あみだくじ

よっしー

あみだくじ

 介護の事例発表。

 年に一回あるんだけど、面倒だから誰も書きたくなんてない。

 だからだろうね、ヒョロ長で黒縁眼鏡の介護主任が、発表者を公平に決めるべくあみだくじなんてのを作ったのは。

 主任は三十歳とまだ若いんだけど、おばちゃん中心の介護スタッフをまとめるのは大変だと思うよ。なんせおばちゃんたちと来たら、どいつもこいつも始終業務に追われて忙しそうに振舞っててさ、大変だ大変だって文句ばっかり言ってるからね。また困ったことにさ、おばちゃんたちの大変のハードルってのがめっちゃ低いんだよな。ちょっとした業務だって、おばちゃんにかかれば大変になっちまう。で、文句を垂れ流すってわけだ。それを聞くのは、もちろん主任の役目。僕なら間違っても願い下げな文句だって、ちゃんと聞かなくちゃならない。

 そんなおばちゃんたちが事例発表者に選ばれたりでもしたら、大騒ぎするだろうってことだけは間違いないね。余計な業務を増やしたくないんだ。変化を嫌うんだよ。

 中でも「般若の相崎」。こいつに当たりでもしたら大変だ。般若は三十四歳の女性非常勤職員なんだけど、発言は誰に対しても上から目線、ビシビシと自信満々にダメ出しや指図するその姿般若の如し、誰だってこんな奴とは決して一緒のシフトに入りたくなんかない。

 僕だって、般若と一緒にシフトに入った日にゃあ、そりゃあかまされる。こないだなんて、僕が婆さんに入れ歯をはめようとしてたらわざわざやって来て、まるでお前なんかに任せてられないとばかりに入れ歯を奪い取ったんだ。

 これには、まったくめげたね。実際の話し、泣きそうですらあったよ。あの時子供みたいに、「般若が入れ歯取った~!」ってワンワン泣けば良かったとすら考えちまったね。般若といたら、自分がダメ人間のように思わされちまうんだ。般若が自分をパーフェクトヒューマンだと思うために、僕が利用されてるって感じかな。どこにでもいるだろう?そんなパーフェクトヒューマンがさ。まったくいい加減にして欲しいよ。今度、本当に泣いてやろうかな。

 いずれにせよ、もし般若が事例発表者に決まったとしたら、なんとしてでも文句をつける材料を見つけ出して、クレームをつけるに決まってるんだ。


 恐れていた事態は簡単に起きた。

 見事あみだくじは、般若を事例発表者にしたんだ。

 夜勤明けの主任は、とっくに帰る時間は過ぎているのに一向に帰ろうとしない。フロアの隅っこに立ち、かれこれ一時間くらい、自分で作ったあみだくじをジーッと眺めてる。かわいそうに、どうしようかって考えてるんだろうね。どしようかって言ってもさ、般若にこの結果を伝えるしかないんだけどね。まぁ、考えるだけで恐ろしくて震えちまうんだろうな。なんせ主任は腰抜けだからね。トイレ誘導に行こうとせず、気がつけばゴキブリほいほいみたいに台所に吸い込まれちまうおばちゃんたちに何も言えないんだ。

 主任が般若の相崎に会うのはあさってだ。一体どうなるんだろう?興味を持って見届けようと思ってる。

 

 僕が般若に会ったのは翌日だ。

「あみだくじの結果どう思います?主任が勝手にあみだくじ作って、スタッフの名前も全部一人で書いて、勝手に結果出したんでしょ?酷ないですか?」

「酷いですね」 

 無難に合わせておいた。処世術って奴だ。突き出した顎と細い目が怖い。

「でしょ?私、今回のは出来レースで、最初から私に事例を書かせようって主任が仕組んだって思ってるんですよ」 

 めちゃくちゃ言ってるよ。主任がそんなことするわけがないじゃないか。だから昨日の朝、そこの隅っこに突っ立て、ジーッとあみだくじを眺めてたんだ。まったくこいつに、昨日の哀れな主任の姿を見せてやりたいよ。


 二日後のスタッフルーム。

 机の上の連絡ノートには、新しいあみだくじがあった。疑問に思った僕は、早速主任が書いた文章に目を向けてみた。

「新しいあみだくじに名前を書いて下さい。正職員は二つ、非常勤は一つです。事例を書くのは常勤であるという風潮がありますが、誰でもやらなくちゃいけなくて・・・」

 その後、事例のヒントだの、僕がフォローするだの、クドクド書かれていたんだけど、要するにやり直しだ。あの腰抜け野郎は、まんまと般若に言いくるめられてやがったんだ。

 新あみだくじは、必要な数だけ縦線が印刷されていて、横線は後で自由にスタッフが記入するシステム。当たりは折りたたまれ、両端にホッチキス、真ん中にはセロテープで止められてある。

 般若にこっぴどくやられたんだろうな。今度のは公正そうに見える。

 発表は三日後だ。僕も自分の名前を二つと、横線を一つ書いておいた。


 発表前日。

 僕の勤務は夜勤だ。

 午前四時、スタッフは僕一人だけ。頭を巡るのは、やっぱり般若とあみだくじだったね。言いがかりをつけたからって、事例発表を免れるなんてさ、腹が立つじゃないか。

 となると、行動に出るしかないよな。僕は立ち上がって、スタッフルームへ向かった。新あみだくじの当たり部分を開けてやろうってわけさ。バレないか心配になったんだけど、般若の思い通りにさせるわけにはいかない。もし、般若以外のスタッフに当たっていたら、横線を足して、般若を当選させてやるつもりさ。

 閉ざされた当たりのセローテープとホッチキスを確認する。大丈夫、元に戻せる。そう判断した僕は、セロテープを慎重にめくり、ホッチキスを外した。当たり部分を開き、当たりから指でなぞって行く。

 当たりは、見事僕に行き着いた。何度やっても辿り着いた。

 危なかった。どうして般若の変わりに、僕が事例発表を書かなければいけないんだ?メラメラと怒りが沸いて来た僕は、もちろん般若が当選するよう横線を足してやった。

 バカめ、ごねたら自分の思い通りになるなんて思うなよ。

 慎重に、同じ位置にホッチキスを押し、セロハンテープを貼った。後は知らぬ存ぜぬさようなら。ざまぁみろだ。


 二日後。

 職場に向かいながら、おかしくてしょうがない。般若は新あみだくじの結果が再び自分になったと知って、今度はどうごねたんだろうね。考えただけで笑えるじゃないか。

 スタッフルームの机の上には、当たりが開かれた新あみだくじがあった。

 それを見た僕は驚いた。本当に驚かされたんだよ。

 僕の名前に、黄色の蛍光ペンでマルがしてあったからさ。ご丁寧なことに、当たりから、あみだの線を赤のボールペンで辿った跡だってあったよ。どうしてこんな結果になるんだ?

 あれから誰かが線をつけ足したのか?

 立ちつくす僕は、二日前僕が帰った後に起こったであろう出来事に思いを馳せた。

 あの日の出勤者は主任と、後二人は誰だったっけ?

 すぐに思い出した。どちらもたまにしか来ない、あみだくじの頭数に入っていないスタッフだった。自分にまったく関係ないんだからさ、そんな二人が横線を書き足すわけがないじゃないか。横線を書き足すとしたら主任しかいないってわけ。般若が再び当選したと知った主任が、横線を足して僕に辿り着くようにしやがったに違いないんだ。絶対にそうに決まってる。

 当たりを開けるのだって、主任一人にさせちゃ絶対ダメだったよな。きっと主任は、二人と同じシフトだった二日前を狙って、新あみだくじ結果発表の日にしたに違いないんだよ。主任と同じシフトだった二人が、当たりを開けるのを立ち会わせろとか言うわけがないからね。もし般若に当たっていたとしても、一人で当たりを開けて横線を足せば良いってわけだ。

 いやはや驚かされたよ、なかなか綿密な計画じゃないか。腰抜け度合いもここまで来ると天晴だよ。そもそもこんなイカサマなあみだくじを良くぞ思いついたなって話しだよ。後で横線を足せるのだからさ、いくらでも操作できるじゃないか。僕がしたみたいにさ!

 公正というのなら、答えを知らないスタッフが、線の先にそれぞれ名前を書くだけで十分だったんだ。あみだである必要がない。いや、むしろそうでなければいけなかったんだ。後から横線を足せるなんて、なんというまやかしの公正感だろう!不正の余地あり!いや、間違いなく不正している!この僕が言うんだから、絶対間違いない!

 主任に訴えようか?

 僕は考えたんだけど、それは難しいように思えた。主任が横線を足した証拠があるわけじゃないしさ、訴えるも何も、そもそも先に僕が不正をしたから、新あみだくじのカラクリに気づいたわけで――。

 二日前の朝、僕が立ち会いの元で、主任に当たりを開けさせとけば良かったんだ。後悔は尽きなかったんだけど、まさか不正野郎がもう一人いるなんて思わないじゃないか。めげるよな、まったく。あの腰抜けの不正野郎――。 

「おはようございます」

 その時、晴れやかな主任の声が聞こえて来た。 

 本当は心の底から抗議してやりたかったよ。考えてもごらんよ、僕が事例発表を書く道理なんてないじゃないか。

 でもさ、僕は抗議しなかった。

 腰抜けだから?それもあるかもしれない。得意の処世術?それもあったろう。

 でも一番の理由は違うんだ。抗議なんてしたら、あの般若と同じになるってのが嫌だったんだ。

 当たりを開けて般若に天誅を与えてやろうとした僕だけどさ、般若みたいなクレーマーになるのだけはごめんだ。そこの部分だけは譲れない。あんなのと同じような人間になるのだけは嫌だ。だったら事例発表をした方が遥かにマシというわけさ。

 こんなろくでもない僕にだって守らなければいけない部分はちゃんとあるんだよ。損するとか得するとかより、大事にしなきゃいけない部分はちゃんとあるんだよ。



 

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