パラレルワールド ラプソディ

サバ太郎

もう一つの日本

第1話 ピンククラウド

「あのー、飯田さん、スタジオって今回は丸一日借りるんですよね?だとするとこの金額って変じゃないですか?」


「え? ああ、そう・・・かな?」


「あとヘアメイクさんとスタイリストさんの入り時間ですけど、これじゃ撮影に間に合わなくないですか?」


冷汗が出た。

まずいな、何て言い訳しよう・・・俺の頭の中は猛スピードで言い訳を検索し始める。


「あー、そ、そうかもねぇ・・・いやぁ、ちょっとバタバタしててちゃちゃっと作っちゃったもんで・・・今日中に直してメールしておくわ、申し訳ない!」


まただ。

また後輩に間違いを指摘された。


神保町にある広告代理店。俺は三流大学を卒業してここに就職してもう7年になる。

社員40人足らずの会社だが、俺が入社した時は社長を含めてわずか7人の会社だった。

ここ数年で何回か倒産しそうになったが、それでも何とか持ちこたえて今では小さな雑居ビルのワンフロアを借りることが出来るくらいの規模になった。

俺と同期で入社したのは他に2名。

現在、1人は制作部の部長、もう1人は営業部の部長になった。

そして俺は・・・


未だに平社員。もう、マゴウコトナキ『平社員』


一応7年間の実務経験があるので広告制作時の見積もりや総合的なディレクションを任される事が多い。が、必ずと言っていいほどミスをしてしまう。

今日も先ほど指摘された見積もりと、広告撮影の段取りの修正で帰ることができない。


そう、俺は仕事ができない男。


ウチの会社の人間は皆わりといいヤツで、こんな俺の事をバカにしたり嫌味を言うヤツは居ない。

でもそれだからこそ「ああ、みんな普通に接してくれるけど内心は俺の事バカにしてるんだろうな・・・」なんて卑屈に考えてしまう。

そんな自分が嫌で、また落ち込んで・・・の繰り返しだ。


何とか修正が終わってメールを送り、23時過ぎに会社を出た。

金曜日の夜だからか、飲み会帰りの浮かれたサラリーマン達が居酒屋の前で大声で盛り上がっている。

その光景を横目に、俺はカバンから一通のハガキを取り出してポストに投函した。

そのハガキは高校時代の友人の結婚式の招待状だ。

30歳ともなると、周りの友人たちはどんどん結婚して家庭を持つようになる。

今の自分には結婚なんて途方もなく遠い別世界の事のように思えた。

付き合っている彼女も居ないし貯金もほとんど無い。

何より今の仕事がこんな調子じゃ、家庭なんか持てる自信が無い。

つーか、正直言って今の仕事が毎日辛くて仕方がない。

会社辞めたい!って10分置きくらいに考えてる。

でもそれはみんな自分のせいなのだ。

分かっている。

分かっているから、どうしたら良いのかわからんのだ。


神保町から半蔵門線に乗り、青山一丁目で大江戸線に乗り換える。アパートのある中野坂上駅に着いたのは日付が変わる10分前だった。


「腹減ったなあ、どこで飯食おうか」


駅のそばには牛丼屋やコンビニがあるが、ほぼ毎日どちらかに行っているので飽き飽きしていた。

特にコンビニの弁当なんて思い浮かべるだけでげんなりだ。


「そう言えば小滝橋通りに新しいラーメン屋がオープンしたんじゃなかったか?」


俺はアパートから二つ手前の角を左に曲がって小滝橋通り方面へ歩いて行った。


角を曲がってからしばらく歩いた時だった、何か甘い香り、何と言ったら良いか、メープルシロップの様な香りがほのかに匂ってきた。


「どこかでホットケーキでも作ってるのかなあ?そう言えばホットケーキなんてもう何年も食ってないな」


そんなことを考えながらふと前方の空を見ると家々の屋根越しの向こう、彼方の空がピンク色に光っている。


「なんだありゃ?」


火事か?いや、火事ならもっと赤っぽい色だろうし・・・何かのイベントでもやってるのか?

でもあの辺にイベントができる場所なんて無いと思うけどなあ・・・


そう思った瞬間、身体が宙に浮いた。いや、本当に浮いたのかどうか分からないが、何かものすごい力でいきなり身体が真上に引っ張られたのだ。

目の前の景色が歪んで上下左右の感覚が分からなくなった。

と思ったら次はとてつもないスピードで落ちていく感覚、まるでジェットコースターが下るときのような強烈な落下感に襲われた。

空間感覚の無い中で眩暈と吐き気に苛まれながら

「あー、きっと車にでもはねられたんだな、俺、きっと死ぬんだろうな」

なんて考えていた。

こんな状況なのにどこか冷静だった。


何分くらい経っただろう? 気が付くと立膝をついて道端のブロック塀に顔面からもたれ掛かっていた。

心臓がいままで経験したことないくらいバクバクしていてスーツの下のワイシャツは汗でびっしょりだった。


「あー、俺、死んでないんかな?」


どうやら幸いにも無事なようだ。

身体に痛みもないし、怪我もしていない。


「何だったんだよ、俺、ヤバい病気なんじゃないか?」


不安になってきた。

いきなり道端で何の前触れもなくあんなふうになるなんて、かなりヤバい。

今回は周りに人が居なかったからいいけど、これが通勤途中の地下鉄の中だったりしたら大騒ぎになってしまう。


しばらくすると動悸と吐き気も治まった。

まだワイシャツは汗でベトベトだったが、先ほどの出来事が嘘のように気分はスッキリしている。

俺は脇に転がっているカバンを拾うと再び歩き出した。


前方の空を見ると、先ほどのピンク色の光は消えて夜空が広がっている。

でも何となく周りが暗いのだ。

もちろん真っ暗なわけではないが、街灯や家々から漏れる光が微妙に暗いような気がする。


「ヤバイ、さっき頭でも打って視力が変になったか!?」


最初はそう思った。けど確かにいつもより町の中が暗い感じがするのだ。

そして得体の知れない妙な違和感。


この道は数年前に整備されてクリーム色の石畳が敷かれた歩道が両脇に続いているはずなのだが、今自分が歩いている道には歩道など無く、ただのアスファルトになっている。

右側には半年前に完成したグレーの外壁のこじゃれた大きなマンションがあったはずだ。でもそこには大きなタンクのような建造物が建っていた。

そして何よりも不気味だったのは、あのメープルシロップのような甘い匂いが立ち込めていることだ。

どうやらその甘い匂いは数十メートルおきに設置されている街灯辺りから匂ってきているようだった。


「変だな、道に迷ったか?」


俺は今のアパートに引っ越してきてからかれこれ4年になる。

この辺りは細々とした道も多いが、しょっちゅう自転車で走り回っているので道に迷うなんて事は考えにくい。

俺はカバンからスマホを取り出し、グーグルマップを起動してみた。


「GPS 信号が失われました」


え?え?なに?どうなってんの?

なんで東京の新宿区でGPS受信できないの?

スマホ壊れたか?さっきの出来事でスマホ壊れたか?先月買ったばかりなのに!

試しにブラウザを立ち上げると


「インターネットに接続されていません」


友人に電話してもメッセージが流れるどころかツーともプーとも言いやしない、無音のままである。


「あーあ、スマホぶっ壊れちまったよう」


かなり凹んだがどうしようもない。

ラーメンは諦めてアパートに帰るか・・・帰って冷食でもチンして食えばいいや・・・

俺は来た道を帰ることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る