第31話 限界

 夏凛は額から垂れ落ちる汗を袖で拭いながら、鯨波げいはの如く迫る《アウルム》の構成員たちを迎え撃つ。


 クスリをキメていない、言ってしまえば雑兵に対しては急所に鉄扇の一撃を叩き込むことで手早く撃退し、クスリをキメている構成員に対しては、後で意識を取り戻しても戦線に復帰できないよう、前蹴りで相手の軸足を潰した上で手加減抜きの一撃でこめかみを殴打し、撃退する。


 いつもの夏凛ならば、そのまま敵の群れに突っ込んでいくところだが、体感にして一時間近くずっと戦いケンカしっぱなしのため相応に消耗しており、最早大立ち回りを繰り広げるほどの余力は残っていなかった。

 余力が少ないのは史季と斑鳩も同じで、今は三人で背中に合わせになって互いにフォローし合うことで、なんとか数の暴力に抗していた。

 それこそ、ゴチャマンのレッスンで「友達ダチに背中を預ける」と史季に教えたとおりに。


 ゆえに、《アウルム》側は倒された味方がどうしても邪魔になり、それを除去する間は束の間、敵の攻勢が緩くなる。

 その間に少しでも体を休める――などとは微塵も考えず、史季に仕掛けようとしていた構成員をハイキックで沈めた。


 史季は眼前の相手を前蹴りで蹴り飛ばし、荒くなった呼吸をどうにか整えながら夏凛に言う。


「はぁ……はぁ……夏凛……僕は大丈夫だから……無理は……しないで……!」

「無理なんてしてねーよ……余裕ができたから、ちょっと脚の体操しただけだっつーの」


 余裕のある言葉とは裏腹に、夏凛は夏凛で大概に息が弾んでいた。

 一方斑鳩は、


「おらどうしたッ! もっとかかってこいよッ!」


 大声を上げて敵を挑発し、まんまとそれに乗った輩を喜々として殴り倒していた。

 とはいえ、キックを繰り出す頻度が露骨に少なくなっている上に、肩で息をしているところを見るに、口ほど余力が残っていないのは明白だった。


(けど、余裕がなくなってきてんのは向こうも同じだ)


 夏凛は、襲い来る構成員たちを返り討ちにしながら周囲に視線を巡らせる。

 広場の内周を埋め尽くすようにして〝陣〟を形成し、さらにはこちらの退路をもつほどに潤沢だった敵の数も、今や半分以下にまで減っている。


 それに伴って、夏凛たちを包囲していた〝陣〟は、退路に配置した構成員を組み込んでなおせばまっており、厚みもまばらになっている。

 余力を振り絞り、〝陣〟の薄いところを狙って強行突破すれば、ヤードから撤退することも不可能ではない。


(けどそいつは、余力が残ってたらの話だ。……クソっ、千秋からのはまだかよ……!)


 まさしくのタイミングだった。

 制服のポケットに入れていたスマホが、振動したのは。

 五回のコール――それは事前に取り決めていた、拉致られた不良たちの救出に成功したことを報せる合図。


 待ちに待った瞬間が訪れるや否や、夏凛は一も二もなく背中を預けている二人に向かって叫ぶ。


「史季! センパイ! からついて来てくれ!」



 ◇ ◇ ◇



 思った以上に粘りやがる――そのことに感心と苛立ちを覚えながらも、入山は奮戦する〝女帝〟たちを遠目から睨みつける。


 大多数をクスリをキメさせた者たちで構成した第三陣でも、奴らを仕留めきることはできず、とうとう第四陣まで投入するハメになってしまった。

 さすがにもう奴らも限界が近いようだが、七〇人超の陣を四つも投入してなお一人の脱落者も出していないのは、最早異常どころの騒ぎではない。

 それをたったの三人で為しているものだから、なおさらに。


(しかし、一〇分は持たせてくれとは言ったが、まさか一時間も粘りやがるとはなぁ。オンラインサロンで流す際は、当初の予定どおり編集が必――んん?)


〝女帝〟が何事か叫んでから駆け出し、その動きに呼応する形で史季と斑鳩も彼女の後を追って駆け出すのを見て、入山は眉をひそめる。


 三人が向かっている方角は、微妙にズレてはいるものの、ヤードの入口側。

 奴らにとっては退路と呼べる方角だ。


(今さら逃げる? このタイミングで?)


 まさかと思った入山は、拉致した不良どもの警護を任せている幹部――上原のスマホに電話をかける。が、いつまで経っても繋がらず、それだけで事態を察して忌々しげに舌打ちする。


(これが終わったら、上原の奴ぁ降格だな)


 勿論、制裁付きでなぁ――と、心の中で付け加えてからスマホを懐に仕舞おうとするも、


「あぁ?」


 スマホが突然振動し始め、上原からの電話だと思った入山は不機嫌な声を上げながら画面を確認し……眉をひそめる。

 画面に映っていたのは上原の名前ではなく、〝女帝〟たちがヤードにやってきた際に連絡してきた見張りの名前だった。

 ひどく嫌な予感を覚えながらも電話に出る。


 そして――


 見張りからの報告を受けた入山の口から「……は?」と、間の抜けた吐息が漏れた。



 ◇ ◇ ◇



 前を行く夏凛の背中を追いながら、史季は表情を悲痛に歪める。


 今の夏凛は、史季の目から見ても明らかに無理をしすぎている。

 この戦いケンカが始まる前に言っていた、「あたしが五体満足で済むようにしてやるから」という言葉を遵守するように、夏凛は誰よりも多くの敵を倒し、自分に注意を引きつけるためか、誰よりも派手に大立ち回りを繰り広げた。


 そのことには斑鳩も気づいているようで、負けじと大勢の敵を倒したり、派手に立ち回ったり、挙句の果てには先程のように敵を挑発したりもしていたが、当の夏凛がそれ以上に無理している以上、減らせた負担は微々たるものだった。


(せめて僕も、斑鳩先輩くらいに動けたらよかったんだけど……!)


 体力が限界に近いせいもあるが、最早自分の身を守るだけでいっぱいいっぱいになっていることに歯噛みする。

 ……いや、先程夏凛が手助けしてきたことを考えると、今や自分の身すら満足に守れているかも怪しい。


 いずれにせよ、これ以上夏凛に無茶をさせないためにも、ちゃんと彼女について行かないと――そう思うも、いまだ体力は夏凛にも斑鳩にも及んでおらず、引き離されないようにするだけで精一杯だった。


 ほどなくして、敵の包囲網――その中でも比較的薄い部分目がけて、夏凛が突っ込んでいく。

 勢いをそのままに、立ちはだかろうとしていた構成員の鼻っ柱を鉄扇の先端で痛打。

 その一撃で意識を失った構成員を前蹴りで蹴り飛ばし、背後にいた者たちがそれを受け止めている隙に、次々と鉄扇で構成員たちの急所を突き、打ち据え、力尽くで道を空けていく。


「折節! オマエはそのまま小日向ちゃんの後に続け!」


 横合いから聞こえてきた斑鳩の声。

 その言葉の意味を訊こうとした史季だったが、彼が向かった先にクスリをキメた構成員が密集していることに気づき、開きかけた口を閉じて言われたとおりに夏凛の後を追う。


 夏凛が次々と構成員を倒して道を空けてくれているといっても、その道が獣道よりも険しいのはげんに及ばず、道を塞がんばかりに襲い来る構成員たちを、史季はローキックを主体にした立ち回りで返り討ちにしていく。


 その間にも、夏凛は構成員を蹴散らしながら突き進み――あともう少しで包囲網を脱出できるというところで〝それ〟は起きた。


「!?」


 史季の前方で快進撃を続けていた夏凛が、突然転んだのだ。

 構成員の誰かに足を取られたわけでも、ましてや引っかけられたわけでもない。

 


〝それ〟が意味するところはただ一つ。

 誰よりも無理をして戦っケンカしていた夏凛の余力が、いよいよ尽きようとしているのだ。


 夏凛はすぐさま立ち上がろうとするも、その動きは今までよりも明らかににぶく、


「っらぁッ!」


 その隙を当然のように狙ってきた構成員のキックを、夏凛はなんとか両腕で防御する。が、結果的に立ち上がることを妨害されてしまい、その間にも集まってきた構成員たちが一斉に夏凛を踏みつけようとする。


「おおぉおぉおおぉおぉぉぉおおぉッ!!」


 史季はなけなしの余力を振り絞って突撃し、構成員たちを押しのけ、自分が斑鳩にされたように夏凛の上に覆い被さる。

 押しのけたといっても、その数は一部でしかなく、残った構成員たちが容赦なく史季の背中を足蹴あしげにする。


「史季っ!! ばかっ!! どけっ!!」


 悲鳴じみた声で叫ぶ夏凛に構わず、彼女の盾となって構成員たちに足蹴にされる。

 史季たちの窮地には斑鳩も気づいてるが、


「ちぃ……! 邪魔だオマエらッ!!」


 声の聞こえ方からして思った以上に距離が離れているらしく、すぐにはこちらに来られない様子だった。

 その間にも、構成員たちは史季の背中を容赦なく足蹴にしていく。


「ばかっ!! やめろ……やめろぉっ!!」


 夏凛の声に、涙が混じり始める。


 大丈夫。僕が守るから――そう言って安心させてあげたいところだけど。

 こんなザマでは、かえって夏凛を不安にさせるだけ。

 そもそも、今の僕にはこの窮地を脱する力も算段もない。


 確かに、僕は強くなった。


 けれどそれは、というだけの話で。


〝強い〟人間になったというわけではない。


 だから、大切な女性ひとに無理をさせてしまって、窮地に追い込まれて……。


(せめて……せめて、夏凛の体力が回復する時間を稼ぐくらいは……!)


 そんな悲壮じみた決意を胸に刻――



「クソが……!」



 この場にいるはずのない、史季にとっては忘れようもない男の声が耳朶じだに触れ、思わず目を見開く。

 次の瞬間、絶え間なく背中を襲っていた足蹴の痛みが、忽然と消え失せる。

 声の主が、そのラリアットで、史季を足蹴にしていた構成員たちをまとめて吹き飛ばしたのだ。


「まさかこの俺が、貴様らを助けることになるとはな……!」


 こちらの方こそまさかと思いながら、恐る恐る顔を上げる。

 そうして視界に映ったのは、予想どおりであり、予想外でもある巨漢――荒井あらい亮吾りょうごだった。

 史季はおろか、夏凛ですらも目を見開いて驚きを露わにする中、荒井は心底不快げに言葉をつぐ。


「だが、こんな雑魚どもに貴様らをとられるよりはマシだ。精々、俺の寛大さに感謝することだな」



「これはまた、どこかで聞いたような台詞だね」



 場違いなまでに穏やかな声音が聞こえたのも束の間、颯爽と現れたマッシュヘアの男子がその手に持った木刀を閃かせ、史季たちに襲いかかろうとしていた構成員たちを瞬く間に返り討ちにする。

 文字どおりの意味で身をもって味わった剣閃を前に、史季は驚きと喜びがぜになった声音で、男子の名前を呼んだ。


鬼頭きとうくん!」

「やあ、折節クン。助けに来たよ」


 声音に負けず劣らず穏やかな笑みを浮かべながら、鬼頭蒼絃あおいは言葉をつぐ。



 そう言って、蒼絃が視線を向けた先にいたのは、


「やれやれ、二人して飛び出して……結局アタシが音頭を取る流れになっちまったじゃないかい」


 蒼絃の姉にして、四大派閥の一角――鬼頭派の頭を務める鬼頭朱久里あぐり



 そして――



 荒井派、鬼頭派、斑鳩派の不良のみならず、四大派閥以外の派閥の不良や、派閥に属していない不良を含めた、総勢一〇〇名を超える聖ルキマンツ学園の不良たちが勢揃いしていた。

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