第25話 対峙

 西の空が茜色の染まり始めた時分。

 夏凛、千秋、冬華、美久みくの四人は、バスを降りるとすぐさま小走りで走り出した。


「美久。ここから廃病院までどんくらいかかる?」


 夏凛の問いに、美久は無駄に慌てふためきながらも答える。


「こ、このペースでいけば一〇分もかからないかと……」

「一〇分足らずか……けっこう距離がありやがるな」


 横目で背後を見やり、舌打ちする。

 バスを降りた時点で気づいていたが、バス停を見張っていたと思われる鬼頭派の不良が、充分に距離を離しながらも夏凛たちを追走していた。

 見張りである以上、夏凛たちがバスに乗って現れたことは、すでにもう鬼頭朱久里あぐりに連絡しているはず。

 一〇分弱もあれば、迎撃の態勢を整えるにはそれこそ十分だろう。


(急ぎてーところだけど、体力を温存しておかねーとやばそうだな。どのみちスピードを上げたところで、道案内してくれてる美久がついて来れねーだろうし)


 そう自分に言い聞かせることできそうになる気を鎮めていると、春乃との電話を試みていた冬華が、珍しくも神妙な顔をしながらかぶりを振る。


「ダメだわ。やっぱり繋がらない」

「こりゃもう、鬼頭派に捕まったと見るべきだな」


 今にも頭を抱えそうな顔をしている千秋の言葉に、美久が「そんな!」と悲痛な声を上げる。


「荒井のクソ野郎と違って、鬼頭センパイはその辺弁えてるから、一般生徒パンピー全開な春乃にひでーことはしねーと思うけど……」


 もし美久の推測どおりに廃病院で一年最強決定戦を行っていた場合、その邪魔にならないよう軟禁くらいはしているかもしれない――とは、さすがに夏凛も言えなかった。


「春乃は、まぁ……たぶん大丈夫だろ。それより問題は折節だ。ガチで一年最強決定戦をやってたとして、鬼頭パイセンは二年の折節にいったい何をさせるつもりだ?」

「考えられるとしたら、一年最強決定戦に勝利した子とエキシビションマッチをやらされるとか、ボスキャラみたいなノリで参加させられるとか、そんな感じじゃないかしら?」


 疑問符付きで返してくる冬華に、千秋はげっそりとしながら応じる。


「要するに、一年の相手をやらされるってわけか。やっぱ折節の方がやべぇじゃねぇか」

「で、でも……折節先輩は強いから、一年生が相手なら大丈夫なんじゃ……?」


 恐る恐る訊ねる美久に、夏凛が答える。


「少し前まで中坊だったから、一年の中にはまだ体ができてねー奴とかもいるけど、今みてーにに限れば、〝やばさ〟という一点においては、下手な二年三年よりも、一年の方がタチが悪かったりすることもあんだよ」


 言葉の意味がわかっていないのか、美久が困惑していることを察した夏凛は、さっさと言葉をつぐことにする。


「なんだかんだ言っても、二年三年と残ってる連中は退学になるくらいの無茶をやらねー程度には分別があるからな。けど、そんな分別を持ち合わせていねー奴は、大体二~三ヶ月くらい経ちゃ、退学くらうか少年院ネンショーにぶち込まれるかくらいのことをやらかして、学園ガッコからいなくなる」

「ち、ちなみに……やらかすというのは?」

「さすがに人を殺したって話は聞いたことないけど、相手を半殺し以上にボコボコにしちまったり、ナイフで人を刺したりとかな」

「ワタシたちよりも上の世代になるけど、校舎を放火してお縄になったって話も聞いたことがあるわね~」


 冬華の補足に、美久の顔色がいよいよ青くなる。

 見かねて、千秋が慌ててフォローを入れた。


「って、オマエら美久をビビらせてどうすんだよ。ウチらだって、自分のガッコがわりぃ意味でニュースになるとこなんざ見たくねぇからな。夏凛と冬華が言ったようなろくでなしが出ねぇよう、ちゃんと目ぇ光らせてっからな」

「ま~、ワタシたちが目を光らせてるからこそ、一年最強決定戦ではっちゃけちゃう子が出てくるかもしれないから、しーくんでなくてもあんまり大丈夫とは言えないってわけ」

「大丈夫とか言い切れるのは、それこそ夏凛を含めた四大派閥のトップくらいのもんだろ」


 そんな話を聞かせたからか、突然美久が走るペースを上げ始める。


「美久、無理はしなくていいからな」

「大丈夫……です……! 小日向……先輩……!」


 微妙に息を切らしながらも走る美久に、これ以上話しかけるのは酷だと思った夏凛は、黙って彼女の後について行くことにする。

 史季と春乃のために頑張ってくれていることに、内心感謝しながら。


 それからしばらくの間、四人は黙々と走り続け……廃病院と道路を挟む形で向かい合っている、団地に辿り着く。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 膝に両手をついて荒い呼吸を繰り返す美久の頭を、夏凛は優しく撫で繰り回した。


「サンキュな、美久。おかげで思ったよりも早く着けた」


 さすがにまだ返事をかえす余裕はないようだが、美久は嬉しそうに恥ずかしそうに頬を綻ばせた。


「しっかし、当然っちゃ当然だけどいやがんな」


 団地の建物の陰から廃病院を覗き見ながら、千秋は言う。

 大型の引戸門扉が閉め切られた廃病院の入口前では、鬼頭朱久里を筆頭に、鬼頭派の不良たちが大勢集まり、守りを固めていた。


「ちなみに……ですが……入口は……あそこだけです……」


 呼吸が整わないまま、今必要な情報をくれる美久の頭を、今度は千秋が撫でくり回す。


「よじ登るにしても、あの壁はちょ~っと高いわね~」


 廃病院の敷地を囲う、高さ三メートル近いコンクリート塀を眺めながら、冬華は美久のお尻を撫で――る前に、その手を夏凛と千秋が容赦なくはたき落とした。


「こんな時じゃなかったら、鉄扇でいってたからな?」

「こんな時じゃなかったら、スタンバトンでいってたからな?」


 割とガチ目に睨んでくる二人に、冬華は「冗談よ~」と頬を引きつらせる。

 渦中の美久は、いまだ呼吸が整っていないせいもあってか、三人の間でどのようなやり取りがあったのかわからず、頭上に「?」を浮かべていた。


「つーか、そもそも壁をよじ登るなんて真似、向こうが許さねーだろ。あたしらがここにいるってことも、もうとっくにバレちまってるし」


 言いながら、夏凛は建物陰から廃病院の入口を指し示す。

 上から冬華、美久、千秋の順に、建物陰からひょっこりと顔を出してみると、朱久里のもとに駆け寄った男子の不良が、こちらを指差しながら何かしら報告している様子が見て取れた。


「確かに、バレてるわね~」

「バレてますね」

「バレてやがんな」


 三人揃って建物陰から顔を引っ込めたところで、夏凛は言う。


「つーわけだから、ここは正面突破だ。どのみち、鬼頭センパイ相手に搦め手なんてしたところで、読まれて余計に状況が悪くだけだろうしな」

「ま~、しーくんがいれば話は違ってくるかもしれないけど、そのしーくんが廃病院むこうにいるようじゃ~ね~」

「てか夏凛。ウチらはともかく、美久はどうするよ?」

「一緒に来てもらう。下手に隠れさせてると、伏兵だと勘違いされちまうかもしれねーし。逆にこっちから姿を見せれば、鬼頭センパイなら空気を読んで美久に手ぇ出さないよう下っ端に命令してくれるだろうしな。但し……」


 美久の方に向き直り、真剣な声音で言葉をつぐ。


「ケンカになった場合は乱戦になるかもしんねーから、ぜってー前に出てくんじゃねーぞ。下手しなくても巻き込まれちまうからな」

「は、はい!」


 微妙に裏返った返事を聞いたところで、夏凛は躊躇なく建物陰から出ていく。

 続けて千秋と冬華が、最後に美久が言われたとおりに夏凛たちとは距離をとりながらも建物陰の外に出て、道路を挟む形で朱久里たちと対峙する。


「見たとこ、六~七〇人ってところか」


 うんざりと小声で言う千秋に、冬華も小声で応じる。


「ここは、集団戦ゴチャマンが得意なちーちゃんに期待ということで」

「やるだけのこたぁやるけど、あんま期待すんなよ。鬼頭パイセンが頭張ってるだけあって、鬼頭派の連中はきっちりと統率がとれってからな。統率もへったくれもねぇ荒井派の不良バカどもほど簡単にはいかねぇ」

「じゃ~、りんりんに期待ということで」

「こっちもあんま期待すんな。ぜってー鬼頭センパイがあたしを押さえにくるからな。たぶん、かかり切りになる」

「そんな~」

「つーか、そろそろ静かにしろ。一応、やり合わずに済むかどうかは確かめておきてーからな」

「それこそ、マジで期待できねぇな」

「できないわね~」


 千秋と冬華の言葉に反論できず、「うるせー」と悪態をついてから、夏凛は二人の前に出る。


「鬼頭センパイ! 廃病院そこで、あたしらの友達ダチが厄介になってるみてーでな! ちょっと返してくんねーか?」


 大声で訊ねる夏凛に、朱久里はよく通る声で応じる。


「そりゃできない相談だね。何せ折節の坊やは、自分の意思で一年最強決定戦の賞金首になってくれたんだからねぇ」


 あえてなのか、一年最強決定戦を行っていることだけでなく、史季が賞金首として決定戦に参加しているという、こちらの知らない情報まで伝えてくる。

 春乃については全く触れなかったことが気がかりだが、さすがに無視できる話題ではなかったので、夏凛は朱久里の掌上で転がされていることを承知した上で、突っ込んだ質問を投げかける。


「賞金首ってのは、どういうアレだよ?」

「なぁに、今年の決定戦はバトルロイヤル形式でおこなっていてねぇ。場を盛り上げるために、折節の坊やには一〇万円の賞金首という形で決定戦に参加してもらったんだよ」

「だから、二年生の折節先輩が……」


 後方で、得心したように呟く美久の声を聞きながら、夏凛は朱久里を睨みつける。


一般生徒パンピーに、んな危険な真似させるなんて、あんたらしくねーじゃねーか。鬼頭センパイ」

一般生徒パンピー? 折節の坊やがかい? 冗談はよしとくれよ。格闘技経験者でもないのに荒井にタイマンで勝つ一般生徒パンピーなんざ、この世のどこにいるってんだい」


 思わず、口ごもってしまう。

 荒井亮吾にタイマンで勝つ――その事実が、聖ルキマンツ学園においてどれほど重い意味を持っているのかは、夏凛も理解していたから。


 卒業生と退学者を除き、聖ルキマンツ学園の中で荒井に勝てた人間は、夏凛と斑鳩の二人だけしかいない。

 その荒井を相手に、格闘技経験はおろかケンカの経験すらろくになかった史季がタイマンで勝利した。

 史季の性分は間違いなく一般生徒パンピーのそれだが、ケンカの強さにおいては最早一般生徒パンピーとは言えないレベルにまできている。

 だから夏凛は、反論したくてもできなかった。


「……センパイ。マジで史季は、自分の意思で賞金首なんて危ねー真似してんのか?」

「ああ。黙ってるのも公平フェアじゃないから言うけど、アタシら鬼頭派の組織力なら、現在あの子を取り巻いている状況を解決できるってことはチラつかせた」


 この言葉でようやく合点がいった夏凛は、思わず舌打ちしてしまう。


 史季は、誰かの負担になったり、心配させたりすることを忌避しているきらいがある。

 事実彼は、川藤たちにいじめられていたことを、ついぞ親にも相談しなかった。

 不良どもに絡まれまくる現状を、夏凛たちに負担をかけることなく解決するために賞金首の話に乗ったとしても、何ら不思議ではない。


(あのバカ――って、言いてーとこだけど……)


 元を正せば、史季が不良にタイマンを挑まれたり、襲われたりするようになったのは、自分の不甲斐なさのせいにある。

 当の史季は謝らなくていいと言ってくれたけど、彼に「荒井に勝った」というレッテルが貼り付いてしまったのは、自分が、風邪の熱如きで荒井に追い詰められてしまったせいにある。

 史季の行為を非難する資格なんて、自分にはない。


「やり合わずに済むならそれに越したことはないって気持ちはわかるけど、生憎アタシは弟の名を上げるために、折節の坊やを取り巻く状況を最大限に利用すると決めている。恨みたきゃ恨んでくれて構わないよ。どのみちアンタも、弟が倒すべき〝敵〟の一人なんだからねぇ」


 これ以上の問答は無用だとばかりに、朱久里が睨んでくる。

 夏凛の背後では、千秋が「もう腹ぁくくるしかねぇぞ」と、小声で覚悟を促してくる。


 穏便に事を済ませることはできない――そのことを思い知った夏凛は、最後に一つだけ朱久里にした。


「……史季のことでは、どうやっても退く気がねぇってのはわかった。けど……春乃はいいだろ? 頼むから、春乃だけは解放してやってくれねーか?」


 途端、朱久里は珍しくも虚を突かれた表情を見せる。


「春乃って……アンタらが荒井と揉めた時に拉致られた、桃園春乃のことかい?」

「他に誰がいんだよ」

「そのお嬢ちゃんが、この廃病院に来てるってのかい?」

「ああ。史季が廃病院そこに入ってくのを、あそこにいる美久と一緒に見てたんだよ」


 夏凛は、後方にいる美久を見もせずに親指で指し示しながら、言葉をつぐ。


「美久はあたしらに道案内するために一旦ここを離れて、春乃は事態が起きた時に備えて、この辺りで張り込んでたはずなんだよ」

「スマホに連絡しても、応答はないのかい?」


 夏凛が首肯を返すと、朱久里はいよいよ片手で頭を抱え始めた。


「……ちょっと待っておくれ。ほんとマジで」


 懇願じみた断りを入れてから、朱久里は背後にいる、廃病院入口前で守りを固めている派閥メンバーに視線を巡らせる。

 すると、その中にいる三人の不良が、ダラダラと冷汗を流しながら露骨に朱久里から目を逸らした。


「……そういえば、門を閉め切るまでの間、ここで見張りについてたのはアンタたちだったねぇ?」


 引き続き大量の冷汗を流しながら、三人は素直に首肯を返した。

 自然、朱久里の口からため息が漏れる。


「何があったのか説明しな」


 そうして三人は言われたとおりに説明した。


 門を閉める時刻を迎える寸前に、桃園春乃を発見したことを。

 彼女が一年最強決定戦に参加すると言い出したことを。

 自分たちが勝手に判断を下せるような話ではないので、朱久里や幹部に電話を試みるも、繋がらなかったことを。

 桃園春乃はたいしてケンカが強くないので、決定戦の邪魔にはならないだろうと思い、参加を許したことを。


「ケンカが弱い一般生徒パンピーってことが一番の問題なんだよ! このすっとこどっこい!」


 朱久里に叱りつけられた三人が、土下座で平謝りをする中、夏凛たちは揃いも揃って頭を抱えていた。


「さすが、はるのん。この展開は全く予想してなかったわ……」

「いやそれ、褒められることじゃねぇからな?」

「も~う、危なくなったら絶対に逃げてねって言ったのに……」


 冬華たちが嘆きに嘆く中、夏凛は無理矢理にでも頭を切り替え、朱久里に訊ねる。


「センパイ。わりーけど、なんとかしてくんねーかな?」

「これに関しちゃ悪いのはアタシらの方だ。絶対になんとかしてみせるよ」


 そう言って懐からスマホを取り出し、電話をかける。


「坂本。忙しいとこ悪いけど、ちょっと話を聞いてくれるかい? 実は想定外のトラブルが起きちまってねぇ――……」


 朱久里は坂本に、どういうわけか春乃が一年最強決定戦に参加したことを伝え、必ず保護するよう命じてから電話を切り、スマホを懐に仕舞う。


「アタシの代わりに決定戦の進行を仕切ってる奴に、桃園のお嬢ちゃんは保護するように頼んだ。これでいいかい?」


 朱久里の問いに、夏凛は首肯を返す。


「あたしらとしちゃ、ついでに史季のことも保護してもらえると助かるんだけどな」

「ソイツはできない相談だねぇ」


 応じながら、朱久里は腰に巻き付けていた〝何か〟を取り出す。

〝何か〟は、長さ二メートルを超えるワイヤーの両端に、ダイヤル式の鍵が付いたフックと、フックに引っかけるための鉄製のリングが取りつけられた、自転車の盗難防止に使われているワイヤーロックだった。


 朱久里は持ち手となるフックを右手で握り、左手でワイヤーの中程を握って、先端となるリングを鎖分銅さながらにヒュンヒュンと振り回しながら夏凛に訊ねる。


「アタシらとしちゃ、このまま問答を続けても、さっさとおっ始めても構わないけど……どうする?」


 夏凛は諦めたように一つ息をつき、背後にいる千秋と冬華に視線を送る。


「こっちはもう、いつでもいいぜ」

「どのみち、これ以上は時間の無駄っぽいしね~」


 二人の意思を確認したところで、今度は後方にいる美久を見やる。


「わ、私も! だ、大丈夫です!」


 明らかに大丈夫ではなさそうな返事に微苦笑を浮かべながらも、夏凛は朱久里に視線を戻した。


「つーわけだから、おっ始める方でいかせてもらうけど……」

「わかってる。アンタたち! 奥にいる一般生徒パンピーのお嬢ちゃんには絶対に手ぇ出すんじゃないよ!」


 数十に及ぶ鬼頭派メンバーが、揃っているとは言い難い応を返したところで、朱久里がケンカの口火を切る。


「相手は少数精鋭の小日向派だ! 一〇倍二〇倍の戦力差なんざ平気で覆してくるから、死ぬ気で気張るんだよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る