第19話 四大

 聖ルキマンツ学園では月に一度、土曜日授業が行われる。

 創立記念日がある週に土曜日授業を行うことには、生徒からしたらどこか釈然としないものを覚えることはさておき。

 は、あるいは、月に一度の土曜日授業が引き起こしたとも言える珍事だった。


「うっわ……」

「ふん……」

「こりゃまた……」

「よお。奇遇だなオマエら」


 偶然、下足場で出会った夏凛と荒井が露骨に不快な顔をし、たまたまその場に居合わせた朱久里が面倒くさそうな顔をし、そんな三人を見つけた斑鳩が楽しげな顔をしながら声をかけてきたのだ。


 突発的に四大派閥のトップが揃い踏みになったことで、下足場にいた何人かの不良が逃げるように校舎の外に、あるいは中に引き返していく。


「よー、荒井。史季にやられた首の調子はどうよ?」


 先の抗争で色々と汚い真似をされたせいもあって、敵意を隠そうともしない夏凛に対し、荒井もまた敵意剥き出しで応じた。


「そんなもの、とっくの昔に治っているに決まっているだろうが」


 言いながら、頚椎固定用シーネがとれた首をペチンと叩く。

 バチバチに睨み合う二人に、朱久里が面倒くさそうにため息をつく中、空気を無視した斑鳩が、敵意がないどころか一〇年来の親友に接するような馴れ馴れしさで剣呑な会話に混じってくる。


「なんってるけどオマエ、首に巻いてたヤツがとれたってだけで、まだ本調子じゃねえだろ?」


 図星だったのか、荒井は眉根を寄せながらも口ごもる。


「てか、小日向ちゃん。今日は折節の奴どこ行ったか知らね?」


 あまりにもマイペースすぎる斑鳩に、すっかり毒気を抜かれた夏凛は一つ息をつき、片眉を上げてから答えた。


「シャーペンの芯が切れたから、文房具屋寄るとかなんとか言ってたけど、どこに行ったかまでは知らねー」

「文房具屋だと!? 真面目か!?」


 ツッコみどころ満載なツッコみを入れる斑鳩に、朱久里が呆れ混じりに口を挟む。


「そんなことすら真面目に思えるアンタは、もう少し真面目に学校に来た方がいいと思うけどねぇ」

「女の尻ばかり追いかけてるせいで、毎年出席日数がギリギリだからな。今年こそは留年もあり得るかもしれん」

「いやいや、学校ガッコをよくサボってんのは認めっけど、さすがにオレも四年もガッコ通う気はねえぞ?」

留年ダブった斑鳩センパイとおなクラになるとか、想像したくもねーしな」

「お? 小日向ちゃんや折節と同クラになるってのは、ちょっと面白そうだな」

「……アンタ、マジでダブる気じゃないだろうね?」


 朱久里と同じことを思ったのか、荒井は「やれやれ」と言わんばかりに首を左右に振る。


 斑鳩の〝おかげ〟と言うべきか、〝せい〟と言うべきか。

 一触即発だった空気が、もう見事なまでに霧散していた。


「ま、斑鳩がダブるダブらないはどうでもいいとして」

「どうでもいいはひどくね?」


 という斑鳩を無視して、朱久里は言葉をつぐ。


「こうして、四人揃って顔を突き合わせたついでだ。アンタたちにちょっと聞きたいことがある」

「聞きたいことがあるだと?」


 興味半分めんどくささ半分といった声音で訊ねてくる荒井に、朱久里は首肯を返す。


「最近どうにも、この学園について嗅ぎ回っている連中がいるっていう情報はなしを、ちょいちょい耳にするようになってねぇ。よその学校ガッコからケンカを売られるくらいなら珍しくもなんともないけど、この件に関しちゃ何かもっときな臭いものを感じる。アンタたち、何か心当たりはないかい?」

「ふん。まるで俺たちが、何かやらかしたような言い草だな」


 不快げに吐き捨てていた荒井だったが、夏凛がなぜか斑鳩をガン見し、斑鳩が露骨に夏凛から顔を逸らしているのを見て、眉根を寄せる。


「……貴様ら、説明しろ」


 そうして、夏凛と斑鳩は説明した。

 斑鳩の妹分であるアリスに連れられて、かつて斑鳩が出禁になった地下格闘技場の試合で、史季が大暴れしたことを。

 その結果、運営が暴動を起こしてまで賭けをなかったことにしたことを。


 話を聞き終えた後、朱久里は二度目のため息をついてから所感を述べる。


「つまりは、地下格闘技場の運営に目をつけられたかもしれないってわけかい。となると、学園を嗅ぎ回っている連中は、暴力団か半グレあたりになるけど……やり口が妙に回りくどいのが気になるね」

「どうせ、この斑鳩バカと折節を捜しているだけだろう」

「誰かがバカだ誰が」


 と、荒井に文句を言う斑鳩を無視して、夏凛は朱久里に訊ねる。


一般生徒パンピー狙いって線は?」

「ないとは言い切れないけど、しっくりこないっていうのが正直なところだねぇ」

「まあ、一般生徒パンピーに関しちゃ斑鳩派オレらの方でも気ぃ配っとくわ。荒井コイツみてえな不良アホはともかく、オレのやらかしで一般生徒パンピーを巻き込むってのはよろしくねえからな」

「貴様にだけはアホ扱いされたくはないな……!」


 などと斑鳩と荒井が火花を散らすのをよそに、朱久里は話を締めくくる。


「とにかく、アンタたちはアンタたちで気をつけといておくれよ。暴力団だろうが半グレだろうが、やつを見過ごすわけにはいかないからねぇ」


 最後の言葉は、一般生徒パンピーがどうなろうが知ったことではないと顔に書いてあった、荒井に向かって言った言葉だった。

 矜持プライドつつかれ、知ったことではないでは済まされなくなった荒井の口から舌打ちが漏れる。


「相変わらず、食えん女だな」

「それがアタシのチャームポイントだからねぇ」

「いや、小日向ちゃんならともかく、オマエがチャームポイントとか言うのはちょっと痛くねえか?」

「はっ倒すよ、斑鳩」


 相手が女性だからか、斑鳩は慌てて手を上げて降参の意を示す。

 そんな斑鳩を相手に本気マジになる気など最初からなかったのか、朱久里は三度目のため息をつきながらも引き下がった。


「やはりアホだな」


 荒井は呆れたように独りごちると、これ以上貴様らとじゃれ合う気はないと言わんばかりに下足場から立ち去っていく。


「アタシが言うまでもなくその気だろうけど、小日向ちゃんのお嬢ちゃんも気をつけといておくれよ」

「ああ。史季にも関わることだしな」


 という夏凛の言葉の何が引っかかったのか、朱久里は少しだけ片眉を上げてから下足場から立ち去っていき、


「んじゃ、オレも折節捜さなきゃいけねえからもう行くわ」


 最後に、斑鳩がヒラヒラと手を振りながら立ち去っていった。


 そんな斑鳩に苦笑しながらも、夏凛は玄関側に背を向け、校舎側――下足場と繋がっている廊下に向かって話しかける。


「史季。もう出てきていいぞ」


 言われて廊下の陰から、弱ったような笑みを浮かべる史季が姿を現した。


「やっぱり、気づいてたんだ」

「まーな。ちょうど斑鳩センパイに、史季がどこ行ったか知らねえかって聞かれたタイミングで史季が下足場ここに来て、慌てて隠れたのは見えてたからな」


 然う。

 夏凛が斑鳩に史季の動向を訊ねられた際、「文房具屋寄るとかなんとか言ってた」とは答えたが、いつ、どのタイミングで文房具屋に向かったかは一言も言っていなかった。


 だからここに史季がいるのも、彼がまだ文房具屋に向かう前だったからであり、まさしく今から向かおうとして下足場を訪れたら四大派閥の頭が揃い踏んでいたものだから、慌てて廊下の陰に身を隠した次第だった。

 斑鳩や荒井に狙われた時は、いつでも逃げられるように。

 夏凛に何かあった時は、いつでも助けに入られるように。


「それにしても、鬼頭先輩はともかく、荒井先輩がああも普通に誰かと話しているのが、ちょっと意外というか……」

「斑鳩センパイがいたからな。荒井の野郎、どういうわけか斑鳩センパイに対しては、首を狙ってるっつーよりもケンカ友達ってノリみてーだし」

「そうなんだ……」

「あとは、まー、鬼頭センパイも含めて同じ三年だからってのもあるんじゃねーの? 実際あたしも、あの三人の会話には妙に混ざりづらかったし」


 と、話していた最中さなかに、夏凛は気づく。


(つーか史季の奴、こないだの地下格闘技場の一件以降、斑鳩センパイのことをちょっとずつ気になり始めてるような……?)


 まさか、斑鳩センパイのケンカを買う気でいるんじゃ?――そんな考えが、鎌首をもたげる。

 でも、もし、万が一、史季が自らの意思で斑鳩のケンカを買うと言った場合、夏凛はそれを止める気はサラサラなかった。


 嫌々ならばともかく、男が自分で決めてケンカを買ったというのに、そのことにとやかく言うのは野暮の極みというもの。

 それくらいは、女である自分でも理解できる。


 だけど、


(いやいや、さすがにねーよ。だって史季だぞ? 買わずに済むケンカなんて買うわけねーよ……)


 そう自分に言い聞かせるも、一抹の不安を拭い去ることができない。

 そのせいか、気がつけばこんな言葉を史季に投げかけていた。


「何度も言ってっけど、斑鳩センパイは断りさえすれば、ぜってーケンカなんてしねーからな。間違っても、ケンカ買ったりなんかすんじゃねーぞ」

「いやいやいや! 買わないよ絶対に! そ、それより、さっき鬼頭先輩が言ってたことなんだけど……」


 口に出すのも憚れるくらいに、暴力団、半グレの二語にビビっているのか、史季が言外に「この学園が暴力団と半グレに狙われているって話は本当なの?」と訊ねてくる。


 頭の良い史季なら、地下格闘技場の運営がそういった団体であることには気づいていただろうが、どうやら狙われる可能性については極力考えないようにしていたらしく、彼の顔は少しだけ青ざめていた。


(……やっぱ、史季が買わずに済むケンカなんて買うわけねーよな)


 強くなってもそういうところは相変わらずな史季に苦笑しながらも、夏凛は言外の問いには答えず、彼に提案する。


「文房具屋に行くの、あたしもついて行こっか?」


 こちらもまた、言外に「あたしが守ってやろうか?」と言ってみる。

 その内容を余すことなく理解してくれた史季は、またしても「いやいやいや!」と言ってから頼もしい言葉を返した。


「だ、大丈夫! 自分の身くらいは自分で守れるから!」


 そんな史季の成長に嬉しさと、何とも言えない寂しさを覚えながらも、夏凛は短く「そっか」と応えた。


 それから文房具屋へ向かう史季と別れた後、校舎を出た夏凛は、繁華街を目指して一人町を歩いて行く。


(にしても……あーもう、何なんだよこれ……)


 史季と二人でショッピングに行って以降、以前にも増して史季のことが気になるようになった。

 そのせいで、こないだのゴチャマンのレッスンの後は、史季の前で服を脱ぐなんてわけのわからない行動に走ってしまった――ことを思い出して赤面してしまい、頬の熱を振り払うように何度もかぶりを振る。


 大丈夫だ。

 あたしがおかしくなったのは、少なくとも今のところあの時だけだ。

 現にさっきは普通に史季と接することができた。

 ただちょ~っとだけ心配しすぎたり、寂しさみたいなものを感じただけで、それ以外は普段どおりのいつもどおりの通常運行だ。


(だから、うん大丈夫)


 と、自分に言い聞かせてはいるけれど。

 その時点でもう、大丈夫でもなければ、普段どおりでもいつもどおりでも通常運行でもないことに気づいていない夏凛だった。

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