エピローグ
史季が、蒼絃と小林とともに本棟一階のロビーに辿り着いたその時だった。
朱久里とともにやってきた夏凛と、ばったり出くわしたのは。
「史季!」
名前を呼びながら、夏凛が駆け寄ってくる。
一目見ただけで、こちらのことを心配しているのがわかる表情をしながら。
結局夏凛にそんな顔をさせてしまったこと、余計な負担と迷惑をかけてしまったことを謝りたくて仕方なかったけど、それ以上に鬼頭派と大ゲンカをした夏凛たちのことが心配で心配で
「小日向さん、怪我はない? 月池さんや氷山さんも無事なの?」
「あたしらに怪我なんてねーよ。つーか、おまえの言う台詞かよ」
夏凛は苦笑しながらも手を伸ばし、ガラス細工を扱うような繊細な手つきで、血に塗れた史季の頭を優しく撫でる。
その撫で方が絶妙だったおかげもあって痛みはないが、蒼絃や朱久里や小林が見ている手前、ちょっと気恥ずかしかった。
そうこうしている内に、夏凛は史季の頭から手を離す。
まだ生乾きだったせいか、彼女の指先にはわずかながらも血が付着していた。
自然、夏凛の表情が悲痛に歪む。
「それ、ボクがやったって言ったらどうする? 小日向サン」
挑発するように言う蒼絃に、史季は思わず「鬼頭くん……!」と名前を呼んで窘めるも、「折角の機会だ」と言いたげな表情からして彼に退くがないのは明白だった。
瞬く間に一触即発の空気が出来上がり、内心ハラハラするも、
「どうもしねーよ。
底意地の悪い笑みを浮かべる夏凛に、蒼絃は口ごもる。
自分の方が蒼絃よりも余程ボロボロだという自覚があった史季は、どうして夏凛がケンカの勝敗を言い当てられたのか気になり、率直に訊ねる。
「どうして、僕が勝ったってわかったの?」
「んなもん、おまえらの顔見りゃ一発でわかる。だろ?」
最後の問いは、朱久里に向けて言ったものだった。
「……残念ながらね」
口惜しげに、朱久里。
弟と〝女帝〟が一触即発になったにもかかわらず口を挟んでこなかったのは、あるいは弟の敗北を受け入れきれなかったせいかもしれないと、史季は思う。
「小林。アンタはタイマンの結果を坂本に伝えてきておくれ」
「りょ、了解ッス」
言われて慌てて走り去っていく小林を見送る朱久里に、一転してバツの悪そうな顔をしていた蒼絃が小さく頭を下げる。
「ごめん、姉さん。負けてしまったよ」
「謝る必要なんてないさね。誰よりも悔しく思ってるのは蒼絃、アンタだろ?」
姉の問いに、蒼絃は素直に首肯を返す。
そんな弟の胸を、朱久里は軽く小突く。
「だったら、その悔しさをバネにもっと強くなって、折節の坊やにリベンジすればいい」
「……そうだね。姉さんの言うとおりだ」
微笑を浮かべて姉の言葉を素直に受け入れる蒼絃に、「リベンジなんて勘弁してほしいんですけど!?」とは言えない史季だった。
なお、例によって思っていることが顔に出てしまっていたらしく、蒼絃は肩をすくめながら言う。
「まあ、当の折節クンがこれだから、しばらくは機会はなさそうだけどね」
「その辺りは、坊やの心変わりに期待ということで」
鬼頭姉弟の視線が、完全に獲物を狙う狩人のそれだったので、史季はビクリと後ずさってしまう。
そんな史季の反応に、夏凛は「しょうがねーな」と言いたげな顔をしながらも、朱久里と蒼絃を窘めた。
「あんまり史季のこといじめるのやめてくんねーかな? つーか、史季は
『本末転倒』と言った時だけ、いやに自信なさげだったことはさておき。
取引という言葉が効いたのか、朱久里も蒼絃もバツが悪そうに口ごもった。
「……まったく。普段は騙しやすいくせに、たまに核心をついてくるからやりにくいんだよ、アンタは」
「騙しやすいってどういう意味だよ、鬼頭センパイ!?」
素っ頓狂な声を上げる夏凛に史季は苦笑しそうになるも、頭の怪我のせいか、目眩を覚えてふらついてしまう。
「史季! 大丈夫か!?」
夏凛が正面から抱き支えてくれて、何がとは言わないが鳩尾のあたりに柔らかい感触を覚えた史季は、別の意味で目眩を覚えそうになりながらも「だ、大丈夫」と返した。
「見たところ、蒼絃に良いのをもらったって感じだね」
「それも二発もね」
悪びれもしない蒼絃の訂正に、さしもの朱久里も頭を抱えそうになる。
「それは、さすがにちょっと心配だね。どのみちすぐに応急処置を受けられるような状況でもないし、この際だから
そう言って、朱久里は懐から取り出した、四つ折りの紙を史季に渡す。
紙を拡げてみると、ウェブから印刷してきたものと思われる、今朱久里が言っていた医院までの道程を記した地図が描かれていた。
廃病院から歩いて五分もかからないところを見るに、
もっとも、今はそんなことよりも余程気になることがあったので、史季はそれこそ
「タダで医者に診てもらえたり、こんな大舞台を用意したり……鬼頭先輩って本当に何者なんですか?」
「なんだい? 小日向のお嬢ちゃんから聞いてなかったのかい?」
言いながら視線を向ける朱久里に、夏凛は「ふん」と鼻を鳴らしてから答える。
「
「別に、プライバシーってほどの話でもないんだけどねぇ。土地とかに詳しい人間だったら、すぐにピンとくるような名前だし」
そんな朱久里の言葉を聞いてピンときた史季は、目を見開きながらも訊ねる。
「もしかして、親が有名な地主さん……とか?」
「アタリ。だからこの廃病院みたいに買い手がついてない土地でヤンチャしたり、今紹介した医院みたいに、うちの親の世話になっているとことかで、色々と融通を利かせてもらえたりするってわけ」
「なんて姉さんは謙遜してるけど、姉さんの時勢を読む力は父さん以上だからね。ボクがこうして好き勝手やれてるのも、姉さんが父さんの手伝いをして、結果を出してるおかげというわけさ。今回の一年最強決定戦にかかった費用も、姉さんが株で儲けた金から全て出してるしね」
(って、本当に株式投資やってた!?)
と、驚く史季の隣で、
「いや、高校生が株なんてやっていいのかよ!?」
夏凛が至極もっともなツッコみを入れる。
「結論だけを言えばやっても問題ないさね。あと、蒼絃はアタシのおかげで好き勝手やれてるとか言ってるけど、実際は蒼絃の熱量を父さんが認めたおかげだから、アンタたちもそこんところ勘違いすんじゃないよ」
「なにを言ってるんだい、姉さん。父さんを説得できたのも、姉さんが口添えしてくれたことが大きかったじゃないか」
「そんなの、ほんのちょっと手助けした程度さね。それに父さんは、どんな世界であれ成り上がるという行為が大好きだからね。アタシの口添えがなくても、アンタ一人で充分説得することができたよ」
などと姉バカ弟バカぶりを発揮する鬼頭姉弟に、史季と夏凛は揃って顔を引きつらせた。
「……いい加減マジで医者んとこ行くか」
「そ、そうだね……」
史季と夏凛は、鬼頭姉弟に一言断りを入れてから――案の定かえってきたのは生返事だった――二人一緒に廃病院本棟を後にする。
「なんというか、不思議だよね」
「あんだけケンカしたのに、普通にくっちゃべってたことがか?」
夏凛の問いに、史季は首肯を返す。
「荒井ん時のように潰し合いをしてたわけじゃねーからな。まー、
「運良く?」
と訊ねる史季に、今度は夏凛が首肯を返す。
「史季や春乃に何かあったら、たぶんあたしは鬼頭センパイのことを許してなかったと思う。史季が一年最強決定戦の賞金首を引き受けたのも、一から十まで史季の意思でってんならあたしも文句は言わなかったけど、どうせ鬼頭センパイに、賞金首をやる流れに仕向けられたんだろ?」
史季自身そのとおりだとは思っているが、確証があるわけではないので、今回ばかりは首肯を返すことができなかった。
そんな史季の心中を察してか、夏凛は答えを聞くことなく話を続ける。
「鬼頭センパイは確かにわりー奴じゃねーけど、だからって良い奴ってわけでもねーからな。油断してるといつの間にか……なんてこともザラにあるから、あんまし気ぃ許しすぎんじゃねーぞ」
「わ、わかった……」
と返しながらも、どちらかというと夏凛の方が、自分よりも余程気を許しているように見えたとは言えない史季だった。
そんな気づきをなかったことにしたかったせいか、史季は今さらながら
「そういえば小日向さん、大丈夫なの?」
「だーかーらー、怪我なんてしてねーって言ってるだろ」
「いや、そっちじゃなくて……ほら、廃病院っていかにも出――いったッ!?」
足を思い切り踏んづけられ、史季は思わず悲鳴を上げる。
「言うなってのっ!! あーもう、さっきまで全然気になってなかったのにぃっ!!」
「気になってなかったって……そうなの?」
「いや、だって……史季のことが心配だったし……」
唇を尖らせる夏凛に、史季はにやけそうになった口元を手で押さえながら顔を背けた。
なぜなら、幽霊や怪談の類が苦手な夏凛が、恐さを忘れるくらいに自分のことを心配してくれていたことがわかったから。
心配させてしまったこと自体は当然反省すべきことだけれど、そうとわかってなお、夏凛にここまで心配してもらえたことが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
まず間違いなく友達としてだろうけど、それでも、夏凛にとって大事な人間の一人になれたような気がしたから。
そうこうしている内に廃病院敷地の入口を抜け、ここまで来ればもう大丈夫だと言わんばかりに、夏凛は深々と息を吐く。
「ここここんくらい、よよよ余裕だっつーの……」
とは言いながらも、声音は面白いくらいに震えていた。
そんな彼女を見て、史季はふと気づく。
(……あれ? そういえば、前に夜の校舎を歩いてきた時は抱きついてきたのに、今回は抱きついてこなかったな……)
別に抱きついてくることを期待していたわけでは――いや、全く期待してなかったと言えば嘘になるけど。
だからといって、実際に抱きつかれたら勘弁してほしいと間違いなく思うだろうけど。
廃病院という心霊スポットとしては定番の場所にいたにもかかわらず、夏凛が抱きついてこなかったことを史季は少しだけ意外に思う。
敷地の外に出てなお微妙に体が震えているところを見るに、夏凛が内心では恐くて怖くて仕方ないと思っていたのは明白。
なのに、抱きついてこなかったのは、いったいどういう心境の変化か。
(前に小日向さんに抱きつかれた時は、僕も思いっきり顔が赤くなってしまったし、そんなことになったら鬼頭くんにやられた頭に血が昇って大変なことになるから、抱きつかなかった……とか?)
自信なさげな結論を下すタイミングを見計らっていたかのように、夏凛が常よりも真剣な声音で窘めてくる。
「そりゃそうと、史季。今回一人で勝手に動いたこと、マジで反省しろよな」
こればかりはぐうの音も出ないので、素直に「はい」と答えるしかなかった。
しかし、
「つっても、余計な迷惑かけたとかくだんねーこと、考えんじゃねーぞ」
続けて夏凛の口から出てきた言葉に、思わず目を丸くしてしまう。
夏凛たちに負担や迷惑をかけたくない一心で、朱久里との取引に応じた史季にとって、今の言葉は寝耳に水だった。
「
「ご、ごめん……」
「謝るのもなし。史季が
「そ、そんなことはないよ!」
「そう! それだよ!」
ズビシと人差し指を突きつけられ、思わず口ごもってしまう。
「史季からしたら、荒井の件であたしがわりーって思ってることが『そんなことはない』ってのと同じくらい、史季が今回の件であたしらに迷惑かけたとか負担をかけたとか思ってることが、あたしらからしたら『そんなことはない』んだよ」
「だから……『迷惑はかけちまえ』と?」
「そういうこった。こんな風にな」
言いながら、夏凛はこちらに手を差し伸べてくる。
なぜか、微妙に、顔を背けながら。
「は、廃病院があるせいか、意外と雰囲気あるとか、そ、そのせいでちょっと恐いとか思ってるわけじゃねーけど……その……なんだ……手ぇ繋いでくれるか?」
先程までのハキハキした物言いは、どこへやら。
夏凛はしどろもどろしながら、そんなお願いをしてくる。
背けた顔を、耳まで真っ赤にしながら。
なるほど。
これが彼女にとって「迷惑をかける」行為になるようだ。
しかし、
(迷惑だなんてとんでもないよ、小日向さん……!)
夏凛と手を繋いで歩ける嬉しさと、それ以上の気恥ずかしさで同じように耳まで真っ赤にしながらも、史季は素直に「うん」と返し、恐る恐る彼女の手を握る。
夏凛の顔が耳まで赤くなっている理由が、いかにも幽霊とかが出そうな雰囲気が苦手だという、自身の弱点を曝け出していることを恥ずかしく思っているからだろうと勝手に決めつけて。
必ずしも、それだけが理由ではないことにも気づかずに。
そうして二人は、手を繋いで夜道を歩いて行く。
その足取りは、初々しいカップルを彷彿とさせるようなぎこちなさだった。
◇ ◇ ◇
その店は、史季たちも
そこのテーブル席で、
鬼頭派の手によって動画サイトに限定公開で生配信され、アーカイブにもアップされた、史季と蒼絃のタイマン動画を。
「いや、何回見る気だよ。その動画」
相席している、ウニのようにツンツンと尖った金髪と、レンズの小さい丸サングラスがトレードマークの斑鳩派ナンバー2――
「何回だっていいだろ。こんな熱いケンカ、そうそう見れるもんでもねえしな。つうわけだから翔」
「わかってわかってる。『折節史季はオレの獲物だ~』とか言うつもりなんだろ?」
ますます呆れた声で言う服部に、斑鳩は楽しげにニヤリと笑った。
=======================
これにて第二章完結デース。
次で終章になるわけですが、公開開始は4月中旬くらいを予定していますので少々お待ちくだサーイ。
それからタイトル変更とキャッチコピーからもわかるとおり、本作は5月19日にファンタジア文庫より発売されることとなりましたので、書籍版の方もよろしくしていただけると幸いデース。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます