東通り商店街 治療喫茶「ゆるり」ー貴方の体の不調を治しますー

風と空

第1話 いらっしゃいませ


 東横丁商店街には小さな喫茶店がある。


 そこは定年退職をしたマスターが、ゆっくりとした時間を過ごすために開いた喫茶店。


 カランと昔ながらのドアベルが付いた入り口を開けると、コーヒーのいい香りが迎えるカウンターだけのお店。


 定年退職後も細かいこだわりとキチンとした性格の為、店内は隅々まで綺麗にされ、マスターの好きな風景画が店内を彩っている。


 いつもの様にマスターは、喫茶店の下準備をしていると、カランと扉が開く。


「やあ、孝治君。おはよう。今日も慌ててきた様だねぇ」


「マスター!また頼みます!飯食わせて下さい」


 寝起きの頭のまま、急いで駆け込んできたこの青年。実はこの物語の主人公である椎野孝治しいのこうじ(21)だ。


「いつもので良いかい?」


「頼みます!いつものじゃなきゃ、俺仕事出来ないっすよ」


 孝治がカウンターに座って、マスターに願うのは普通のモーニングとは違う様だ。


 マスターは手慣れた様子で準備をしていくが、準備をしているのは、サンドイッチにコーヒーとサラダ。


「はい、お待たせ」


 コトンコトンと、目の前に置かれるのは一見普通のモーニングセット。すぐさま手を伸ばしサンドイッチを口いっぱいに頬張る孝治。その孝治の身体がほんのり光る。


 コーヒーを飲み、サラダをシャクシャク音を立てて食べている間も、ほんのり光続ける孝治の身体。最後の一口のサンドイッチを食べ終わってやっと孝治の身体の光が消える。


「っはあ!ご馳走様でした!やっぱりマスターの【補給】最高!」


 満足そうな孝治の表情に、口角を上げて洗い物をするマスター。キュッと蛇口を占めて手を拭くと、


「それはよかった。お代は今日も【癒し】で良いよ」


「了解!閉店後にいつも通りに【施術】させて貰います」


 にこやかにそう言って、孝治は喫茶店の横の部屋へと移動する。


 床まである暖簾をくぐると、六畳程の部屋がある。部屋の中は木の長椅子に、施術を行う細長い寝台があるだけの簡素な部屋。備え付けの壁棚にはタオルやシーツのリネン類やブランケット、孝治の好きなボトルシップや自作の油絵が飾られている。


 そう、この部屋は孝治の仕事部屋、治療院「ゆるり」。

 床まである暖簾には、この店のシンボルマーク丸の中にひらがなでゆるりと、目立つようにプリントされている。


 この店では孝治の独自異能の【癒し】を使って、日々人々を治療している。


 ここで異能について説明しておこう。

 現代日本では時折「異能」という能力が現れる人々がいる。

 現れる年齢はまちまちだ。


 だがこの「異能」不思議な事に、孝治の【癒し】、マスターの【補給】と言った様に、人々を支援する能力しか現れない。


 政府は、経済の基盤である人々の為に【異能】を提供することで、異能者を認定し、保護対象としている。


 孝治やマスターが、日常を送る事が出来ているのはこうした国の取り組みがあるからだ。


 さて、そんな一風変わった店に今日も、来客がきた様だ。


 カランカラン。


 入って来たのは不安そうな顔をした女性。入り口に立って「あ、あの」とマスターに声をかける。


「お客様、どうされましたか?」


「あ、あの。ここで治療院があるって聞いてきたのですが…… 」


 マスターはにっこり笑って、女性を手で招く。


「お寒いでしょう?まずは中に入って下さい。今日の天気は雪マークでしたからね」


 女性は入り口をずっと開けっ放しだった事に気付き、急いで扉を閉める。


「ようこそいらっしゃいました。治療院「ゆるり」はこちらでございます」


 マスターはカウンターから出て、暖簾のかかった部屋へと女性を案内する。


「孝治君、新規のお客様だよ」


「はーい!どうぞ〜」


 片方の暖簾くぐり、孝治に声をかけるマスター。そのまま中へ入る様に女性を促し、カウンターへと戻っていく。


「いらっしゃいませ。コート預かりますよ」


 女性はロングコートを脱ぎ、孝治に「お願いします」と言って渡す。孝治はコート掛けに女性のコートをかけながら、「こちらの長椅子に座って下さい」と女性に座る様にうながす。


 遠慮深げに女性が長椅子の座布団の上に腰掛けると、診療台の下から木製の丸椅子を出し、女性の近くに腰掛ける孝治。


「さて、どういった症状でお悩みですか?」


「あの、確認なんですが、ここは本当になんでも治療してくれるんですか?」


「はい、身体の不調で有れば何でも言って下さい。あ、流石に怪我や骨折などは治せませんよ。俺の出来る【癒し】は健康体にするだけですから」


 孝治が笑顔で説明すると、幾分か緊張が取れたのか女性も笑顔になる。


「あの、私は伊藤といいます。仕事がシステムエンジニアで、ずっとパソコンと向き合うものですから、頭痛に肩こりが酷くて…… 」


「あ〜、もしかして腰痛も抱えてませんか?」


「やっぱりわかりますか?長時間同じ姿勢で座っているので、職業柄どうしても…… 」


 孝治はうんうんと頷きながら女性の話を聞く。


「いやぁ、大変ですよねぇ。こうしている間も辛いでしょう。早速、診療台に仰向けになってもらっても良いですか?」


 伊藤は孝治に勧められて、診療台に腰掛け、ゆっくり仰向けになる。孝治は伊藤の足元にブランケットをかける。


「あの、何箇所も治療をすると、値段高くなりますよね?」


 伊藤は値段の事が気になる様だ。


「ああ、心配いりませんよ。表の看板に書いている様に、来店一回の施術が三千円ですから。何箇所やっても定額です」


「本当に?こう言ってはなんですけど、安すぎませんか?」


「俺【異能】者ですからね。店に国からの補助金も出てますから、安く出来るんですよ」


 ニコニコ準備をしながら説明する孝治に、少し安堵した伊藤。そんな伊藤に「目にタオルかけますよ」と言ってから、優しくハンドタオルをかける孝治。


 孝治の【異能 癒し】の独自の強みは、服や布の上からも【施術】が出来る事。おかげで若い女性も安心して通う事が出来る為、女性客も多い。


 孝治自身は糸目の穏やかな青年ではあるものの、女性客のなかに誰一人として恋愛感情を持つ者がいないのはここだけの話。


「では目を閉じて下さい。タオルの上から手を当てますよ」


 孝治に言われて、伊藤は目を閉じる。


 ズキズキする頭痛が両目がじんわりあったまる事により、何かに包まれている様に痛みが小さくなっていく。


 ホットアイマスクをやっているかのようだが、表面だけではなく目の深層まで温かなものが浸透していく。徐々に両目わきの痛みが引いていくのがわかる。


 あまりに気持ちが良くて、眠気が伊藤を包み込みそうになった時……


「はい、伊藤さん。タオル取りますよ」


 孝治の声で、目を覚ます。目の施術時間はおよそ3分。

 タオルを取って、目を開けても目は乾燥している事もなく、以前よりも潤っている気がした伊藤。


 驚いている伊藤の姿は、孝治にとってはもはや見慣れたもの。そのまま「はーい。今度はうつ伏せになって下さい」と伊藤に指示を出す。


 言われるがままにうつ伏せになった伊藤。腰に痛みを感じ、「ウウ…… 」と声を出してしまった。


「伊藤さん、腰からやりますね」


 孝治がそう言って腰にタオルをかける。うつ伏せも少し辛い伊藤は、ただ「はい」と弱々しくいうのがやっと。


 孝治はタオルの上から、両手で優しく力を加える。


 伊藤は腰痛に悶えながらも、温かなものが腰の筋肉にじんわり浸透していくのを感じた。


 温かな何かが腰回りを包み込み、やわやわと痛みを消していくのに驚きながらも、痛みに変わる様に現れる心地良さに身を委ねる。


 その間もやはり3分程。

 孝治は両手を離し、腰のタオルを持ち上げる。


 今度は肩に「はい、タオルかけますよ」と言いながらタオルをかける孝治。


「両手で少し押しますからね」


 孝治がそう言った後、伊藤の肩に少し力が加わったかと思うと、また温かなものが流れこむ。首の付け根、ガチガチに固まった両肩の筋肉が温かなものが浸透してくると、まるで筋肉が溶けていくかのように柔らかくなっていくのがわかる。


 温かな何かによって、首から両肩まで包み込まれてからは、あれだけ悩まされていた痛みが無くなっているのに気づく伊藤。


 溜め込んでいたイライラや、ストレスまでなくなったかのように感じた。


 伊藤が穏やかに温かな力を堪能していると、ゆっくりと身体から温かなものが抜けていった。


「はーい、伊藤さん。もう起きて大丈夫ですよ〜 」


 孝治のゆるい終了の声に、少し残念に思いながらも起きる伊藤。


 衣服を整え、立ち上がると……


 身体が軽い!


 ついさっきまでダルさや頭痛、身体が重かったのが嘘の様に感じる伊藤。


「うわぁ!凄い!」


 思わずその場で飛び跳ねてしまった伊藤を見て、笑顔で伊藤のコートを持ち暖簾をくぐる孝治。


「マスター!こっち終わったんで、そっち連れて行きますよ」


「いつでもどうぞ」


 マスターに声をかけてから、未だ喜んでいる伊藤に孝治は微笑みながら「さあ、伊藤さん。締めはこちらです」と伊藤を喫茶店側に促す。


 カウンターの真ん中に座った伊藤の隣に、伊藤の荷物を載せて壁にコートをかけると、孝治も席を一つ開けて座る。


「紅茶とコーヒーとお茶どれが良いですか?」


 笑顔のマスターの問いに、良いのかな?と思いながら「コーヒーで」と答える伊藤。


「かしこまりました」


 マスターは手際良くサイフォンでコーヒーを淹れ、上品なコーヒーカップに出来たてのコーヒーを注ぐ。


 コトリコトリと伊藤の前には、コーヒーとミルク、小さなお皿に乗ったクッキーが置かれる。


「砂糖は目の前にありますからね。ごゆっくりどうぞ」


 マスターが笑顔で伊藤に言った後、孝治の前にも同じものを置く。


「今日はお客が多そうだからね。もう一杯飲んで置いた方がいいよ」


「げ!マスターがそう言う時って…… 」


 そう話しているうちに、カランカランと音が鳴り扉が開く。


「う〜、さみい!マスター孝ちゃん空いてるかい?」


 慣れた様に入って来たのは、四十代の男。隣りで八百屋を営むトメだ。どうやら奥さんに店番を頼んできたらしい。


「留さん、また腰やったのか?」


「孝ちゃん、そう言うなよ。八百屋は結構体力勝負だぜ。しかも急激に寒くなってなぁ。腰も痛み出すってもんさ」


 伊藤は突然の展開について行けず、ただ二人の会話を唖然として聞いている。


 すると、カランカランと扉がまた客の訪れを告げる。


「何だい。今日は留に先を越されたのかい?」


「婆さんか」「お滝さんいらっしゃい」


 留と孝治が年配の女性を迎えると、


「お滝さん。留さん終わるまでお茶でもどうですか?」


 笑顔のマスターが、コトリと伊藤の隣にお茶を置く。


「ありがとうね、マスター。お呼ばれするよ」


 ゆっくり伊藤の隣に腰掛けるお滝。お滝は商店街で長年駄菓子屋を営んでいる女主人だ。どうやらこちらも、旦那に店番を頼んできたらしい。


「おや、新規さんかい?」


 湯呑みで手を温めながら、伊藤に声をかけるお滝。


「あ、はい。今日初めて此処にお世話になりました」


「そうかい、そうかい。なら、あったかいうちにそれ飲んでおきなさい」


「え?あ、はい」


 勧められて、ようやく口にコーヒーを含むと、ほんのりと伊藤の身体が光る。


「え?これって…… ?」


「マスターの【補給】は凄いさね。気力、体力、精神力がほぼ満たされる。あんたは若いから効果は一ヶ月ってとこだね」


 穏やかに語るお滝に、出番が取られたマスターは苦笑をする。


 孝治はといえば、留に急がされてコーヒーを飲み、隣りの部屋へ連れて行かれていた。


 孝治が奥につれて行かれて、焦る伊藤。


「ええと、治療のお代はどこで払えば良いですか?」


 カチャカチャと片付けていたマスターに代わり、お滝が答えてくれた。


「ああ、ここで支払うのさ。孝治はいつもあんな感じで誰かに捕まっているからねぇ。まずは飲み切っておしまい」


 成る程、と思いながらまたコーヒー口に運ぶ伊藤。

 飲むたびに、ほんのりじんわり満たされていくのがわかる。


 伊藤がじっくりと飲んでいる横では、お滝が片付けているマスター相手にゆったりと会話をし、マスターもそれに応えている。


 隣の会話を聞きながら、近年感じた事のない穏やかさが伊藤を包んでいた。


 そしてまたカランカランと扉が客の訪れを知らせる。


「マスター!孝治はって…… なんだ婆さんも来てたか。って事は今【施術】中かぁ」


 勝手に一人で納得するこの男は、斜め向かいに精肉店を営む洋二(52)。肉を袋に詰め込んだものを手にしながら、暖簾を見つめている。


「何だい洋二。その肉は」


「おお、そうだ!マスターに世話なってるからなぁ。肉のお裾分けだ」


 そう言ってカウンター越しにマスターに肉を差し出す。


「何だかんだで、貰ってばかりいる様な気がしますけどね」


 いつもの事なのか、マスターもすんなりと受け取る。ニッと笑って渡した後、何か思い出した様にお滝に話しかける洋二。


「そうだ。どうだい、婆さん!今年の商店街の大売り出しの時に、商店街の有志で豚汁振る舞うってのは!」


「いきなり何だい。この男は。…… でも寒い時期の集客にいいかもねぇ。マスターもどうだい?」


「良いですね。家事に仕事に忙しくなる時期です。大判振る舞いしますか?」


「馬鹿だねぇ。マスターには商店街の会合からしっかりお金を出すつもりさ。そうだね、洋二」


「当然さ!異能者をタダ働きなんかさせられねえさ。あんたもそう思うだろ?」


 静かに見守っていた伊藤にも声がかかる。

 そして、伊藤がいつのまにか輪の中に入っているのに気がつくのは、もう少し後。


 治療喫茶「ゆるり」は、今日も地域と商店街の為に営業中。

 是非疲れた身体を癒しにお越しください。

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