兄の後悔


―――


 暇を言い渡された蘭は、早速蝶子の元へと向かった。

 しかし意気揚々と部屋を開けた瞬間降ってきたのは――


「遅い!!」

「ひぃっ……!ご、ごめん……」

 世にも恐ろしい蝶子の怒鳴り声だった……


「わ、悪かったって……しょうがないだろ?仕事だったんだからさ。」

「それにしてもあんまりじゃない。あの蘭が珍しく活躍したって言うから褒めてあげようとしたのに、城に帰ってきても顔すら見せないなんて。あーあ、どうせ私の事なんて忘れてたんでしょ。」

「そ、そんな事ねぇよ!確かに顔出さなかったのは悪かったけど、忘れる訳ないだろうが。お前の事。」

「え……?」

「タイムマシンの進み具合が気になって気になって、眠れなかったよ。」

「そっちかい!」

 蝶子の渾身のツッコミに笑いながら、蘭は畳に腰を下ろした。


「ジョークだって、ジョーク。でもホント久しぶりだよな。元気してたか?」

「まぁ……ぼちぼちね。」

「っていうか褒めてくれるんだろ?俺、超頑張ったんだぜ。ほらほら、思う存分褒めていいぞ。」

『わんわん!』と擬音がつきそうな顔で言う蘭に、蝶子はため息を吐いて顔を逸らした。

「はぁ~……褒める気が失せたわ。」

「何だよ……」

 今度は『ぷぅ』っと頬を膨らます蘭を見て、やっと蝶子の顔に笑みが浮かんだ。


「俺のいない間にさ、何か変わった事あった?」

「いない間って?桶狭間に行ってる間って事?特に何も……」

「違う、違う。今川のところに行ってからって事。あの時だってゆっくり話出来なかったしさ。どんな事があったのか、知りたいんだ。」


(って言って、本当は信勝さんがどうなったか知りたいだけなんだけど……)

 心の中でそう思いつつ、蘭は蝶子の返事を待った。


「変わった事ねぇ……あ、そうだ!ちょっと聞いてよ!信長の奴、実の弟を風邪だって嘘ついて呼び出して、殺しちゃったのよ!信じられる?」

「……やっぱりそうなんだ…歴史は変えられないって事なのかな。」

 そう言うと、蘭はゆっくり目を閉じた。


「え?何、どういう事?」

「歴史のテキストに書いてあったんだよ。信勝さん……その弟さんの事なんだけど、信長にやられちゃうって。現実になって欲しくはなかったけどな……」

「蘭……」

 蘭の落ち込みように流石の蝶子も言葉を失う。すると蘭がパッと顔を上げた。


「で?他には?」

「え?え……っと。あぁ、あれも変わった事っちゃ変わった事ね。」

「何?」

「前田何とかさんって人が、味方の一人と喧嘩してやっちゃったらしいの。それで信長がカンカンに怒ったんだけど、勝家さんとか可成さんが間に入って仲裁してね。でもそのまま許しちゃったら信長も格好がつかないじゃない?だから一旦城は追い出したけど、近くの寺に預けてしばらく様子を見るって事で決着がついたみたい。でもあの信長の事だから、いつか殺しちゃうんじゃないかしら。まぁ、自業自得だけど。」

「へぇ~俺がいない内にそんな事が……ってちょっと待て!今前田って言わなかった?」

「うん、言ったけど。」

「下の名前は!?」

「え、だからわかんないわよ。何とかさんって事しか。」

「そこ重要だから覚えとけよ……でも前田って言ったら……」


(前田利家しかいないだろ!ってか利家って織田の家来だったの?あれ?でも確か秀吉がサルって呼ばれてて前田利家がイヌって呼ばれてたって何かで見たな。じゃあその名付け親って信長……?)


「ちょっと!蘭、聞いてる?」

「蝶子。ナイスだ、お手柄だぜ!」

「はぁ?」

「前田利家は後に秀吉の重臣になるんだ。今殺しちゃいけない人物だって事だよ。よしっ!今すぐこの事を信長に言わないと!悪い、蝶子。俺ちょっと行ってくる!」

「え?あ、ちょっと!蘭!折角休みもらったのに……」

「すぐ戻るから!」

 言うが早いか、蘭は既に廊下に出て走り出していた。


「……まったくもう…あの歴史オタクが……!」


 蝶子の呟きはちょうど吹いてきた風に遮られて、静かに消えていった……



―――


「なるほど。あいつは必要な人間なのか。早まらなくて良かったぞ。」

「じゃ、じゃあまだ無事なんですね!」

「あぁ。懇意にしている寺に預けてある。そうとわかれば近い内に誰かに迎えに行かせよう。そうだ、可成に頼もうか。」

「え?可成さっ……じゃなくて父上に?」

「お前も行くか?」

「えっ!?」

「利家は確かお前と同じくらいの年のはずだ。今から仲良くなっておけば今後色々と都合がいいのではないか?」

 信長はそう言うと、おもむろに立ち上がった。蘭は急な申し出に戸惑いながらも頷くと言った。


「あの……信勝さんの事なんですけど……」

「あいつは納得して逝った。」

「……え?」

「最期に本音を聞かせてくれたのだ。だから昔の事はもう、俺の中ではなかった事になった。あいつとの思い出は今となっては何ていう事のない、何の意味もないものになってしまった。俺は……兄として道を間違えたのだろうか。なぁ?蘭丸よ。」

「そ、それは……」

 振り返り様に強い視線で見つめられ、蘭は思わず顔を伏せた。


「俺は必ず天下を獲る。何があっても、誰が邪魔しようとしても。」

「信長様……」

「最期の、約束だからな。」

 そこでふっと優しい笑みを見せる。初めて見るその顔に見惚れていると、突然信長が廊下に向かって歩き始めた。


「あ、あの何処に……?」

「俺は忙しいんだ。これで話は終わりなのだろう?」

「えぇ……」

「休めと言ったのに休まぬ罰だ。利家を迎えに行く算段が出来るまでお前は部屋から出るな。」

「え……」

「特別に帰蝶と市には、お前の部屋に入る許しを出すがな。」

 照れくさそうにそう言い終わると、信長はさっさと大広間を出ていった。


「ツンデレか……」


 蘭は悶えながらそう言った……



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