やぶさかではない藪坂さんと、加減ができない下高くん
FUKUSUKE
第1話 席替えもやぶさかではない
新学期の朝は、いつもより少し早めに目が覚めた。
「まあ、いつも通りか」
自分に言い聞かせるように呟いて、強は玄関を出た。
二年A組の教室に入ると、すでに半数以上の生徒が集まっていた。今日は席替えの日だ。クラスメイトたちの間では、誰の隣になるかという話題で持ちきりだった。
強は静かに自分の席に向かった。彼の周りには、いつものように確かな距離感があった。強はそれを不思議とも思わなかった。自分の不器用さが、自然とそういう空気を作り出すことを、彼は知っていた。
「えーと、下高君は……」
担任の声に、強は我に返った。クジを引く番が来たようだ。おずおずと前に出る強の手は、やや震えていた。
「37番」
紙を開いた瞬間、強は思わず力を入れすぎて、紙を少し破ってしまった。クラスメイトの間から小さな笑い声が漏れる。強は頬を赤らめながら、新しい席に向かった。
窓際の席だった。隣には……。
「あの、
濡羽色の髪をまとめた少女が、すでに席についていた。
最初の授業は国語。強は机の中を探って、凍りついた。
教科書を忘れていた。
心臓が高鳴る。隣の梨代に声をかけなければならない。でも、どうやって?
強は深く息を吸って、おそるおそる体を横に向けた。その時だ。机が大きな音を立てて動いた。慌てて机を押さえようとした強の手が、さらに状況を悪化させる。机は床を摺るように動き、不協和音をたてる。教室中の視線が強に一斉に集まった。
「ご、ごめん!」
強は慌てて謝った。梨代は少し驚いた表情を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
(不器用な子だけど、面倒を見るのはやぶさかではないわ)、と梨代は思い、「大丈夫よ」と言った。
その声は、強が想像していたよりもずっと優しかった。
「あの、その……国語の教科書、忘れちゃって」
言葉につまりながら、強は事情を説明した。梨代は一瞬考えるような仕草を見せたが、「じゃあ、一緒に見ましょう」と返事をした。
その言葉に、強は思わず顔を上げた。
(教科書をみせるくらい、全然やぶさかじゃないわ。藪坂だけど……)
ふと自分の中で浮かんだダジャレに、梨代の横顔には、はにかむような笑顔が浮かんでいた。
「藪坂さんって、優しいんですね」と、強は言いながら、机を動かした。
ガンッ!!
しかし、力加減が下手な強は自分の机を梨代の机にしたたかにぶつけてしまい、大きな音を立ててしまう。
「ごめん……」
「気にしないで」
梨代の返事は変わらず穏やかだった。
(この不器用な男子を特等席でみられるんだから、全然やぶさかじゃないわ。藪坂だけど……)
梨代は再び頬を緩めると、二人の間に教科書を置いて開いた。
梨代は隣の席になった不器用な少年の存在が、これからどんな風に自分の日常を変えていくのか、まだ知る由もない朝だった。
※「やぶさかではない」は「喜んで~する」「積極的に~する」という意味です。「まんざらではない」と間違えて使われることも多いですが、ご注意ください。
全六話構成になっています。
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