第9話 カラオケ・2
なんとなくそんな予感はしていたが、史季は見事「1」の数字を引き当て、最も避けたかったトップバッターを務めることとなる。
正直な話、最近の歌どころか邦楽・洋楽そのものがそこまで詳しくないし、むしろゲームソングやアニメソングの方が詳しいくらいだけれど。
さすがに女子の中に男子が一人の状況でコッテコテのゲーソン・アニソンを歌う度胸はないので、ここは無難に、
前奏が流れ、歌い始めてからほどなくして、史季は場の空気を察する。
自分の歌唱力があまりにも普通すぎて、夏凛たちが微妙に反応に困っていることに。
実のところ、多人数でのカラオケにおいて最も盛り下がるのは、史季のような歌唱力が普通すぎる手合いだった。
歌が上手かった場合は言わずもがな、歌が下手な場合でも、当人の羞恥はともかく、場を盛り上げるという点においては前者を超えることも珍しくない。
逆に、ツッコみどころがないほどに歌唱力が普通すぎた場合、歌の上手さに対する歓声も、歌の下手さに対する笑い声も起きないため、ただ淡々と歌と時間が流れていくことになる。
あともう少し歌が上手ければ、あるいは下手だったら起きていたであろう反応も、普通すぎる歌の前ではピクリとも起こらない。
これなんて拷問?――と、ちょっと涙目になりかけたその時だった。
「ほい、おまえら」
夏凛が他のみんなに、タンバリンやマラカスを渡したのは。
その後は、盛り上がらないなら盛り上げてやるぞと言わんばかりに、夏凛たちが曲に合わせてタンバリンとマラカスを鳴らし始める。
ちょっとうるさいくらいな上に、ちょっと以上に恥ずかしくはあるけれど。
夏凛たちと親しくなる前の史季なら、これはこれで拷問だと思っていたかもしれないけれど。
どうせならみんなで楽しくという、夏凛たちの思いが伝わってきたせいか。
そのみんなの中に自分が含まれていることが嬉しかったせいか。
段々歌うことが楽しくなってきて、気がついた時にはもう一曲歌い終えていた。
緊張があったことも含めて、思いのほか渇いた喉をオレンジジュースで潤している間に、二番手の千秋がマイクを掴み、立ち上がる。
紅白歌合戦で何度も耳にしたことがある、桜の名を冠する演歌の前奏とともに。
予想外すぎる選曲に目を丸くしていると、
「まー、黙って聞いてみなって。色んな意味ですげーから」
そう言った夏凛は勿論、冬華も春乃もタンバリンやマラカスをテーブルに置いて静聴する構えを見せていたので、史季も彼女たちに倣って千秋の歌を静聴することにする。
そうして始まったのが、惚れ惚れするほどに小節のきいた
元の歌手から歌の内容に至るまで大人な女性の演歌を、見た目も声も幼女な千秋が完璧に歌ってみせるものだから、聞けば聞くほどに脳がバグっていく錯覚を覚えてしまう。
千秋の熱唱が終わると、自然と動いた両手が惜しみない拍手を送っていた。
同じように夏凛たちからも拍手を送られ、千秋はかつて見たことがないほどのドヤ顔を浮かべる。
あるいは、この表情も含めて
「っと、次はあたしだな」
前奏が流れると同時に、三番手の夏凛がマイクを握る。
流れてきたのは、史季たちが中学生の頃に流行った、「うるさい」的なフレーズが印象的なあの曲だったわけだが、
「相変わらず、この絶妙にヘタクソな感じがあざといな」
「ワタシは好きよ~。このあざとさ」
「はい! かわいいと思います!」
「てめーらほんとにうっせーわっ!! あとヘタクソで悪かったなっ!!」
などと怒る夏凛の手前口には出せなかったが、「かわいいと思う」という春乃の言葉に心の中で同意する史季だった。
例のフレーズのせいか、夏凛が選曲するという意味ではイメージどおりの歌だとも思いながら。
歌が終わり、夏凛はマイクをテーブルに置きながらも意味深な愚痴をこぼす。
「あー、クソ。春乃の前ってのが、またきちーな」
どういう意味なのか訊ねようかどうかと迷っている内に、次の歌の前奏が始まる。
友達から呼ばれていた渾名をそのまま芸名にした女性シンガーソングライターが歌う、ドラマの主題歌にもなった曲だった。
「あ、わたしですね」
夏凛の言葉どおりに四番手を務める春乃が、マイクを両手で握り締めながら顔の近くまで持ち上げる。
夏凛が歌っていた時は賑やかだった千秋と冬華が、急に静かになる。
前奏が終わり、可憐な唇が開いた瞬間、史季は夏凛の愚痴の意味を理解する。
一聴してわかる美声。
その美しさを十全に活かす圧巻の歌唱力。
千秋の演歌はそれはそれで聴き応えがあったが、春乃の歌はそれ以上だった。
両親の血が滲んでそうな努力によって身についた応急処置とは違う、紛うことなく桃園春乃個人の特技に、史季はただただ圧倒されていた。
やがて、歌詞を間違えるというドジすらやらかすことなく、春乃は歌い終える。
彼女が歌っている間は、魂がどこかに飛んでいってしまっていたかのような、夢と
そんな感覚を覚えたのは史季だけではないようで、春乃の歌を聞き慣れている夏凛たちでさえも、拍手を送ることを忘れて余韻に浸っていた。
「ふぅ……次は冬華先輩です――あっ!?」
春乃が冬華にマイクを冬華に渡そうとしたその時、両手からすっぽ抜けたマイクが冬華の額に直撃する。
「あぁん❤」
という喘ぎ声をかき消すように、スイッチが切れてなかったマイクと額がぶつかった音が不協和音となって史季たちの耳を圧し、史季たちは両手で耳を押さえて悶絶した。
「ごめんなさいごめんなさい!」
と平謝りする春乃を見て、今の不協和音を何とも感じてないのだろうか?――と、
一巡目の
「それじゃ~お楽しみの時間、始めるわよ~」
マイクをぶつけられて額を赤くした冬華がウインクし、
「楽しみにはしてねーよ」
「楽しみにしてたまるか」
「わたしは楽しみです!」
夏凛たちが言い放題に返す中、始まる。
全年齢対象の国民的子供向けアニメの主題歌が、大人向けの卑猥な歌にしか聞こえなくなってしまう、悪夢のような
冬華の歌い方は、扇情的の一語に尽きるものだった。
だったから、「こんなこと」が「あんなこと」にしか聞こえなかった。
「できたらいいな」も赤ちゃん的な意味にしか聞こえなかった。
夢を歌われても、頭に「淫らな」が付く夢しか想像できなかった。
サビに至っては、もう完全にただの喘ぎ声だった。
かつて、これほどまでに国民的アニメを冒涜した歌い方をした人間がいただろうか?
いや、いない――そう確信した史季は、夏凛と千秋と同じように、何とも言えない複雑な表情を浮かべていた。
春乃一人だけが、純粋な子供のように目をキラキラさせながら鼻息を荒くしていた。
最近になるまで、春乃が
なんかもういよいよ隠す気というものが感じられなくなった春乃に、思わず遠い目をしてしまう史季だった。
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