第60話 都追放

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信行は夜明けを待って塙直政と青母衣衆の一隊を伴い室町殿に向かった。足利義輝と細川藤孝は信行来訪を聞いて標的が自ら現れたと喜んで迎え入れた。


「織田治部少輔信行です」


「足利義輝である。今日は何用で参った?」


「朝廷に弓を引く真似を止めて頂きたい」


「公方様に失礼であろう」


開口一番要求を伝えた信行に不快感を抱いた細川藤孝が会話に割って入った。


「失礼?朝廷に弓を引く方が無礼千万だと思いますが」


信行はお前も首謀者の一人だろうと言わんばかりに藤孝を見た。


「何だと!」


「藤孝、控えよ」


「申し訳ございません」


「弓を引くなと申しているが儂には心当たりがない」


義輝は事実無根だと素知らぬ振りをした。


「摂津の池田、丹波の波多野、石山本願寺に御内書を送り蜂起を促している事は周知の事実」


「証拠は?」


「この通り」


服部党を通じて入手した数通の御内書を信行は二人に差し出した。


「儂の筆跡と少々異なっているな」


「確かに。この辺りが違いますな」


二人は御内書を食い入るように見ながら偽物であると言っているが、内心はどうやって手に入れたのだと焦っていた。


「家臣の誰かが儂の名を語って勝手にやったのだろう」


「家臣が朝廷にご迷惑をお掛けしたのは事実でしょうが公方様は無関係と伝えて頂きたい。我々が責任を持って書いた者を見つけ出します」


義輝は幕臣の誰かに罪を擦り付ける事を咄嗟に思い付いて藤孝も話を上手く合わせてその場を取り繕うとした。


「…」


「こちらの回答に不満でもあるのか?」


「本当に宜しいのですか?」


信行は溜息を付くと表情を一変させた。


「どういう意味だ?」


「我々は珠を握っているのですよ」


「珠?」


「そちらに分かるように言ったつもりでしたが、分からないなら仕方ありませんね」


「待て!確固たる証拠を握っていると言うのか?」


呆れた信行が立ち上がろうとした時に藤孝が声を上げた。


「お答えしかねます」


「兄上が裏切ったか…」


「三淵が検非違使庁に走ったと?」


「おそらくは」


「治部少輔、答えよ」


「答える義務はありません」


信行は幕府に気を使う気は無いと言わんばかりの態度を取った。


「それなら痛い目に遭ってもらうしか」


義輝は側に置いていた刀に手を掛けた。それを見た直政も刀を持とうとしたが信行に止められた。


「刀を抜いてどうするつもりです?私が五体満足で帰らなければ北畠内府と織田参議が軍勢を率いて室町殿に攻め込む手筈になっているのですよ。無論幕府も朝敵として認定されるので御二方の命運も尽きて終わりでしょうね」


「儂を脅すのか?」


義輝は怒り心頭の凄まじい形相になった。


「脅す?人聞きの悪い事を仰る。私は善意で忠告しているのですよ。役に立たないなら何もせず静かにしている方が身の為だと。それを誤解して刀に手を掛けているそちらの態度を疑いますね」


「どうすれば良いのだ?」


「藤孝!」


「公方様、このままでは我々が朝敵として討伐されてしまいます。何卒我慢を…」


「儂を、足利公方をコケにしているこの男を斬るなと言うのか!」


藤孝は怒りに震える義輝の腕を掴んで意地でも刀を抜かせないように押し留めた。


「申し訳ございません」


藤孝と義輝が無言でせめぎ合っている最中、対面している部屋に向かって誰かが近づく足音が聞こえてきた。


「高島郡の朽木稙綱殿から早馬が!」


「何があったのだ?」


「織田から攻撃を受けているとの事。至急援軍を求めると」


「朽木は我々とは無関係の筈だ。何故攻める?」


藤孝は義輝の腕を掴んだまま信行を問い詰めた。


「朽木稙綱は奉公衆の一人であり、高島七頭を構成している一勢力。若狭の武田と共に怪しい動きを見せていたので織田参議が一軍を差し向けたのでしょう」


「言い掛かりだ」


「そのような事を言える立場なのですか?幕府は不利な立場になると朽木谷に避難してやり過ごすのは常套手段ではありませんか。責務を放置して逃げないように予め手を打つのは常識だと思いますが」


歴代の公方は京都で不利な事態になると朽木谷に身を隠してほとぼりが冷めるのを待つ癖が有る事を信行は掴んでいた。高島郡と若狭を攻める部隊が偶然にも前日の夜から朽木谷へ攻撃を始めていた。


「摂津や丹波にも軍を差し向けているのか?」


「それもお答えしかねます」


「公方様、池田と波多野は攻められていると考えるべきです」


「貴様は一体何者だ?」


義輝の目には信行が化け物や妖かしのようにも見えていた。


「織田治部少輔信行。これ以上でもこれ以下でもありません」


「我々は何をすれば良いのだ…」


「都の南にある槇島城に移って頂き、朝廷が行う事に一切の口出しは無用と心得て頂きます」


「生きる屍になれと?」


「どう思うかは人それぞれ。私が言うべき事ではありません」


「幕府再興を果たせないまま朽ち果ててしまうのか…」


呆然とする義輝を無視するように信行は藤孝と今後の動きについて協議を行った。槇島城の整備はこの城を南の備えとして考えていた信長の手で既に始まっており近日中には完了する予定だった。信行はそれを利用して幕府そのものを城に押し込めて無力化を図り、再び反旗を翻した場合は城ごと潰してしまえばよいと考えた。


半月後、足利義輝以下幕府関係者は室町殿を離れて槇島城に拠点を移した。山城国内とはいえ都からの追放である。主が居なくなった室町殿には検非違使庁が入り、形式だけ残っていた二重統治は解消された。都を離れていく幕府関係者一行を見ていた民衆は幕府は終わりだと口々に語っていた。

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