第14話 中間テスト

 四月末に差し掛かった頃。


 今日も今日とて予備品室でケンカレッスンを受けていた史季は、サンドバッグに向かって、今の自分が打てる限界ギリギリの高さに蹴りを叩き込む。

 派手にサンドバッグが揺れる光景にはもうすっかり慣れてしまったため、今さら千秋たちが感嘆の声を上げることはなかったが、


「ハイキックって言うにはもう一声足んねーけど、それでもけっこう高い位置を蹴れるようになったじゃねーか」


 夏凛が嬉しげな笑みを浮かべながら、今の蹴りを褒めてくれた。


「つーか、ここまで足が上がるなら、相手の顔面を蹴るくらいはいけそーだな」

「なんか、言ってること矛盾してない? 小日向さん」

「矛盾なんてしてねーよ。ローキックで足潰したり、腹蹴って前屈みにさせりゃ、史季と同じくらいの背丈までなら余裕で顔面蹴れると思うぞ」

「なるほど……」


 ケンカは勿論、格闘技についても明るくない史季にとっては目から鱗の話だった。


 仮に史季の蹴り足がハイキックと呼べるほどにまで高くなったとしても、純粋に足が届かないほどの上背の相手にはハイキックを叩き込むことができない。

 けれど、今夏凛が言った方法を用いれば、誰が相手でもハイキックを叩き込むことができる。


 そんな驚きと感心が顔に出ていたのか、夏凛は鉄扇で自分を煽ぎながらも微妙にドヤ顔を浮かべていた。


「にしても、まだ半月かそこらしか経ってねーのに、よくここまで柔らかくできたな」

「動画サイトで、一ヶ月で開脚できるようになるやつとか参考にしてみたら、思いのほか効果があって……」

「あー、それ聞いたことある。マジで効果あんだな」

「そんな動画に頼らなくても、ワタシを頼ってくれた手取りナニ取り教えてあげたのに~」

「んなだから、教えさせるわけにはいかねぇんだよ」


 いつもどおりに発情する冬華に、千秋は淡々とツッコみを入れるも、


「千秋先輩、どうして冬華先輩に教えさせるわけにはいかないんですか?」


 春乃からの質問に「んぐっ」と口ごもる。

 これはまずいと思ったのか、夏凛は慌てて話題を変えた。


「そ、そういえば、もうすぐゴールデンウィークだな!」

「あ? あぁっ! そうだな! このメンツでどっか遊びに行くってのもアリかもな!」


 慌てて乗っかった千秋の発言に、史季は、


(このメンツって……いや、ないない。さすがに僕は入ってない)


 現実を見ろと言わんばかりに、心の中で自分に言い聞かせていた。

 もっとも本当に現実を見なければならないのは、夏凛たちの方だが。


「そうね~……去年のこの時期はまだ、りんりんともちーちゃんともあんまり仲良くなってなかったから、今年はみんなで遊び倒しちゃうのもアリかもね~」

「み、みなさんすごいですね……。わたし、あんまり頭良くないから、ゴールデンウィーク中はお勉強しないと……。連休が明けた週の後半から、中間テストが始まるから気を抜くなって先生も言ってましたし……」


 沈んだ声音で言う春乃に、夏凛も千秋も冬華もピシッと凍りついたように固まった。


「そういえばあったな……中間テストが」

「なんで今年は連休明けてすぐなんだよ……」

「めんどくさいわね~……」


 三人とも、声音の沈みっぷりは春乃並みだった。

 そんな先輩方の反応に、春乃はオロオロするばかりだった。


 こう言っては何だが、夏凛たちが中間テストの存在を気にしていたことを、史季は意外に思う。

 というか、世紀末学園と揶揄されるこの学園の不良の中で、成績を気にするような人間がいたことに正直驚いているくらいだった。


「まーた顔に出てるぞ。史季」


 夏凛の指摘に、史季は思わずビクリとなる。


「少なくともあたしは、うっかり留年ダブっちまったら実家に連れ戻されかねねーから、そうならねー程度には頑張んないといけねーんだよ」

「実家?」


 思わず聞き返す史季を見て、夏凛の代わりに千秋が説明する。


「折節も聞いたことはあるだろうけど、コイツの実家、『小日向流古式戦闘術』とかいう怪しい古武術の道場をやってんだよ。そん中で扇を使った扇術せんじゅつにおいてはコイツ、親父さんに神童とまで言われててな。だから親父さんは、夏凛に道場継がせる気マンマンだったんだけど……」

「それに思いっきり反発したりんりんが見事にグレちゃって、実家から遠く離れたこの学園に入学したってわけ。道場を継ぐかどうかはともかく、なんだかんだでパパさんはりんりんのこと溺愛してるから、ちゃんとお金は出してもらえてるけど~、留年なんてしちゃったら実家に連れ戻す格好の口実になっちゃうから、りんりんも必死なのよ」

「そういうことだったんだ……」


 と、得心する一方で、新たな疑問が生まれたので今度は素直に口にする。


「友達とはいえ、月池さんも氷山さんも、小日向さんの家の事情について詳しすぎる気がするんだけど……」

「去年の夏休み、夏凛が実家に帰らなかったもんだから、親父さんの方からこっちに来てな」

「その時に、小日向さんのお父さんから事情を?」

「い~や」


 千秋はあくどい笑みを浮かべながら冬華に視線を送り、二人揃って懐からスマホを取り出した。


「そん時にウチら」

「りんりんのパパと、LINEを交換したのよね~」


 証拠だと言わんばかりに、二人して夏凛の父親とのLINEのやり取りを見せつけてくる。


 片や夏凛のことを心配するメッセージが、片や夏凛の元気な様子を見たいというメッセージが、くどさと顔文字と(笑)が散りばめられた所謂いわゆるおじさん構文で綴られていた。

 一方夏凛は赤く染めた髪よりも真っ赤になった顔を隠すように頭を抱えるだけで、文句の一つも飛ばしてくることはなかった。


 色々と察した史季は、顔を引きつらせながらも千秋と冬華に訊ねる。


「もしかして、LINEの交換は小日向さんのお父さんの方から?」

「ああ、そのとおりだ。その現場には夏凛もいてマジギレしながら大反対したけど、このまま聖ルキマンツ学園に通っていい条件の一つにされちゃ、どうしようもなかったってわけだ。ちなみにウチは、テメェの親父と友達ダチがLINEを交換してるだなんてなったら、死にたくなるを通り越して死んじまうけどな」

「千秋てめー……その割りには随分楽しそーなツラしてんじゃねーか!」

「だって~、りんりんのパパってば、りんりんの写真を送ってくれたら今度こっち来た時にお小遣いくれるって言うんだも~ん」

「うちの親父相手に、なにちょっとパパ活みてーなことやってんだよっ!?」

「や~ね~、さすがにワタシもお友達のパパに手を出したりしないわよ~」

「まぁウチなら、テメェんとこの親父がウチの写真くれって友達ダチに頼んでるってだけでも、余裕で死ねるけどな」

「いやほんとマジでやめてっ!!」

「夏凛先輩! わたしも夏凛先輩のお父さんとLINEを交換したいです!」

「この流れでそれ言うっ!?」


 地獄でも、もう少し慈悲があると思えるような有り様だった。

 さすがにこれは夏凛が色々と悲惨すぎるので、史季は無理矢理にでも話題を変えてあげることにする。


「と、ところで、月池さんと氷山さんはどうして成績を気にしてるの?」

「んなこと直球で訊いてくるなんて、折節テメェ……けっこうウチらに遠慮なくなってきたじゃねぇか」

「え? あ……ご、ごめん!」


 慌てて謝罪する史季に、千秋は苦笑する。


「別に謝んなくていいっての。ちったぁウチらに気ぃ許すようになってきたなって褒めてんだから」

「今の褒めてたの!?」


 そんな史季の反応が面白かったのか、千秋はケラケラ笑ってから先の質問に答えた。


「いくらウチらでも、ガッコを卒業できる程度の成績は気にしてるっての。気にしねぇ奴は、最初はなから卒業する気のねぇ奴か、ダブることを屁とも思ってねぇ奴くらいだな」

「『くらい』と言っても、こんな学校だからバカにならない程度にはいたりするんだけどね~」

「しかもそういう奴ってだいたい、退の進路が暴力団ヤーさんか半グレの二択だったりするよな」

「あら? 少年院おつとめってパターンもあるから三択じゃないかしら?」

「あぁ、そのパターン忘れてたわ」


 卒業後ではなくて退学後だったり、進路先が当たり前のように反社会的だったりと、つくづく自分がとんでもない学園に入学してしまったことを史季は思い知る。


「とにかく、ウチらもあんまお行儀が良い方とは言えねぇけど、今言ったような連中と一緒にされんのはゴメンってわけさ」

「だ・か・ら、授業やテストをボイコットするどころかその邪魔をしちゃうような、とりわけお行儀が悪かったおバカさんたちにお灸を据えてたりんりんに、ワタシたちも協力したってわけ」

「どうせガッコに通うなら、ちょっとでも居心地が良い方がいいに決まってっからな」

「……あたしはただ、気に入らねー奴をシメてただけだっての」


 という夏凛の言葉が、明らかに照れ隠しであることは史季も察することができた。

 なお、全く察していない春乃は、憧れの先輩たちの活躍を聞いて目をキラキラと輝かせていた。


「つうか、マジでゴールデンウィークどうするよ?」


 千秋の問いに、夏凛はげんなりと答える。


「さすがに遊んでる余裕なんてねーだろ。……あーもう。勉強したくねーからできるだけアホなガッコ選んだってのに……」

「アホなガッコとか言うな。そのガッコのテストに頭悩ませてるウチらが、もっとアホってことになるだろ……」

「……わりー」

「大変ね~二人とも」


 他人事のように言う冬華に、夏凛は胡乱な目を向ける。


「あたしと似たような成績のくせに、随分余裕じゃねーか」

「確かにテストはめんどくさいけど~、最悪先生方となんとでも――あぁん❤」


 全部言わせるかとばかりに、千秋が冬華にスタンバトンをお見舞いする。


「ダアホ! んなことしたら最悪退学だろうが!」

「あら、ちーちゃん? ワタシのこと心配してくれるの~?」


 スタンバトンの出力を押さえているからか、それともスタンバトンをくらいすぎて耐性がついたのか、電撃をくらった直後なのに当たり前のように訊ねてくる冬華に対し、


「心配するに決まってんだろ。なんせダチだからな」


 即答する千秋に、冬華は目をぱちくりさせる。


「ちなみに、あたしも心配するからな。だから退学なんてぜってーすんなよ」


 夏凛も、ドストレートな言葉を投げつける。


「……ちょっと待って……ほんと~にちょっと待って……」


 存外正攻法に弱いのか、冬華の頬にはちょっとだけ朱が差し込んでいた。目に見えて照れている。


「も~う……ちーちゃんもりんりんもストレートすぎ~。ちょっとは恥じらいというものを覚えなさいよ~」

「おい、今の聞いたか? 夏凛」

「ああ。恥じらいの欠片もねー奴が恥じらいとか言ってんぞ」

「本当にストレートすぎ~……」


 さしもの冬華もガックリと肩を落とす。

 千秋はそんな彼女の肩に手を置き、満面の笑みで言った。


「これでテメェも、ウチらと同じように余裕がなくなったな?」

「いや、さすがに喜ぶような事態じゃねーからな?」

「まったくよ~」


 そんな三人を楽しそうに眺めながら、のほほんと春乃は言う。


「先輩たちって、本当に仲良しさんですよね~」

「そうだね」


 同意する史季の頬には、いつの間にやら笑みが浮かんでいた。

 楽しそうにしている彼女たちを見ていると、こちらも楽しい気分になってくる。

 その感情は、川藤たちにいじめられていた史季にとって、久しく忘れていたものだった。


 不良たちに抗う力をつけてもらっていることも含めて恩返しがしたい――そう思った史季は、一度深呼吸をして心の準備をしてから、ここにいる全員におずおずと提案する。


「あの……勉強はけっこう得意だから、みんなに教えてあげることもできると思うけど……」


 小さく上げた手もおずおずとしている史季に、夏凛たちは目をぱちくりさせてから顔を見合わせた。

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