第19話 交渉

 翌日の昼休みに、史季が夏凛と一緒に購買部へ向かっていた時のことだった。

 史季のクラス――二年二組の教室を出てからほどなくして、夏凛が怪訝な表情を浮かべたのは。


「んん……?」

「ど、どうしたの? 小日向さん」

「いや、なんか……昨日までと比べて、史季のことをチラチラ見てくる不良バカどもが少ないなーって思ってな」

「そ、そうかな……?」

「代わりに鬼頭派っぽい連中を妙に見かける気がするけど……あー、だから不良バカどもが少なくなってるともとれるか」

「そ、そうかもね……」


 心の中でドキーンとしながらも、当たり障りのない返事をかえす。


 昨日、朱久里と取引をかわしたことで、史季は登校時においても一度も不良に絡まれることなく、学園に辿り着くことができた。

 その際も、今と同じように鬼頭派と思しき生徒たちをチラホラと見かけた。

 ちゃんと取引の対価を払っていることを、こちらに知らしめるように。


「史季にちょっかいかける不良バカどもが減るのはけっこうなことだけど、鬼頭派が動きを見せ始めたってのは嫌な感じだな」


 鬼頭派絡みで突っ込んだ会話をするのは避けたいところだけど、だからといってここでだんまりを決め込んだら、かえって夏凛に怪しまれてしまうかもしれない。

 だから史季は、極力動揺を顔に出さないよう意識しながらも会話に応じた。


「それって、近いうちに鬼頭派が仕掛けてくるかもしれないってこと?」

「そこまではまだわかんねーけど、不良バカどもにケンカ売られること以上に、警戒しておいた方がいいってのは確かだな」

「う、うん。わかった……」


 と返しながらも、史季は胃に痛みにも似た疼きが生じていることを自覚する。

 これからの三日間、夏凛たちを欺き続けなければならないことに、どうしても罪悪感を覚えてしまう。


(けど……)


 朱久里との取引に応じ、一年最強決定戦の賞金首役を務めることに決めたのは、現在自分を取り巻いている状況を、これ以上夏凛たちに負担をかけずに解決するため。

 どれほど後ろめたさを覚えようが、やりきるしかない。


(僕一人でなんとかできるなら、それに越したことはないから……)


 そんな決意を胸に刻む史季を見て、夏凛は先程と同じように「んん……?」と怪訝な表情を浮かべながらも小首を傾げた。



 ◇ ◇ ◇



 校舎の屋上。

 それは不良たちにとって格好のたまり場であり、事実、聖ルキマンツ学園においても屋上を縄張りにするために派閥同士で熾烈な争いが繰り広げられた。

 その争いを制し、見事屋上というたまり場をゲットしたのが斑鳩派であり、昼休みにもなるとトップの斑鳩を筆頭に、派閥のメンバーがその日の気分で集まってきたりするはずなのだが、



「今日はアンタ一人だけかい」



 斑鳩派のたまり場に単身で訪れた、鬼頭派の頭――朱久里は、屋上の隅で三角座りで黄昏れている斑鳩の背中に、呆れた声を投げかけた。


「アイツら……漢字はろくに読めねえくせに、空気は読めやがるからな……。オレの様子を見て……即行で逃げていきやがった……」


 わかりゆすいほどに落ち込んだ声音で、ここにはいない派閥メンバーに恨み節を吐く。

 それだけで全てを察した朱久里は、ますます呆れた声音を斑鳩の背中に投げかけた。


「なんだい、もうフラれちまったのかい」

「フラれてねえよ……色々あってオレの方から離れたんだよ……」


 聞いているだけで気が滅入ってくるような声音に、朱久里は思わずため息をついてしまう。


 朱久里が屋上に足を運んだのは、斑鳩とするためだったわけだが、その相手がこうも落ち込んでいては交渉も何もあったものではない。

 まずはまともに会話ができるようにするためにも、朱久里は斑鳩に提案する。


「アタシでいいなら、話を聞いてやってもいいけど?」

「聞いてくれるのか!?」


 勢いよく振り返ってくる斑鳩に、朱久里は頬が引きつるのをこらえながらも「ああ」と返した。


 付き合う女の地雷率一〇〇パーセントな斑鳩の別れ話は、先程までの斑鳩以上に気が滅入る内容がほとんどだった。

 だからこそ今日に限って斑鳩派のメンバーが屋上に寄りつかず、おかげさまで斑鳩と一対一サシで話ができているわけだが……それが良いことなのか悪いことなのかは、朱久里でさえも判断がつかなかった。


「オレが付き合ってたみっちゃんはな、ちょ~っと自分のことを傷つけるきらいがあるでな」

「……まさかとは思うけど、リストカットとかやってる子じゃないだろうね?」


 斑鳩が「いんや」とかぶりを振るのを見て、不覚にも安堵しかけるも、


「リストカットだけじゃなくて、アームカットもレッグカットもやってる」


 安堵したことが本当に不覚に思える返答に、朱久里は思わず頭を抱えそうになる。


「そのみっちゃんがな、オレのことも傷つけカットしてあげるって言ってきたんだよ」

「いや、美容院に行くみたいなノリで言うんじゃないよ」

「さすがにオレも、それだけは勘弁だったからな。つい断っちまったんだよ」

「そりゃ普通は断るだろ」

「だよな。だって、みっちゃんがオレの体を切っちまったら傷害になっちまう。さすがに、みっちゃんが豚箱に入るとこなんざ見たくねえよな」

「って、そういう意味かいっ!?」


 思わずツッコみを入れる朱久里を尻目に、斑鳩はさめざめと締めくくる。


「だからオレは決意したんだよ……みっちゃんと別れることを……」


 最早堪える気が失せていた朱久里の頬は、盛大に引きつっていた。

 これだけでもう斑鳩と一対一サシで話ができたことを悪いこと認定していいくらいに、ろくでもない別れ話だった。


「……次はアタシの話、してもいいかい?」


 段々頭が痛くなってきたせいか、朱久里にしては珍しくも雑に話を振る。


「まあ、色々と吐き出したら楽になったからな。オレと付き合ってほしいとか、そういう話じゃなきゃ聞いてやってもいいぜ」

「そんな話、誰がするか」

「そりゃよかった。鬼頭はよお、小日向ちゃんたちと同じで顔はいいけど、なんつうかキュンとこねえのよ。キュンと」


 そのキュンときた女全員地雷だっただろうが――という言葉は、喉元まで来たところでなんとか呑み込むことができた。

 斑鳩がこれまでに付き合ってきた女性について悪く言うことは、彼の地雷を踏み抜くことと同義。

 そんなことをしたら交渉どころではなくなるので、どれほど釈然としなくても呑み込むしかなかった。

 ついでに、斑鳩がキュンと来なかったということは、イコール自分が地雷女ではない証左になるので、そのことに安堵して吐きそうになった吐息もついでに呑み込んでおいた。


「話ってのは、折節の坊やのことだよ」

「ああ、それならオレは手ぇ出す気はねえぞ」

「アンタにはなくても、アンタんとこの派閥メンバーはそうじゃないだろ」


 それだけで察した斑鳩が、露骨に嫌そうな顔をする。


「まさかたぁ思うが、折節に手ぇ出さないよう、オレにアイツらを押さえろって言う気じゃねえだろうな?」

「そのまさかさね」

「無理無理。オレも人のこた言えねえけど、アイツらも大概に血がたぎったら止まらねえからな。違う餌でも用意してくれねえ限りは、押さえるなんてできやしねえよ」

「餌ってほどじゃないけど、アンタも、アンタんとこのメンバーも食いつくような、を用意できるってんならどうだい?」


 途端、斑鳩の双眸に好奇の光が宿る。


「聞かせろよ」


 その瞬間、交渉の成功を確信した朱久里はニヤリと笑った。


「今日より三日後、鬼頭派主催のもと一年最強決定戦を行うって話は耳にしてるかい?」

「そりゃもう。斑鳩派うちの中で一人、参加する気マンマンの奴がいるからな」


 心当たりがあった朱久里は、片眉を上げる。


「あぁ、のことかい」

「さすがに把握済みか。わざわざ一年最強決定戦用のグループLINEをつくって、めぼしい奴だけ招待するなんて七面倒くさい真似してんのは伊達じゃねえな」

一般生徒パンピーを巻き込まないようにするためにも、それくらいのことはやっておかなきゃいけなかったってだけの話さね。それに、そうした方が


 今度は、斑鳩の方が片眉を上げる番だった。


「読めたぞ。一年最強決定戦に折節を絡ませる気だな?」

「アンタも大概に勘がいいねぇ」


 朱久里は思わず、呆れた声音で言ってしまう。


「で、どんな風に絡ませるつもりなんだ?」

「これはまだグループLINEでも公表していない話だけど、一年最強決定戦は廃病院を舞台にバトルロイヤル形式で行うことになってる。そして折節の坊やにはスペシャルゲストとして、賞金首という形で決定戦に絡んでもらうことになってるってわけさ」

「ソイツは確かに面白そうだが……それ、斑鳩派オレらの中で楽しめるの、それこそ決定戦に参加するくらいだろ。さすがにこれ以上スペシャルゲストを増やしたら、決定戦そのものが台無しになっちまうし、廃病院を使ったバトルロイヤル形式となると間近で観戦ってわけにもいかねえしな」

「間近とまではいかないけど、って言ったら?」


 再び、斑鳩の双眸に好奇の光が宿る。


「いいね。それならオレも他の連中も楽しめそうだ。ちなみに、どうやって観戦させてくれんだ?」

「廃病院内にカメラを設置して、動画サイトに限定公開で生配信する」

「なぁる。そこにオレらを招待してくれるってわけか」

「そういうことだよ。で、この話……ノるのかい? ノらないのかい?」


 わかりきった問いを投げかける朱久里に、斑鳩は笑みを深めながらも答えた。


「ノった」

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