第12話 気になって気になって仕方ない

(んだよ、これ……)


 夏凛は無意識の内に、かつてカラオケルームで史季と二人きりになった時と同じ独白を心の中で呟く。


 確かに自分は「史季と二人でショッピングなんて行ったことないんですけどー」とは言った。

 けれどそれは、明らかに小日向派こちらよりも付き合いの短いアリスと行くなんて水臭いんじゃねーかという意味であって、本当に史季と二人きりでショッピングに行きたいという意味では断じてなかった。


(……いや、断じては言いすぎだよな。どっちかっつーと、あんまりっつーか、ちょっとだけっつーか…………いや別に史季とショッピングに行きたくねーって意味じゃねーんだけど……)


 などと心の中でグルグルと言い訳していると、史季が今着ている自分のジャージを指差しながら、申し訳なさそうに言ってくる。


「あの、小日向さん……ちょっと言いにくいんだけど、このジャージを買ったことで財布の中身がだいぶピンチだから、小日向さんにジャージを選んでもらっても……その……」

「要するに、買う金がねーってことかよ」


 ホッとしたように、あるいは残念がるようにため息をつくも、時間差で史季のに気づき、即座に抗議する。


「って、また『小日向さん』に戻ってんじゃねーか!」

「あっ! ごごごごめん小日向こひな――じゃなくて、か、か、夏凛ッ!」


 思わず、頬が緩みそうになる。

 史季に下の名前で呼ばれると、なぜか頬に力が入らなくなることには、さすがに夏凛も気づいていた。

 けれど、その理由については全く気づいていないので、内心困惑しきりだった。


 兎にも角にも、だらしなく緩んだ頬を史季には見られたくなかったので、夏凛はパインシガレットを一本咥えることで、どうにかこうにか表情筋を引き締めた。


「にしても、金がねーんだったら、ジャージを見に行ったってしょうがねーけど……」


 だからといって、このままお開きにしようという気にはなれなかった。


 別れてすぐにお開きにしたことが千秋たちにバレてしまったら、後々何を言われるかわかったものじゃないという理由もある。

 だがそれ以上に、折角の機会だからこのまま史季とショッピングにしゃれ込むのも悪くねーかなと思っている自分がいることを、夏凛は否定することができなかった。


(ま、まー……友達ダチだからな。二人きりでショッピングっつーか、買い物に行くことなんて普通だし、珍しくも何ともねーし)


 自分で自分に言い訳を言い聞かせたところで、史季に提案する。


「どうせだからさ、近くのショッピングモールでも覗いてみねーか? 買う買わないは別にしてさ」

「う、うん。小日こひ――か、夏凛さえ良ければ」


 またしても「小日向さん」と言いそうになる、史季。

 これには夏凛も、ちょっとだけムッとしてしまう。


「……史季」


 史季自身、ついつい「小日向さん」と言ってしまいそうになることを悪く思っているのか、「は、はいッ」と答えた彼の声は微妙に上擦っていた。


「モールに行く前に、ちゃんとあたしのこと『夏凛』って呼べるよう練習すっぞ」

「…………はい?」


 言っている言葉の意味が理解できなかったのか、史季は間の抜けた返事をかえす。

 そんな反応を半ば予想していた夏凛は、「かかってこいよ」と言わんばかりに、両手を上向きにして手招きしながら彼に言った。


「つーわけだから、ほら」


 ほら――が、名前を呼ぶ合図だと理解するのに時間がかかったのか、数秒ほど遅れてから史季は名前を呼ぶ。


「か、夏凛……」


 途端、頬が緩みそうになるも、すっかり小さくなっていたパインシガレットをバリボリバリボリと噛み砕くことで、どうにかこうにかこらえきる。


「声が小せーぞ。ほら」

「か、夏凛……ッ」


 やはり緩みそうになった頬を、懐から取り出した鉄扇でさりげなく隠しながらも、夏凛は続ける。


「『小日向さん』って呼ぶ時に比べたら、メッチャぎこちねーぞ。ほら」

「夏凛……ッ」

「お? 今のはちょっとよかったぞ。ほら」

「夏凛……!」



 ◇ ◇ ◇



 


「ウチらは、いったい何を聞かされてんだろな……」


 片手の平で顔を覆いながら、千秋は項垂れる。 

 彼女の左隣に座っている冬華は、笑いすぎて引きつったお腹を押さえながら、テーブルに突っ伏した状態でプルプルと震えていた。


「で、でも、本当に良いんですか? その……なんて……」


 千秋の右隣に座っている春乃が、を見つめながら遠慮がちに言う。


 然う。

 千秋たちは、二人きりになった史季と夏凛の会話を盗み聞きしているのだ。

 千秋が史季のクソダサジャージの上着を紙袋に戻した際に、常用のスマホと通話状態にした予備のスマホを一緒に忍ばせるという手法で。


「いや、ウチらも褒められたやり方じゃねぇってことはわかってんよ? けど、まぁ……なんつうか……」


 千秋にしては珍しくも、口元をモニョモニョさせながら言葉を濁す。

 頬には、微妙に朱が差し込んでいた。


 なんともらしくない千秋の反応を見て、得心した春乃がポンと手を打ち鳴らす。


「要するに、夏凛先輩と史季先輩が大人の階段を昇るのかどうかが気になって気になってしょうがないということですね!」

「そこまでは気になってねぇっ! つうか、アイツらの場合それ以前の問題だからな!?」

「大丈夫です! 盗聴はイケないことですけど、それはそれとしてわたしもそこは気になってましたから!」

「いやだからウチが気になってんのはそういうとこじゃねぇっってんだろ! つうか、一体全体今の話の何が大丈夫なんだよ!?」


 ボケ倒す春乃に散々ツッコんだ後、千秋は疲れたようにため息をつく。

 ちなみに、今テーブルの上に置かれている常用のスマホは抜かりなく無音ミュートに設定しているため、こちらの声が向こうに届くことはない。

 逆に向こうからの音声は、スピーカーモードで出力するように設定しているため、


『夏凛!』


『よし、その調子だ。ほら』


『夏凛!』


 という、いまだ続いている小っ恥ずかしいやり取りがバッチリと聞こえていた。


「とにかく、お友達の恋愛に興味津々なちーちゃんに免じて、盗聴については目を瞑ってもらえると助かるわ~」


 いつの間にやら復活した冬華が、千秋の頭に手を置きながら春乃に言う。


「だから、そんなんじゃねえっってんだろ」


 抗議する千秋の声音は常ほどの覇気はなく、頭に乗せられた手も振り払おうとはしなかった。


「それにね、はるのん。盗聴って、はるのんが思ってるほど悪いことじゃないのよ? たとえばの話になるけど、女湯と男湯を衝立ついたて一枚で仕切ってる露天風呂があるとするじゃない。その状況で男湯を覗き見に行くこと、はるのんは悪いことだと思う?」

「テメェは何言ってんだ?」

「思いません!」

「テメェも何言ってんだ!?」


 普段ツッコみ役を担っている夏凛と史季の存在の有り難さを実感しながらも、千秋は「ぜぇはぁぜぇはぁ」と疲れ切った息を吐く。

 カラカラになった喉を、ドリンクバーで調達した緑茶で潤した後、ツッコみ忘れたことを独りごちるようにして吐き出した。


「そもそも、なんで盗聴の話から覗きの話になってんだよ……っ」

「そもそもといえば、夏凛先輩と史季先輩が両片思いかもしれないって話は、本当なんですか!?」


 その話を冬華に耳打ちされたからこそ、夏凛たちとまだ遊びたかった春乃が、目をキラキラさせながら二人に応援エールを送り、こちらについて来てくれたことはさておき。

 ツッコみを無視スルーされた上に、ド直球に春乃がぶっ込んできたことに、千秋は思わず咽せそうになりながらも答えた。


「あ、あくまでも、冬華の見立てではだけどな。っても、さっきの夏凛と折節の様子を見た限りじゃ、限りなくクロだとウチも思ってるけど」

「りんりんもしーくんも、ワタシとちーちゃんが露骨に煽っていることに気づきもしなかったものね~」

「折節はともかく、夏凛の奴は普段は動物並みに勘が鋭いってのに、さっきはにぶいを通り越してポンコツになってやがったからな。史季の紙袋に仕掛けたスマホにしても、普段の夏凛アイツならぜってぇ勘づいてただろうし」

「なるほど……」


 春乃が顎に手を当てて納得している――本当に納得できているかどうかはともかく――と、スマホの向こう側にいる夏凛と史季に動きがあったので、三人は揃って耳を澄ませる。


『まー、こんなもんでいいだろ。あんまりこだわりすぎると、マジでこれだけで日が暮れそうだしな』


『そ、そうだね……か、夏凛』


『……おう』


 と、ぶっきらぼうに返しているように聞こえる夏凛の言葉だったが、その実、微妙に声音が弾んでいることに気づいた三人は、顔を見合わせて微笑んだ。


「さすがにありえねぇとは思うけど、告白とかそんな感じの雰囲気になったら、通話は切るからな」

「それはもちろん。二人だけの愛の言葉まで盗聴するのは、野暮なんてものじゃないしね~」

「千秋先輩! 冬華先輩! 盗聴している時点でもう〝やぼ〟なんて騒ぎじゃないと思います!」

「確かにそのとおりだけど、オマエ野暮の意味わかってねぇくせに言ってるだろ!?」

「ちーちゃ~ん、はるの~ん、りんりんとしーくんが喋ってるから、ちょ~っと静かにしましょうね~」


 冬華に注意された千秋と春乃は、すぐさま黙ってスマホに耳を傾ける。

 盗聴されているなど露ほども知らない夏凛の声が、歌の一曲も流れていないカラオケルームに響き渡る。


『そんじゃ、そろそろ行くとするか』

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