湖の言い伝え

宵待昴

第1話


曰く、その湖には『願いを書いた紙を湖に沈めると、その願いが叶う』という言い伝えがある。


「何て書いたの?」

少女は、傍らに立つ少年に、無邪気に尋ねた。

「別に。ありきたりなこと」

「ふうん」

湖の畔。

よく晴れた日のことで、この場には二人以外にも大勢の観光客たちがいる。

湖の伝説は有名で、今は観光名所になっているのだ。湖に沈める紙も、溶けて消える特殊な素材で出来ている。試す人間が大勢いたからだ。

「大勢いるな、人」

「そうね。楽しそうでいいじゃない」

大人びた笑みを浮かべる少女に、少年は肩を竦める。二人は、願いを書いた紙を持って、沈める場所まで向かう。湖は、透明で美しい青。願いを掛けたくなるのも、分かるような美しさだ。屈んだ二人は黙って、紙を浮かべる。紙はあっという間に青い水を含み、沈んで行く。底へ落ちきる前に、白く蕩けて消えた。

「なんだか人魚みたいね」

「人魚は泡だろ」

しばらく、紙が消えた後の水面を眺めていたが、どちらからともなく立ち上がる。

「周り、ちょっと歩かない?」

少女が提案すれば、少年も頷く。

湖は周りを歩いて一時間ほどの大きさ。二人はぶらぶらと歩いて行く。

「ここだけは、ずっと変わらないわね」

「観光名所になった以外はな」

少年の言葉に、少女は可笑しそうに笑う。

「ふふ、その通りだわ」

「ーー浪華ろうか

「大丈夫よ、銀漢ぎんかん

浪華は、湖を眺める。遠くを見るような、何かに思いを馳せるような、そんな表情になる。

銀漢は、そんな浪華を目を細めて見ていた。

少年少女の顔ではない。

「ーー幾千年もの間、お前はこの湖で人々と土地を守ってきた。神として」

「銀漢はずっと、人として私の側にいてくれたわね。何度も生まれ変わって。私の役目が終わった時、共になろう、と約束してくれた」

浪華は、真っ直ぐに銀漢を見る。銀漢もまた、浪華の視線を受け止めた。

「もう、待たなくて良いんだな?」

「ええ。私は、見ての通り、人になったわ。ーー貴方と共になる為に。私はもう、神じゃないの」

銀漢は万感の思いで、そっと、浪華の手に触れる。

「なら何故、ここに?」

「貴方と出会った思い出の場所だし、私も一度やってみたかったのよ、願掛け。叶えるばっかりじゃ、つまらないじゃない?」

いたずらっ子のように笑う元神に、銀漢は呆気に取られるばかり。

「きっと、幸運が訪れるわ」

浪華は銀漢の手を取って、穏やかに笑ったのである。



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湖の言い伝え 宵待昴 @subaru59

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