人工現象
大西ずくも
一段落
1話 無意識
人は誰もがいずれ、信じたくない現実を目の当たりにするだろう。
そんなネガティブな考えをしている僕は、常に信じたくない現実というのを目で見ている。決して、見ようとしているわけではない。
それが大半の人には見えないと気づいたのは幼い頃。近所のやんちゃな男の子が、僕とよく遊んでいた友達をすり抜けたのだ。いま思い出してもつらい光景だった。
その者達を信じたくない現実と捉えるようになったのもこの頃だ。
そんな回想をしながら僕が待っているのはバイトの先輩で、ここは駅前の喫茶店だ。店長が少々厳ついからか、あの者達は滅多に来ない。
先輩が通っている大学の後輩とどうしても会ってほしいと頼まれたので、渋々会うことにした。待ち合わせの時間はとうに過ぎているが、いつものことなので何とも思っていない。
四人用のテーブルを一人で牛耳っているのを少し申し訳なく思っていると、チリンとドア付近についたベルが鳴いた。すると、二人の女性が店内に入ってきた。そのうちの一人は見知った顔だった。
「ごめーん、藤井君。待った?」
そんな平謝りをする彼女に僕は、
「いいえ、そんなことないですよ先輩。つい30分前に来たばかりです」
嫌味丸出しで返事をした。
「もう、そんなだから私にフラれるんだよ?」
「告ってすらないし、フラれたつもりもないですよ」
相変わらず適当なことを言うひとだ。
「あっ、この子が前に話した大学の後輩のサキちゃんね」
「は、はじめまして。妹尾さきです」
元気な子だと聞いていたが、やけに大人しいな。
「初めまして、藤井まことです。元気な方だと聞いていましたが、随分とおしとやかなんですね」
「サキちゃんはいま悩みを抱えててね。その事について相談したくて藤井君を呼んだの」
「僕はそんな人の悩みをほぐせるような人間じゃないですよ?」
どちらかと言えば、より絡ませる方が得意なくらいだ。
「まぁまぁ、今回の件は藤井君の得意分野だと思うから」
面倒がっているのがバレたな。
「何です? 僕の得意分野の悩みというのは」
「それはね」
「あの。私の方から話をさせてください」
やっとまともに喋る気になってくれたか。
「ええ、もちろんいいですよ。でもその前に飲み物でも頼みませんか? ここの紅茶は美味しいですよ。すみません。紅茶のお代わりをお願いします」
「じゃあ私も紅茶をください」
「私はカフェラテと、このパフェを一つ!」
相変わらず遠慮のないひとだ。
「それで、悩みというのは?」
「はい。一週間ほど前から毎晩、金縛りのようなものに遭って……朝方になると治まるんですが、息が苦しくなるときもあって。お医者さんに診てもらっても何も異常が無いらしいんです」
「なるほど。ところで先輩、確かに僕は寝るのが早いですが、得意という訳ではないですよ」
「違う違う! 寝付けじゃなくて、金縛りの方だよ」
「縛るのも結ぶのも苦手なのは先輩もよく知ってるでしょ」
「確かにバイトで教えた時はビックリしたけど、そうでもなくて金縛りなんだから! どう考えても幽霊でしょ!!」
店中がしーんと静かになった
「お待たせしました。紅茶二つとカフェラテ。それといちごパフェです」
「ありがとうございます。すみません、静かにしますので」
「どうぞ、ごゆっくり」
すーっと店員さんがキッチンの方へと戻った。
温かい紅茶を手にとる。その手の小指が意識せず立っていることに気づいた。
「さあ、急いで食べて下さい。さっさと帰りますよ」
「えぇ! サキちゃんのことはどうするの?」
「先輩が泊まりに行ってあげたら良いじゃないですか。」
「幽霊来たらどうすればいいの? そうだ! 藤井君も一緒に泊まればいいんだよ。そしたら、幽霊来ても大丈夫だし」
それはそれで大丈夫じゃないだろ。
「妹尾さんが困るでしょ」
「私は、藤井さんも居てくれた方が心強いです」
え?
「よし、じゃあ今からサキちゃんちに泊まりに行こう! さぁ、お会計するよ」
「お会計ってもまだパフェが」
綺麗に平らげている。いくら先輩が食べるのが速いからって流石に。
僕の隣に座っている半透明の女の子の口まわりには生クリームが付いていた。この店に来て先輩の食べ物を横取りするなんて、どれだけ怖いもの知らずなんだ。
「ええ、お会計しましょう」
先輩ぶりたいとのことなので、ありがたくご馳走になった。
「藤井さんは本当に見えるんですか? その、幽霊とか……」
「うーん。別に見たい訳じゃないんだけどね」
「そうですよね。幽霊というのはやっぱり見た目も怖いんでしょうか?」
「怖いのもたまにいるけど、ほとんどは普通の人間と同じ見た目だよ。ちょっと薄く見えるだけで」
「私に金縛りをしているのも、ただの幽霊なんでしょうか?」
「ただの幽霊かどうかは分からないけどね」
先輩が店から出てきた。
「先輩、ご馳走さまです」
「うん、お待たせ! じゃあ行こうか」
妹尾宅の最寄り駅まで電車で移動する事になった。にしても、急にお邪魔して迷惑にならないだろうか。
「実家から離れて、一人暮らししているので、全然大丈夫ですよ」
むしろ大丈夫じゃないのではと思ったが、当人が言うので大丈夫なのだろう。
「着きました。この建物です」
そこはいかにもな一人暮らしの大学生が住むようなアパート。ではなく、最上階まで階段で登るには、若者でも足腰に効きそうなほど立派なビルだった。
「おおー、ご立派だね」
「一人暮らしにしては随分と大きい家ですね」
「一部屋だけですよ! お父さんが入学祝いにと買ってくれたんです」
なかなか思い切りの良いお父さんだ。
中に入ると厳重そうなセキュリティで、当然、エレベーターもある。
「ここです、どうぞ入って下さい。少し散らかっているかも知れませんが」
「お気になさらず、お邪魔します」
「おじゃましまーす」
外観に劣らず中もご立派だ。三人家族でも広々と住めるだろう。
「適当にくつろいで下さい。私はシャワーを浴びてきます」
「藤井君は私が見張っとくからごゆっくりー」
そう言って、キョロキョロしている僕を先輩がジロリと見つめる。
「どう? 居た??」
「居ないですね。寝室に隠れているのか、夜中になると現れるのか」
「簡単にはみつからないかー。なんで金縛りにするんだろうね」
「案外、単なるイタズラかもしれませんよ。もしくは怨みをかっているかも」
ただの幽霊ならまだありがたいんだけどな。
「そんな人がいるのかな? サキちゃん凄くいい子だよ」
「いい子ですか。どの時代もどこで怨みをかうかわかりませんからね」
そんな知ったようなことを言いながら昔、母が言っていたことを思い出した。あれは僕が、10歳の頃だろうか。友達だと思っていた子に裏切られたときに、慰めるつもりで言ったのだろう。
「いいかい、まこと。今までもこれからも良い人っていうのは何処にも居ないんだ。良い人だと思ったそいつは、悪いことをした過去を隠しているかもしれないし、これから悪いことをするかもしれない」
「でも、そんなの、分かりっこないよ」
「そうだね。人ってのは一度悪いことをしちまえば、ずっと悪人としてみられちまう。あんたの中で、その子はもう立派な悪人かもしれないけど、仲良く遊んでいたときもあったって事を忘れちゃいけないよ。どんな悪人でも良いことだってするもんだ」
母がなにを伝えたかったのか、当時はよく分からなかった。それでも不思議と母から言われた言葉の数々は、いまでも心のなかに残っている。
ガシャンと何かが崩れるような音がした、浴室からだ。
「先輩! 先に様子を見てください!」
「わかってる、あんまり覗いちゃだめだよ!」
先輩が勢いよく開けたドアの先には、ぼやけた影がこちらを向いていて、その後ろには妹尾さきが倒れていた。
「まじかよ、これはちょっと予想外だったな」
そのぼやけた影の顔を見てみると、そこにはくっきりと見慣れた自分の顔が写っていた。
「どういうこと!? 藤井君が犯人だったの?」
「そんなわけないですよ!」
僕の生き霊か? そんなの作った覚えは無いが。それに先輩にも見えている。
感情が大きく揺さぶれたとき見えることがあると、話には聞くが。
『おマエが、ホンモノか?』
「あんたに偽物だっていう自覚があるなら、僕が本物だろうね」
『ならタオす』
先輩を無視して、僕に向かって一直線に突っ込んできた。
「ぐはっあ……せんぱい、せのおをおねがいします」
「任せて! 藤井君も気を付けてね」
運動神経に関しては僕を超えてるんじゃないか。
「何故こんなことをするんだ?」
『オレが、ホンモノになる』
それがこいつの目的か。
「本物になりたいなら、本物らしく話し合いで事は済ませよう。僕ならそうするぞ」
『くっ、ワかった』
話が通じるだけで充分だ。
「あんたの目的は本物になりたいだけか?」
『ホカのメイレイはスデにカンリョウしている』
なるほどな、自分の意思で動いているのではなく、ただの操り人形か。と言っても流石に野放しには出来ないな。
「なら僕にとり憑かないか?」
『は? ナニをイっている』
「僕の側に居て本物になるための勉強をしなさいって事だよ」
『おマエにナンのトクがある』
「こうやって襲われるよりは、全然マシだ。ずっとは構ってやれないけど、夢の中でだったら少しは構ってやるよ」
『だから、そんなことをしてもおマエに』
「いいか? 僕は損得だけで動くような人間じゃないんだよ。それにあんたは幽霊としても、藤井まこととしてもまだ赤ん坊だ。それを放っておく訳にはいかないだろ」
『とんだおヒトヨしだ』
もうひと押しか。
「こんなやつに成らないといけないんだ。それくらいのハンデがあってもいいだろ。で、どうするんだ?」
『……ワかった。おマエにトりツく』
ちょろい赤ん坊だ。命令に従順で最短ルートを行くようじゃ、まだまだ僕にはなれないな。この調子なら問題なくコントロール出来るだろう。
「うっ……」
身体のなかに異物が入ってくるような。鼓動が速くなり、それが全身に混ぜられるような感覚になった。
「ふぅ、山場は越えたかな。妹尾は……」
取り憑かれるのも体力が消耗されるんだな。
「藤井君! 大丈夫!? あのぼやけた藤井君はどうしたの?」
「ああ、大丈夫ですよ先輩。追っ払いましたから。それよりも妹尾は?」
「うん、大丈夫。意識が戻ったから藤井君を見に来たの」
「そうですか。先輩、今回はちょっとがんばったので、ごほうびを、ください」
「うん、いいよ」
あ、目蓋がおもい。よくない。せんぱいのまえなのに。しんぱいさせちゃ、いけない。
「すこし、ねます」
「うん、お疲れさま」
目の前が明るくなった。そこは、僕の部屋だった。しかし、端々がぼやけている。一人用の小さなちゃぶ台を挟んで向こう側には、鏡写しのようにあいつが座っていた。
『ズイブンとチンプなヘヤにスんでんな』
『すぐ慣れるさ』
『まぁな、こうやってアいにキたってことは、ハナシがあるんじゃないのか?』
『ああ、長い付き合いになりそうだから、色々と聞いておこうと思ってな』
『おう、なんでもキけや』
『あんたを作ったのは誰だ? あと命令は他には何があった?』
『ハナすわけないだろ。ダレのニセモノだとオモってんだ』
『僕なら話すぞ』
『ウソだな』
『ちっ……適応するの早すぎだろ。まあいいや、もう会いに来ないし』
『おう、いつでもアいにコいよ』
立ち上がって、部屋の扉に手を掛けた。
『そうか、妹尾さきか』
あいつはぴくりと一瞬表情を変え、何も言わなかった。少し成長したとはいえ、まだガキだ。
『ああ、また来るよ』
ドアノブを回し、扉を開けた。いつものように、いつもよりご機嫌に。
身体が揺れている。目蓋を上げにくい。この匂いは、
「……先輩」
「起きた? 藤井君、意外と重たいんだね」
「何してるんです?」
「何ってご褒美だよ、ご褒美のおんぶだよ。あ、もしかして嫌だった?」
そういえば、ついそんなことを言ってしまったな。
「いいえ、最高のご褒美ですよ。ありがとうございます。でも、少し恥ずかしいので降ろしてください」
「そう? 気を付けて降りてね」
先輩はそう言って僕を降ろすと、腰に手を当てて、伸びをした。
「先輩、聞きたいことがあるんですけど」
「ん、なに?」
「妹尾に僕のことをいつ話しました?」
「んー、一ヶ月くらいまえかな。オカルト的な話でちょっと盛り上がってね」
なるほどな、でも何がきっかけなんだ。
「実はそのときに、流れで藤井君が色々見えることを話しちゃったんだよね。そしたら会ってみたいって言われたけど、藤井君ってそういう面白がられるの嫌そうだから断ってたの」
やっぱりあいつが生まれた原因の大元は妹尾さきか。
「藤井君の偽物が出てきたのって、もしかして私のせいかな」
先輩のこういうところは本当に鋭い。
「先輩だけのせいじゃないですよ。僕も妹尾も入れてみんなのせいです」
「藤井君は優しいね」
「優しい?」
『まことくんはやさしいね』
あの子の声が頭のなかで響いた。
「違います、ただ甘いだけです」
苦い過去を思い出しながら、戒めるように口に出した。
「……そっか。あ、私はこっちだから。今日はありがとうね」
先輩は僕とは別の帰路を指差した。そういえば前に、家まで送りますよと言ったら、「そういうのは大丈夫だよ」って言われたな。
「はい、これからは僕に出来ることがあってもなるべく頼らないでください」
「まーたそういうことを言う。じゃあまたバイトでね」
「はい、また」
そう言って、先輩の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
やはり今からでも、妹尾さきの様子を見に行くべきだろうか。いや、僕に出来ることは全てやった。
問題なのは、僕のなかに仮住まいさせているあいつの方だ。命令も完了しておらず、生みの親である妹尾が主権を破棄していない。それどころか、妹尾は僕の偽物を作ったことすら知らないだろう。
無意識の産物だ。無意識に形作り、先輩が写真で見せたであろう僕の顔を埋め込み、無意識に命令した。自分を金縛りにさせろと。
すべては僕と会うきっかけを作るために。
オカルト好きということらしいから、半端な知識は持っていたのだろう。今から行って問い詰めても、知らないのだから仕方ない。知らないのなら、知らないままの方が良い。
むしろ、また変なことをしないように監視が必要になったな。
今度会ったら、知人にでも指差して、「見えるか? あれは幽霊だからすり抜けられるぞ」と言って突っ込ませるイタズラを思いついたところで、家に着いた。
「ただいまー」
『『おかえり』』
生身の人の返事はない。居候どもの返事だけだ。僕の部屋には入ってくるなよと、忠告してから扉を開けた。
自室に入ると同時に、僕の影から薄い影が浮き立ってきた。
「なんで勝手に出てこられるんだ」
『僕の部屋なんだから当たり前だろ』
「僕の部屋には入ってくるなと言ったろ」
『入っていない、部屋に出てきただけだ』
まったく、こいつは誰に似たんだ。
「もういいよ、静かに勝手にしろ」
部屋を暗くし、布団にころんだ。明日の朝を迎えるために。
あいつが言うには、起きるまでずっと右手の小指が立っていたらしい。
そろそろ、約束を守らないとな。
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