第2話 ギリギリの彼方

「そっとしておいてくれ。

明日に繋がる今日ぐらい…」


女から視線を外した後、いつもより若干低めの声で呟くと俺は駱駝色のトレンチコートの襟を立てた。


完璧に決まったな…

声は銀河万丈風に聞こえたハズだし、女から視線を外すタイミングと台詞との間、トレンチコートの襟を立てるタイミング、全て完璧だ。

これでこの女は今世紀最後のプレイボーイであるこの俺、シロタンこと風間詩郎の虜だ。

しかし、まだだ…


女へ斜めからの視線、俺必殺の流し目を送る。

俺の流し目は杉良太郎の流し目に匹敵する。

これで落ちなかった女はいないほどの最高かつ至高のフィニッシュホールドだ。


俺愛用の古田敦也モデルの眼鏡の銀フレームがキラリと光る。

俺は眼鏡を外し、


「俺を引き留めたいのなら、もっと俺を感じてからにしてくれ。


話はそれからっ」


下りていた夜の帳が一転、俺は真夏の太陽のような白日の元に晒された。

俺の真のフィニッシュホールドとも言える最強かつ至高の決め台詞の途中に誰がこんな事をしやがったのかっ!

怒りが湧き上がり、俺の名場面をぶち壊したやつの正体を見てやろうとするのだが、眩しくて瞼を開けることが出来ない。

鼻腔の奥に何かの匂いが入ってきた。

消毒のような匂いだ。

瞼越しの光に段々と慣れてきて、俺は少しずつ瞼を開ける。


そこには俺を覗き込む顔。

一人ではない。

何人かの顔。


「シロタン!やっと意識が戻った!

栗栖、先生を呼んできてくれ!」


その声はクロこと黒岩の声だ。

クロのその声に呼応し、俺を覗き込む人の顔が一人減った。


俺は覗き込む顔を一人ずつ見ていく。

どれも見覚えのある顔。

近くからクロ、糞平、榎本、妻殴り、そしてパリス。

一人減ったのは栗栖だろう。

それよりもだ。

何がどうなのわからない。

俺は何をしているのか?

俺はどこにいるのか?


「ここはどこなんだ?俺はここで何をしているのか?」


「シロタン、ここは病院だよ。僕達は通学途中のバスで事故に巻き込まれたんだよ。」


クロが言うにはここは病院らしい。

俺は…

俺は仰向けになっている。

ベッドの上のようだ。

どこか薄く曇っているような記憶を呼び覚ます。


そうだ…

俺は通学途中だった。

バスに乗っていたんだ。


そうだ、俺はパリスの野郎に制裁を加えようとしてたのだ。


「パリスっ、貴様っ…」


語気を強めたはずなのに声が思うように出ない。

起きあがろうとしても身体が思うように動かない。


「シロタン、君は大怪我をしたんだよ。」


クロが起きあがろうとする俺をなだめるかのように肩を抑える。

しかし俺はクロの手を振り払い、なんとか上体を起こす。

そこで見えた光景に俺は思わず息を飲んだ。


俺は両足とも膝下から爪先までギプスで固められているのだ。


「こっ、これはどういうことなんだ?」


「シロタン、君は両足の膝から下を骨折したんだよ。」


俺の疑問にクロが答えた。


「これで済んだんだから、まだ良い方だよ。

バスの乗客には亡くなった方もいるし、高梨は、高梨は…」


クロが顔を伏せ、嗚咽し始めた。

そう言われて顔を見回すと高梨がいない。


「高梨はどうした?」


「たかなしくんはアイシーユーにいるよ。」


独特なトーンで話す奴、こいつは妻殴りだ。

妻殴り、こいつはブラックファミリー、1番の危険な男だ。

高校生にしてハゲ散らかし、細かくウェーブのかかった髪を後に流しリーゼントのようにしているのが目印だ。

しかし圧倒的に髪が薄いせいでリーゼントがリーゼントに見えず異様なのだ。

ハゲ散らかすというものを具現化したかのような頭髪も個性的であるのだが、なによりも妻殴りを妻殴りと言わんとすることがある。


目つきだ。


奴の目つきは何よりも危険な光を放つ。

例え嫁であろうと幼児、赤子であろうと問答無用、容赦無い攻撃を加えてきそうな目つきをしているのだ。

そう、妻殴りという異名は嫁を殴りそうな人相をしているから付いたのだ。

そんな凶悪な雰囲気を放つ妻殴りだが、実際のところ本当に危険なのかと言うとそうでもない。

いや、ただ俺らが知らないだけかも知れないのだがな…


「シロタンの意識が戻って本当によかった!

あとは高梨だけだよ。

高梨の1日も早い回復を祈ろうじゃないか!」


クロが瞼を閉じ手を合わせ、まるで祈ってるかのようなポーズをとり始めた。

クロのこういった行為には毎度のことだがうんざりする。

いざとなったら真っ先に逃げるような奴が…

俺はクロの偽善的発言に被せるように


「俺はどれくらい意識を失っていたんだ?」


「3日ぐらいかな。」


そう言ったのは榎本だ。

高校生にして中年男の悲哀を感じさせる男。

風采の上がらない、という言葉はこの榎本の為にあると言ってもいいほどだ。

榎本の特徴と言えばシークレットシューズだ。

その上底はかなりの極端さで、最早シークレットとは言えないレベル。

ブラックファミリーの誰もがそれを知っているばすなのだが、誰もそれを指摘しない。


俺はいつか、榎本のシークレットシューズがシークレットでないことをファミリーの誰よりも先に指摘してやろうと思っている。


何故そんなことをするのかって?


俺に言わせるなよ…


そのワケを聞きたいのか?

聞きたいのなら、


もっと俺を感じてからにしろ。


話はそれからだ…


まぁ、いいだろう。

今回は特別だ。

男には敢えて空気を読まないことも必要だからだ。


敢えて空気を読まず、忖度もしない…

それは危険なことだ。

無駄に敵を作ることにもなりかねない。

しかしだな、俺はいつもギリギリでいたいのだ。

昔、誰かが「ギリギリでいつも生きていたいから」と歌っていたが、まさにそれだ。


俺のギリギリっぷりを挙げるなら、通学はいつも遅刻ギリギリ、食生活も喰いたい物を好きなだけ喰うせいか、血糖値尿酸値血中コレステロール値は常に正常値を遥かに超え、血圧はいつも200を超えているという、ワイルドでロックンロールなライフスタイルを貫いている。

そうさ…、俺はギリギリな状況にいないと生きている実感が湧かない。


損な性分さ…

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