第11話  流し目無頼

車椅子は進み続ける。

行く道は街灯も少なく真っ暗闇だ。

そして今日は湿度が高いのか、まるで闇が降りてきて温い何かが全身に重くまとわり付いてくるかのようだ。

それと同様に俺と栗栖を包む空気も重い。

それはそうだ、本来主役だったはずの栗栖は全く相手にされなかったのだからな。

俺は栗栖が撃沈することを期待し、帰り道で在り来たりな言葉で慰めつつ、内心ほくそ笑むことになるだろうと予想していたのだが、事態は全く別の方へ向かった。


あれから俺は黒薔薇婦人と再会の約束をし、今日は夜も更けたことからと帰宅の途へついたのだが、その間に栗栖のことを完全に忘れ、黒薔薇婦人も栗栖のことを完全にスルーしていた。

帰り際、黒薔薇婦人は栗栖がプレゼントした謎の白いぬいぐるみを持っていなかったことからして、現場に放棄してきたものと思われる。

勿論、栗栖はそれに気付いていたであろう。

その事を思うと悲しく切ない。

だから余計に空気が重いのだ。

流石の俺でもぬいぐるみのことには触れられない。


互いに無言のまま、闇を突き進む。


しかしだな…

俺の身体は不思議と軽いのだ。

風間詩郎、17歳、身長168センチ、体重163キロ、プロレスラーだとしてもスーパーヘビー級の体重なのだが身体が軽い。

そうだ、心が躍るのだ。

こんな事は今まで生きていて無かったことだ。

風間詩郎、17歳にして初めて春が来たのだろうか…


闇の中、突如として金属を切り裂くような音がした。

突然の衝撃に栗栖が立ち止まる。

俺の左側から何者かが高速で足踏みをするかのような重低音が聞こえる。

その音は幾重にも連なり、急激に近づいてくる。

俺達はあっという間に、そのただ事でない重低音の真っ只中に放り込まれた。

これは何なのだ?


女だ。

女達の足音だ。

俺達はあっという間に女子の集団に取り囲まれ、その集団は俺達を中心に回っているかのよう、まるで俺が台風の目のようだ。

女子達は俺に向かって何か叫んでいる。

同時に多数が叫んでくるものだから、何も聞き取れない。


「何なんだ、お前らは⁉︎

一人ずつにしてくれ、じゃないと聞き取れない。」


そんなことを何度か呼び掛けると、次第に女子達は落ち着いてきた。

それでもまだ同時に話しかけてくるのだが、やっとこの女子達が何なのか掴めてきた。


この女子達はどうやら俺のファン、ヒロタンのファンのようだ。

女子達は口々に俺への思いを叫んでいる。

黒薔薇婦人からあの動画を見せられた後だとは言え、やはりにわかには信じ難い。

これは壮大なドッキリではないのか?

そう思い、どこかで撮影してるんじゃないのか?と周囲を観察したいのだが、完全に女子に取り囲まれていて見えない。

後ろに振り返り栗栖に指示を出そうとしたのだが、栗栖の姿が見えない。

女子らに圧倒されどこかへ押しやられたようだ。


そうだ、この女子達が本当に俺のファンなら一か八か、試してみたいことかある。


俺はシャツの襟を立て、寒くもないのにズボンのポケットに手をいれた。

そして、左斜め下へ視線を逸らす…


俺のその仕草を見た女子達は一気に沈黙した。

その沈黙の中に緊張感や熱を感じる。

俺が視線を逸らしていても、女子達の視線が熱く火傷しそうなぐらいだ。


女子達の期待感の高まりを痛いぐらいに感じる。

ならば、その期待に応えよう。


「今日はもう夜遅い。

俺を感じたいのならば、また明日にしてくれ。」


俺はここで愛用の銀縁眼鏡を外し、正面から周囲へ流し目加減の視線を送り、


「話はそれからだ…」


眼鏡を外すタイミングに声のトーン、全て完全無欠。

その完全無欠のフィニッシュに女子達の緊張の系が切れた。

女子達の反応は様々だ。

金切り声を上げる者、その場に倒れ失神する者、この瞬間をスマホで録画する者等。


なんてことだ…

俺は仕草と言葉のみでこの場の空気を支配している。

こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。

俺が妄想していた以上の事、想定外の事態が起きている。

俺は女にモテたくてモテたくて仕方がなかった。

女にモテることをどれだけ渇望していたことか…


しかし、嬉しくてたまらないはずなのに何故だろう。

何処か恐ろしいのだ。

女子達の浮かべる歓喜の表情、その熱狂の眼差しの奥に狂気を感じるのだ。

それは俺が今まで女子に相手にされなかったから、そう感じたのかもしれない。

モテる奴ならこれに上手く対処し、愉快な思いをする事なのだろう。

しかし今の俺にはその術はない。


ならば今日は一旦、この場を離れよう。

幸いなことに女子達はひるんでいるのが殆どだ。

その機会は今しかない。

時は来た。


「栗栖っ、行くぞ。」


俺の一声に栗栖は何処からか現れ、俺の背後へと周った。


「行け!栗栖!行け!」


「任せて!シロタンっ!」


俺の叫びに栗栖は呼応し、全速力で車椅子を押す。

その加速は意外にも早い。

鈍重を絵に描いたような小太りの栗栖だが、こんな力を秘めていたとはな…


数名の女子が俺達を追ってくるのが見えた。

しかし栗栖の加速は圧倒的だ。

追手との差が開いていく。

5分もしないうちに後方に見えた女子達の姿は闇の中に飲み込まれていた。

追跡を撒き、街灯の下で俺達は立ち止まった。

栗栖は肩で息をしている。


「栗栖よ、お陰で助かった。

ありがとう。」


「いいんだよ、シロタン。

僕たち仲間だろ。」


息も切れ切れの栗栖のその一言に俺は言いようのない感情に襲われた。

俺はこいつを見下し、失恋を笑いものにしようとさえしていたのだ。

しかも黒薔薇婦人には殆ど無視され、いわば俺が今日の主役の座を奪ったようなものなのに…

それでも俺を仲間だと言うのか…


「そうだ、

俺達は仲間だったな…」


仲間…、俺には縁の無い言葉だった。

勿論、仲間という言葉を使ってはいたが、本当にその意味を噛み締めたことなど無かったのだ。


「あっ、もうすぐ家だよ。」


栗栖のその一言で数メートル先に自宅がある事に気付いた。

それだけ俺達は夢中で闇の中を突っ走っていたのだ。


家の前に着くと栗栖は門扉を開けた。

そこからは自力で敷地内に進み、車椅子を方向転換させ、


「明日も頼むぞ。」


「もちろんだよ、シロタン。

今日はありがとう。」


栗栖はそう言うと踵を返す。

離れていく栗栖の後ろ姿を見る。

この状況でも奴は半ケツを晒している。

いつ如何なる時も半ケツ、それもいいだろう…

それがこの栗栖という人間だ。


やっとの帰宅だ。

今日という日は色々な事があり過ぎて、とてつもなく長かった気がする。

今朝起きた時、こんなことになるとは誰が予測出来ただろうか。


風間詩郎、苦節17年…

やっと俺のターンが回ってきた、と言ったところか。

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