第68話 松平の最期

田中城を出て東に向かっていた信行率いる本隊に駿府からの早馬が到着した。


「駿府城が無抵抗で開城。明日にも松平元康と顔を合わせるか…」


「治部少輔様、どうされますか?」


「青母衣衆の一部を率いて一足先に東へ向かう。二人(光秀と秀吉)に本隊を預けるから変に急がず駿府に来てほしい」


「承知致しました」


「承知致しました。治部少輔様が直接松平と交渉されるのですか?」


「それは勝家に任せているから口は出さないつもりだ。松平元康がどんな態度を取るか端で隠れて覗き見させてもらうよ」


信行は塙直政と青母衣衆の少数を共に本隊から離れて駿府へ急いだ。


*****


翌日の昼過ぎに予定通り松平元康は家臣数名を伴って先鋒隊の本陣に姿を見せた。


「松平元康と申します。後に控えるのは家臣の平岩親吉と鳥居元忠です」


「柴田勝家と申す。後ろに控えるのは前田利家です」


「今後について話し合いたいと聞いております」


「松平家中の扱いについて総大将の織田治部少輔様より指示が出ているので伝えさせてもらう」


「承ります」


「一つ、松平元康は大河内城にて北畠内府様の配下とする。一つ、平岩親吉は観音寺城にて織田近江守(信光)様の配下とする。一つ、鳥居元忠は稲葉山城にて織田参議様の配下とする」


「お待ち下さい。この地から離れよと?」


「不満か?」


「駿府を傷一つ付ける事なく明け渡した功績は…」


「降伏した者が功績云々を持ち出すのは図々しいとは思わんか?」


「何の為に駿府を明け渡したのか意味が無くなってしまいます」


「それは松平の都合であって我々の知った事ではない」


「それに私だけ北畠の配下とは意味が分かりませぬ」


「北畠内府様は都で働ける人材を求めておられる。松平殿は検非違使志(下級職)として別当の北畠少納言様に仕える事になる」


「北畠少納言…、私より年下の者に仕えろと?」


「何だその顔は。不満なのか?」


「不満も何も、織田家に降伏したのに無関係の北畠家に仕えろとは無礼ではないか!」


「何が無礼だ?忠義面して今川義元を騙した挙げ句、駿府を売ったのは誰だ?」


「何だと!」


「礼儀知らずは話にならんな」


利家の発言を切っ掛けに双方一触即発の事態になり、元康ら松平主従は刀に手を掛けた。


「松平主従には困ったものだね」


勝家と利家は聞き覚えのある声を聞いて後ろを振り返った。そこには塙直政を横に従えた信行の姿があった。


「治部少輔様!」


「早馬から知らせを受けて急いで駆け付けたよ」


「驚かせないで下さいよ」


「悪かったね、利家」


「勘十郎様、ご無沙汰しております」


「久しぶりだね、竹千代殿。敢えてそう呼ばせてもらうよ」


勝手に昔を懐かしむのは構わないが、人を巻き込むのは止めろと言葉に含まれていた圧力に元康は気付いた。


「失礼致しました」


「単刀直入に言う。貴殿らはこの指示に従わなくても構わない」


「ならば我々に三河を与えて下さい」


「三河を与えてどうする?」


「今川に復讐する機会をお与え下さい」


「復讐するなら駿河だろう。それに復讐する相手は今川だけじゃない筈だ」


「どういう意味でしょうか?」


「我々織田も含まれているからだ。」


「三河は松平始まりの地。そこからやり直したいだけです。織田家を裏切るなどあり得ません」


「この期に及んで白を切るか…。こんな檄文を作られたら否が応でもお前を疑うしかないだろう?」


信行は懐から取り出した書状を元康の眼の前に置いた。中身を確認した元康は血相を変えて身体が震え出した。元康が元忠に語った計画(三河を拠点に力をつけた上で三遠駿を乗っ取り、今川と織田に復讐する)が花押入りの手紙として残されていたからである。


「これはでっち上げだ!」


「花押があるのにでっち上げとは酷い言い訳だね」


「私を陥れようと誰かが作った…」


「今川義元が作ったとでも言うのか?」


「判ったぞ、作ったのはお前だ!」


「何を言うかと思えば。私が貴殿を陥れて何の得になる?」


「三遠駿を我が物にしたいからだ」


「我が物にしたいだと?貴殿も馬鹿な事を言うもんだね。三遠駿は兄の領地であって私は代官に過ぎないんだよ」


「吉法師殿に会わせろ。貴様の悪行を訴え出て松平の正当性を証明してやる」


「吉法師殿に会わせろだと?兄上の幼名を持ち出すとは無礼極まりないね」


「ほざくな、勘十郎!」


元康は全てが水の泡になった事で感情の抑えが利かなくなり、信行を斬り捨てるべく刀を抜いた。


「松平元康、貴様に勘十郎呼ばわりされる筋合いはないよ」


これ以上の会話は時間の無駄だと信行は手を挙げた。それを見た勝家たちは一斉に刀を抜いて三人に襲い掛かった。元康は信行に一太刀浴びせるべく近付いたが、直政が前に立ち塞がったので何も出来ず返り討ちにされた。


勝家、利家、直政に加えて正成と服部党の忍びが多数乱入してきたので三人に逃げ場は無く、親吉と元忠は抵抗すら出来ずその場で惨殺された。城内に居た他の家臣たちは何の前触れもなく侵入してきた勝家と利家の兵士によって取り囲まれ理由の分からないまま早々に降伏した。


「君は織田家にとって獅子身中の虫、家臣になったとしても揉め事の原因にしかならないんだよ」


「そういう訳で織田家に降伏した時点で君の運命は決まっていた。恨むなら自身の判断力不足を恨むべきだね」


信行は地面に横たわる元康の亡骸に声を掛けると筵を被せてから立ち上がり、その場を後にした。

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