学を認められたひとりだ。


 この学園には王族や貴族の子供たちが多く在校していて、僕のような一般人はほんのひと握りしかいない。


 異端、あるいは場違い。そんな総称で呼ばれる僕たちは、家柄はどうであれ、全員がとある技能を持っていた。


 例えば僕はピアノ技師の父がいる。貴族が所有するピアノをメンテナンスするのが仕事。とても腕が良く、丁寧かつ迅速。調律だってうまい。


 僕はそんな父に幼いころから遊び半分で教わって、今では師事したほど。いずれ後継ぎとして多くのピアノを手掛けるのが夢だ。


 でも世間から見れば、いやこの学園から見れば、ピアノいじりが得意な地味な男という印象くらいしか聞かない。周囲が金持ちのボンボンだから話しかけられもしないし。友達だっていない。


 この学園の生徒は特例生と呼ばれる僕たちに友好的ではない。家柄がどうだとか、親がなんの仕事をしているかでヒエラルキーが決まる。僕は巨大三角形の最下部だから、いつも空気みたく扱われていた。


 加えて、父から「お前は目付きが良くないから前髪を伸ばして隠せ」だの「お得意様の御子息御令嬢には失礼無きようすべて肯定せよ」だのと、奴隷のように尽くせと命令を受けた。


 でもこれは仕方ないことなんだ。


 なぜなら僕はその分野においては著名な父を持つ息子。技能を持つ特例生として、入学式前に校長から父親と共に呼び出されてこんな提案を受けた。


 在学中、校内にあるすべてのピアノを定期的にメンテナンスできるなら学費は免除すると。


 この学園はエリート校として知られているから、学費は父の年収ほど。僕の入学が決まったその日から副職を探して教科書代を稼いでくると息巻いていたけど、それでは寝る間も無いし、食事だって多くがラインナップから消滅するだろう。


 だからその有難い申し出を受けるしかなかった。僕が学ぶ代償に父の命を差し出すなんて真似はできない。


 よって僕は朝昼晩と、勉学に勤しむ傍らで新人の職人として働くことになった。技能はすでに父からお墨付きを受けていたのもあったし。


 しかし学園には僕の予想を超える数のピアノが配置されていた。


 各学年各クラスの教室に一台。祭典に用いられるブースにも。ホールにも。外にも。エントランスにも。廊下にもあったので度肝を抜かれた。


 だから業者を呼ぶより僕にやらせた方が安上がりと結果が出たのだろう。お陰で休む時間がない。





 そんな僕は春の陽気が訪れた今日この頃、その日の予定にあった大ホールのグランドピアノのメンテナンスを行うために昼休みに足を運んだ。


 朝は下見程度だったし、昼休みと放課後を利用して翌日には使える状態にしなければならない。


 学園公認の職人として、僕に課せられた任務だ。もしミスなどすれば退学で済めばいいけど、どれも一級品なので損害賠償などされた場合を考えると一切手が抜けない。


「ハァ………朝に見たけど、あのピアノはなんだか調子が悪いし………下校時間になっても帰れないかもなぁ………」


 手が抜けないから陰鬱な気分となる。終わらなければ帰れない。特例生は下校時間を過ぎても滞在が許されているし。最悪夕飯を抜くかもしれない。明日の朝までかかるかもしれない。


 どうしたものかと頭のなかで設計図を思い出し、調整の手順を考えているとあっという間に大ホール前に到着。


「あれ? 開いてる………」


 その日は直視すれば眼球が焼けるほどの晴天で、教室以外では広大な敷地に設置された清潔にして一級品のテーブルや椅子が並ぶ場所で大勢が優雅なランチを楽しんでいた。


 誰もがお坊ちゃまやお嬢ちゃま。こんな時間に大ホールにいるはずがないし、食事をする環境でもないので誰かがいれば当然不審だ。


 僕のような職人の息子ならまだしもね。と内心で自嘲しながらそっと重厚な木製のドアの前に移動する。


「あ………やっぱり音が外れてる」


 今朝の下見でも数ヶ所が音程がおかしかったから、普段と同じ調子で弾けば微かに違和感がある。ところがなかにいる複数人はまったく気にした様子がない。


 まったく。どこの奏者・・志望者だろう。そんなことにも気付かないなんて未熟な証拠だよ。


「さぁ、エカテリーナ・アシュベンダー。今度はあなたの番よ。弾きなさい」


 大ホールから聞こえたのは「私は高飛車です」と自己紹介しているような偉ぶった語調のお嬢様。


 加えて数人の男女の嘲笑。


「エカテリーナ・アシュベンダー………あ、同じクラスの子の名前だ。もしかして………」


 僕は嫌な予感がして、そっとなかを覗く。


 そこには上の学年の先輩たちが十人ほどいて、舞台にはくだんの同級生が。


 エカテリーナ・アシュベンダー。遠くの街からやってきたという彼女は、家柄自慢の駆け引きで自分が相手より優位な地位に立つべく躍起になっていた同級生たちの格好の的となっていた。


 例えば同じく貴族の出だとしたら、あとは自分の才覚を如何に発揮したかで線引きをするのだけど、彼女の家は帝都の住民からすれば名も知られていないマイナーな家系らしく、瞬時に下位にいると判断されたらしい。


 そりゃあ、帝都の貴族様の子供なんだから、田舎の出なんて知られれば馬鹿にされ、偏見を持たれるのも仕方ない。彼女自身には顕著となる功績などなにもなかったのだから。


「あっらぁぁああ? あなた、奏者だと自己紹介した分際で音階も知らないのかしらぁ?」


 大ホールから一際大きな笑い声が響く。広大な空間なのによく通る声だ。


 次いで聞こえたのは複数人の貶すような笑い声。聞いていて気持ちが良いものではない。


 でもエカテリーナさんも責任がある。自己紹介をした際に「私は奏者そうしゃを志しています」なんて堂々と宣言したのだから。


 ピアノは神聖なものだ。最早楽器の領域を出ている。奏者を目指すなら弾き方を覚えるなんて幼児おさなごでも知っている。


 さて、どうする。ここで飛び出せばどうなるかなんてすぐにわかる。


 メンテナンスをしたいので出て行ってください。なんて言えば貴族様のご息女の逆鱗に触れて、社会的抹殺を受ける。父にも迷惑がかかる。


 でも今日あのピアノのメンテナンスをしなければならないのに。放課後にするしかないかなぁ。


「だいたい、アシュベンダーなんて知らない名の家柄なんて、やっぱり大したこともないのね。エカテリーナお嬢様ぁ? あなたのお父様はどのようなお方ですかぁ? やっぱりお芋で成り上がった肥溜めみたいなお家柄なのかしらぁ?」


 先輩のいびりもすごいや。こんなこと言われたら、僕だったら泣く。


 それからしばらくいじめは続く。気の毒なことにエカテリーナさんは言われるがままだ。僕が出て行って、どうこうできる問題じゃない。僕は技師の特例生で、あっちは本物のお嬢様なのだから。


 しかし、しかしだ。


 途中から様相が変わる。


「ちょ………ッ!?」


「お、おい! お前なにやって………」


 先輩たちの声音が変わる。これは恐怖を現す声だ。


 次の瞬間、建物が倒壊するような、信じ難い騒音と悲鳴が炸裂する。




「ィ………っひゃぁぁぁぁああぁあああああ!!」




 まるで………そう、断末魔。


 大ホールによく通る声だけあって、この世の終わりを見事に想像させるような規模の絶叫だ。


 入るものかと心に誓ったばかりなのにそれを忘れた僕はギョッとして大ホールを覗き込み、そして絶句した。


 室内に突如嵐が発生したような光景だった。


 貴賓の民たる先輩たちは号泣、あるいは失神していた。まだ意識のある者は羽をもがれた羽虫がごとく、嘲笑を誘う醜態を晒し、今もガクガクと震える四肢を動かして床を這って逃げようとしている。


「ア、ギ………ィギ………」


「やめっ………やめてぇ………!」


「助けて母上ぇぇぇ………」


 普段から口癖のように自分がどれだけ世のなかに必要とされ、選ばれた存在であるのかを力説した高貴な姿とは思えない情けない姿だ。


 対してエカテリーナさんは舞台の上にいた。天使のような笑みのなかに鬼畜めいた狂気を湛えた瞳をする。


「………あらあら。いけないわ。まだ息があったなんて。わたくしも半人前ですわね」


 綺麗なソプラノの声で毒を吐く。


 間違いなくこれをやったのがエカテリーナさんだとわかる。


 でも信じられないんだ。これが。僕の前に広がっているこの惨状が。


 固定された座席は脆いクッキーのように破砕され、凶悪な破壊を行なった跡を追えば、そこには400キログラム超えのグランドピアノが修復不可能なほど歪な姿へと変貌し、ありえない角度で最後部座席に突き刺さっていたのだから。




 思えばこの日から始まったんだ。


 僕の運命が変わり、エカテリーナさんの武勇が広まる、常識などの概念がそっちのけになる変革の時代へと。

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